言葉のない犬との会話は気持ち100%。
わが家の犬、ボレ。最近、stayhomeのわたしがリビングでヨガを始めると、かならず邪魔をしにくる。
それまで気持ちよさそうに、全身脱力でぐーすか寝ているのに、ヨガマットの上でわたしが動き出すと、そそくさとやってくる。そして、山のポーズのときは、マットの真ん中で伸びをしたり、あおむけになって両足を上げていると、その足側に寝たりする。
ボレさん、なにもそのタイミングで、そこにいなくてもいいよね。こちらの行動おかまいなしの、全力の空気の読まなさっぷりに、つい笑ってしまう。
1週間ぐらい前、ボレの左目がしょぼしょぼしていて、半分つぶったような状態だった。前足で目をこするようなしぐさもしている。よく見ると、白目が真っ赤だった。
こんなとき、「ちょっと目がゴロゴロする程度です」とか、「けっこう痛いので、病院に行った方がいいかもです」など、ボレがじぶんで伝えてくれたらどんなに楽だろうと思う。
でも、ボレは人間の言葉は話さない。そこで、しぐさや行動をよく観察し、総合的に判断して、病院に連れていくことになる。今回は眼球に傷がついていて、1週間の目薬になった。
ボレさん、目薬、がんばったね。今はもう、すっかりいいみたいね。
ボレと会う前のわたしは、「言いたいことがあれば言えばいい」主義者だった。「話してくれないとわからない」論者でもあった。
でも、ボレを飼ってから、その考え方が変わった。
言葉がなくても、ボレとコミュニケーションがとれるからだ。
じゃ、どうやってコミュニケーションをとっているかというと、なんともあいまいな表現で申し訳ないけど、なんとなくの雰囲気の会話なのだ。ボレの雰囲気をなんとなく読みとり、こっちの言たいことも雰囲気で伝える。
たとえば、「ダメ!」というのを教えたいときは、“わたしは怒っているんだぞ”という気持ちを全開にして接する。目をキッとつり上げて、声のトーンを低くし、「い・け・な・い」とゆっくりめに、怒っている気持ちをこめて言う。すると、ボレが理解してくれる。……とは限らないけど、理解してくれることが多くなる。
雰囲気がとても大事なので、笑いながら「ダメよ~」といってもほぼ通じない。言葉と感情がちぐはぐだった場合、ボレは感情のほうを優先するようで、笑ってダメだししていると、褒められている、と勘違いする節もある。ましてや、携帯でメールをしつつ「ダメでしょ」といっても、無視されるだけだ。
つまり、雰囲気全開、気持ち100%なのが、ボレとの会話だ。
こんなボレとの会話を10年続けて、言わなくてもわかることがたくさんあることを知った。そして、言いたいことがあれば言えばいいという論理は、ちょっと乱暴な考え方だな、と思うようになった。
話してくれないとわからない、というのは、相手がじぶんと同じ前提にいることを相手に強いている。犬と人間が違うのは当然のことだけど、人間同士だって、暮らしている環境や生きてきた前提が、それぞれみんな違うんだから。
言葉に頼りすぎない。それは、言葉の束縛から自由になったのかもしれない。
そして、雰囲気で伝えるって、雰囲気で会話をするって、相手の存在そのものを信じているのと同義語のような気もするね。
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アボガドジュース。バリ島とボルネオ島で飲んだ思い出の味。友人のレシピで、アクセントにやし砂糖シロップ(上のかかっている黒い蜜)を入れてみたら、これがとってもおいしい。そして、作ってみてわかった。アボガド1個の量って、たかが知れてる。現地で飲んだジュースはたっぷりの量だったので、アボガド2~3個分はあったんだね。そりゃ高級なはずだ。
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