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オムライスにはケチャップが普通ですか?

オムライスにかけるものと言えば、そうケチャップですよね。ケチャップが一般的。ほとんどの人がケチャップをかける。言わばケチャップの「普通」の状態なんでしょうね。

私もその「普通」を信じて疑わずに生きてきました。たまにデミグラスソースに浮気することもあったけれど、デミグラスソースは「特別」でケチャップは「いつもの」「普通」の時のものでした。
中のケチャップライスとの相性も良いですよね。卵とも。ケチャップの赤が卵の黄色とよく合い食欲をそそる見た目にもなります。もちろんそれが美味しいと思っていたので特に疑問に思いもしませんでした。

でも今日試してみたんです、マヨネーズを。
私はマヨネーズが好きです。サラダにはマヨネーズをかけたいし、ゆで卵にもマヨネーズ派だったりします。マヨネーズは万能で何にでも合うと思ってもいます。でも今まで卵とご飯で構成されているオムライスにはかけようとは思いませんでした。
それはきっとオムライスにはケチャップという思い込みが私の中にあったから。オムライスにはケチャップが「普通」だったから。「普通」と言う概念から抜けるのが怖い私がいたからではないでしょうか。
ケチャップにマヨネーズ、それは「普通」とはかけ離れた存在。なんと言ったら良いのでしょうか、ケチャップが「普通」ならマヨネーズは「異端」とでも言うのでしょうか。とにかくそんな「普通」な私がオムライスには「異端」のマヨネーズをかけたくなったんです。

味の方はお察しの通り、美味しかったです。さすがマヨネーズです。卵とケチャップライスとの相性も抜群。マヨネーズにも酸味がありますから特になんの違和感もなく私の口は受け入れていました。むしろこっちはこっちで食べたくなる味だなとも思ったりしました。

私はついつい決めつけてしまいます。ついつい「普通」を探してしまいます。大多数の中に紛れたくなってしまいます。それが楽で不安が少なくて何も考えなくても良いから。その安心感についつい浸りたくもなってしまいます。
ですが心のどこかで「それでいいんだろうか?」という思いがついて回るんです。それは私の心のもっと深いところ。本心と言ったら良いのでしょうか、そんな部分が本当にそれを私は望んでいるのか?と浅い私に問いかけてくるんです。そんなこと、聞かなくても分かっているのに。でも浅い私はみんなと一緒じゃないのを怖がり、結局みんなと一緒を選んでしまっていました。本心に嘘をついていることが多くなりました。

そんな私が最近、やっと深い私の声に耳を傾けるようになりました。
「そんなにマヨネーズが好きならオムライスにもかけてみたら?」

昔の「普通」の私だったら出来なかったこと。でも本当にやりたかったこと・言いたかったことは「普通」の時もあれば「異端」の時もあります。その「異端」だと思われる部分に触れられるようになってきたんです。
やるまでは確かに勇気が必要です。「異端」と思われて嫌われたらどうしよう、一人になったらどうしよう、そんな不安に襲われます。その不安はとても大きく呼吸が浅くなります。ですが意を決してやってみると案外それが心地が良くて。その時にはもう「普通」であることも「異端」であることもどうでも良くなってしまうんです。それくらいには自分というものをさらけ出せるようになりました。

違う角度から考えると実は「普通」は「異端」なのかもしれません。それは私の中での「普通」と隣の人の「普通」は全く一緒ではないからです。だからみんなと一緒ではないということを恐れなくてもいいんだと。隣の人とは違ってもその隣の人とは同じ意見なのかもしれないから。そう思うと「普通」に固執する必要はなくなりました。

大切なことは深いところにいる私の声に耳を傾けてみること。その声は小さくてか細くて聞き取りにくいかもしれません。ギョッとすることを言ってくるかもしれません。誰にも理解されないような「異端」な声かもしれません。表面にいる「普通」な私とは似て非なる存在かもしれません。そんな私も恐れずに受け入れていく。それができればもう「普通」であろうが「異端」であろうが怖くはなくなります。その全てが「どんな自分も受け入れる」ことなんだろうと思います。

今回のマヨネーズの経験で思いました。「普通」じゃないほうが意外といけることもあるってことを。それは深い私の想いなんですもん、私にあっていて当然で。「普通」に擬態しているとどこかで無理をして苦しくなっていた私。みんなに紛れたほうが楽で安心だと思っていた私ですが心の声を大事にしたほうが心にも身体にも楽になっていました。擬態する必要なんて、最初からなかったのかもしれません。

自分の好きを知りましたが時々はケチャップに戻るのもありですね。だってどちらも美味しいんですから。必ずどちらかにつかなければならない!ではなくゆらりくらりと漂うようにその時々の自分に寄り添ってあげたいものです。
甘いも酸っぱいも、苦いも辛いも、熱いも冷たいも、なんでも飲み込めるように、そんな自分を丸ごと受け入れられるようになりたいものです。

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