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太宰治の『右大臣実朝』とジル・ドゥルーズ

太宰治の『右大臣実朝』を読んでみようと思ったのは、昨年自分の周りの多くの人がとてもいいと言っていた『鎌倉殿の13人』の総集編を年末年始に一気見して、ずっと昔に読んだこの小説を思い出したから。

昔は吾妻鏡の引用がかったるくて真剣に読んでいなかったし、当時から太宰治のイメージってそんなに洗練されたものでもなくて、今こうして太宰治なんて名前を文スト以外の文脈で書き連ねてネットに晒すことにも、なんだかとても大きな恥の感覚を伴う。

それでも『親友交歓』や『トカトントン』みたいな途轍もなく面白い短編は絶対にもっと読まれるべきだと思うし、今のタイミングで『人間失格』を読んでみても、そこに連ねられた言葉の鮮烈さには息を呑む。

『鎌倉殿の13人』は私自身とても楽しんで観たんだけど、実朝の描かれ方に違和感を持ち。あの金槐和歌集の実朝の雅な感じが微塵も出てない!などと野暮なことを感じながら、太宰の実朝を思い出した次第。

この作品は、実朝の近習として幼い頃から仕え、公暁に実朝が暗殺されたのち出家した僧侶が、当時を振り返るという体裁をとっている。僧侶の話し言葉の美しさと、実朝の高貴な立ち居振る舞いの美しさが掛け合わされる。各章の冒頭には「吾妻鏡」の仮名交じりの漢文がそのまま引用される。

近習の語りの中で実朝が発した言葉は、すべて漢字カタカナ交じりで表され、これが「あやうさ」を含んだ高貴なるものとして印象深い大きな効果を出しているということは、岩波文庫版の解説などでも真っ先に触れられている。つまり、いにしえの美しく雅な日本語がてんこ盛りの状態で、歴史書である吾妻鏡に注釈を加えるが如く物語が進められてゆく。

この小説は、誰もが知っている実朝暗殺へと至る話を、誰もが参照できる『吾妻鏡』をふんだんに引用しながら、綴り直しただけのものだ。

にも関わらず、ここが極めて重要なのだけれど、にも関わらず、これは絶対に太宰治にしか書けなかっただろう極めて優れた完成度の高い創作性の高い小説なんだと思う。この日本語の美しさ、この日本語の生々しさ、この「なんだこの小説は」感、この実朝像の圧倒的な魅力、もう説明する言葉が貧困すぎて本当に申し訳ないけど、なんかずっとやられっぱなしで、ずっと引きずられる。

ネタバレかもしれないけど、ていうか、実朝が暗殺されるところがクライマックスなのは史実からして明らかなのだから、ネタバレにすらならないのだけれど、このクライマックスを、太宰がいったいどう書いてるか。是非読んでみてほしい。

ここまで美しい日本語を紡いできた太宰は、最後の最後の暗殺シーンを、全部『吾妻鏡』と『承久戰物語』と『増鏡』からの引用文だけで締める。

自分の言葉でクライマックスを描かない。

歴史書から引用した言葉だけで物語を終える。これがまたすごい効果的で。儚さと、滅びの美学(この言葉、必ずこの小説を評論する際に言及されるけど、陳腐すぎて好きじゃないなあ、わかるけど。)が、倍増する。冒頭から、淡々と史実を語り続けてきた吾妻鏡からの引用文が、ここでずっしりと効いてくる。はかない。とても儚い。

最初から最後まで引用され続ける『吾妻鏡』の漢文と、物語のほとんどを成す近習の語りの文と、そして彼の語りを通じて紡がれる実朝が発話する漢字カタカナ文と、強度も密度も感触も時代も、すべて異なる重層化された日本語を駆使して、太宰治は唯一無二の世界を切り取り、極めて独創的な小説を書いてる。

そんな風なことを、この小説を読み終えて取り止めもなく考えていたのだけれど、この後、たまたま読んだジル・ドゥルーズの文章が、ものすごくこの時に私が感じていたことと共鳴したので、この文章も、それを丸々引用して終わりたい。

”しかし文には、概念に生気を与え、一個独立の生をもたらす以外に目的はないのです。文体とは国語を変異させることであり、転調することであり、言葉全体が一つの<外>をめざして張りつめた状態を指します。(中略)文章を書く目的は生を与えること、そして生が閉じ込められていたなら、そこから生を解き放つこと、あるいは逃走線を引くことなのです。そのためには、言語が等質の体系であることをやめ、不均衡と、恒常的な非等質の状態に置かれなければならない。文体は言語の中に潜在性の差異を刻むわけですが、そうなれば差異と差異のあいだを何かが流れ、何かがおこるようになるばかりか、言語そのものから閃光が走り、語の周囲を満たす暗闇に沈んでいたため、それまでは存在することすらほとんど知られていなかったさまざまな実体を、私たちに見させたり、考えさせたりするのです。”

ジル・ドゥルーズ『記号と事件 1972-1990年の対話』


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