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浮き上がるまで

あれはもうずっと前のこと

言葉を思うままに綴ること、
それは私の人生の一部だった。

ある日、
綴った言葉をなんとなく読み返していたら
感情の波にのみ込まれ、揺さぶられ苦しくなって
ぱたりと書くことをやめた。

あの頃の感受性は鋭すぎて、心が敏感過ぎて。
もしかするとあれが、
思春期だったのかもしれない。

自分の感情の波にのみ込まれるのが嫌で、
ただひたすらに、外側にある他人の言葉を求めた。
それを集めて、内側に積み上げてきたものを
塗り替えようとしていた。

とは言っても、心の糸にひっかかるものは
内側のそれと繋がっていたのだろうけれど。

その内に、外側からきた異質なものと
内側にあった慣れ親しんだものが
混ざり合っていった。

そのお陰か、思春期をとおり過ぎたからなのか
前よりもずっと、心の中に入れられる量が
増えたような気がしている。

綺麗事で片付けていいような
苦しさではなかった気がするけど、
あの苦しさがなかったら
ここに立っていられないとしたら、
あれは必要な通過点だったのだろう。

みんな同じように、
溺れてしまうような、息ができないような
そんな時があるのだろう。

先なんて本当に見えないし、考えられない。
息をするので、いっぱいいっぱい。

もしかすると力を抜けば
浮けたりするのかもしれないけど。
身体に力がはいってそれどころじゃない。

それでも、なんとか息をするためだけに
生きていられたら、
その内に浮いたり泳げるようになったりする。

拾ってきた重い荷物を捨てると、
意外とすぐ浮き上がれたりもするけど

大切であればあるほど、捨てられずに
一緒に沈んでしまうのだろう。

そんな時はいったん沈んで、
自分の心の浮力を高めてから
上がっていくしかないのかもしれない。

良いことも悪いことも長くは続かない。
感情の波にのまれた時の泳ぎ方は、
溺れる度に少しずつ上手くなる。

そうやって誰しもが自分の心と
向き合ってきたのだろう。

私もようやく今になって、
言葉を綴る楽しさを思い出している。
あまりにも長く離れていたのでリハビリ中。

noteには、
言葉を愛おしむ人たちの
かけがえのない言葉が溢れている。
自身の言葉を紡ぐ人たちの
果てない宇宙で遊んでみる。