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グッバイ!ごぼたった・・・

ヤギオはおしゃべりだ。

よくしゃべる。

それがかわいい。

言葉の出が周囲の子どもよりも半年から一年近く遅かったので、じいじもばあばもそれはそれは心配していたが、言葉が出始めてからというもの、まあよくしゃべる、よくしゃべる。貝のように口を閉ざしていたあのヤギオが、こうも変わるか、と驚きである。


そんなヤギオは、言い間違えの天才だ。

というより、造語というべきなのか?

言葉を発することが面白くなってから、我が家はヤギオワールド満開だった。


幼稚園時代のヤギオ、男の子が大好きな“消防車”は『ボーボーシャ』。まあ、これなら何となく「あ、消防車のことだな」と見当がつくのだが、“仮面ライダー”を『カーマーマン』、トイストーリーの“ウッディ”を『ボーリー』と呼んでいて、「一体これは何のクイズだ?」と頭を悩ませた時期もあった。でも、そんな言い間違えがすっごくかわいく思えて指摘訂正するのがはばかられ、「仮面ライダーのことだね♪」とさらりと流す感じで日々過ごしていた。

“ごはん”は『ごやん』だったし、汁物すべてが『おみしる』だった。お箸を『ごしち』と言っていた時もある。でもそれら全てがかわいくて、そんな言葉に囲まれている日常がハッピー極まりなかった。


食事が終わると、お決まりの『ごぼたった』という元気なヤギオの声が聞こえる。これは“ごちそうさま”のこと。2歳年上のシシオは『ごぼたった』が勿論間違いであることを知っていたが、優しい兄はヤギオに合わせて『ごぼたった』を発してくれていた。私たち親も『ごぼたった』が心の底から愛らしくて「はい、ごぼたった」と応えていた。


しかし、そんな幸せは長くは続かない。ヤギオが年長の頃だったと思う。とある日の夕飯終了後「ごちそうさまでした」とヤギオが大声で言った。耳を疑った。シシオがその時どう感じていたかはわからないが、その時の私と夫・ウシオは「えー!うそでしょ!ごぼたったでしょ!」と変な汗をかいたのを覚えている。「ごぼたった、だよね」とヤギオを責めたが、当の本人は「えー、ごちそうさまでしょ!」とシラーっと言った。ああ、これが子どもの成長というやつなんだ・・・その時、私とウシオはどん底に落ちた。悲しい。あのかわいい『ごぼたった』はもう聞けないのだ。

子どもの成長は嬉しい。でもその一方で、かくも悲しきものなのだと痛感した夕飯であった。


母である私は、子どもたちのそんな成長を間近で日々感じている。でも夫・ウシオは母親ほど密に子どもと接する時間があるわけではないので、子どもの成長過程で悲しくなってしまう、そんな気持ちと闘う免疫力が、たぶん、低い。

かの『ごぼたった』事件簿から時は過ぎ、一年後。その日も同じように、突然やってきた。

小学校3年生になった兄・シシオが、私たちのことを『お父さん』『お母さん』と言い出したのだ。それまで“パパ”“ママ”だったので、我が家ではとてもかわいいお兄ちゃんとして君臨していたのだが、何の前触れもなく『お父さん』『お母さん』と言い出してかわいさ脱却しだしたのだから、ウシオの落胆ぶりは半端なかった。「今、なんて言った?“パパ”でしょ!」と、ちょっとキレ気味だったウシオのその言葉にも全くひるむことなく「もうボクは3年生なんだから『お父さん』って呼ぶよ」と答えたのだ。


私も小学校の何年生だったか記憶が定かではないが“ママ”と呼ぶのが赤ちゃんぽく思えて『お母さん』に移行した時期がある。だから分かる。シシオはそういう時期なんだ。周囲のお友達にからかわれたわけではないようなので、自らの決断なのだろう。分かる。分かるよ。寂しいけれど成長の証と思い、わたしゃ、『お母さん』を受け入れるよー!心の中で泣きながらそう思っていたが、ウシオにはその気持ちがないようで現実を受け入れられない風であった。その後しばらくは『お父さん』と言われるたびに「パパだよね?パパと呼ばないと話は聞かないよ」などと子どものようなことをシシオに言っていた。。。父親とはかくも未練がましいものなのか?


そして、時は流れ、シシオの『お父さん』は、無事に?、定着した。ウシオも『お父さん』と言われたからと言って話を聞かないとか、そんなことは言わなくなった。が、心の奥底ではまだまだ未練があるようで・・・

「おまえはまだ“パパ”でいいからな!」

小学校2年生のヤギオには、呪文のように言い続けている。。。


20200916

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