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映画『パラサイト 半地下の家族』を観て。

いや~すごかった。ハラハラして、ゾッとして、クスっとして、耳をふさいで。登場人物が一瞬見せた表情が次の展開のカギになり、さりげないひと言が観客を不安におとしいれる。2時間ぶっとおしで頭と心がぐいぐい揺さぶられ、全神経を注ぎこんで集中したからか、鑑賞直後はすっきり爽快感さえ。さすがだった!

わたしがいちばん印象深く感じたのは、食の描き方。この映画には、食にまつわるシーンがたくさん出てくる。

食のシーンがある映画はけっこうあって、たとえば『かもめ食堂』や『南極料理人』のようにストーリーの核になっているもの。『この世界の片隅に』や『万引き家族』のように時代や登場人物の関係性を表すもの。また、Netflix『全裸監督』でも、製作チームみんなで食事をするシーンが何度も出てきて、とても印象的だった。

『パラサイト 半地下の家族』の食のシーンは、どれもさりげない短い場面。しかし、すべてがストーリーの核となる部分と密接につながっていて、重い。

たとえば、
――半地下で暮らすキム家は、家族全員で宅配ピザの箱の組み立ての内職している。作業中、公道の害虫駆除の消毒が始まり、家のなかにも消毒の煙がもうもうと。ケホケホとせき込む家族。それでも箱を組み立てる手はとめない。奥に積まれた箱にも煙はたっぷりとそそいでいる。そして、完成した箱をピザ店に納品。箱が破れているという指摘を受けるが、消毒の煙については気づかれなかった。――

――豪邸で暮らすパク家。食について話しをすることは多いが、食事をするシーンはひとつだけ。それはパク夫人が食べるジャージャー麺。家政婦のキム夫人に作るよう指示したもので「牛肉入りにしてね」と味へのこだわりをみせる。皿に美しく盛られたジャージャー麺。それをおいしそうに食べるパク夫人。ところが実際は、キム夫人が市販のインスタント麺で、超スピードで雑に作ったものだった。――

ほかにも、パク家の留守中、勝手にあがりこんだキム家がおつまみだと思って食べていたビーフジャーキーが、じつは犬用のおやつだったり。パク家の主人が、元の家政婦の唯一の欠点と指摘した「ご飯を2人前食べる」という旺盛な食欲にはじつは隠された理由があったり。


今、こうやって振り返って考えると、すべての食のシーンが、監督が仕掛けたメタファーになっていて、とてもおもしろい。

しかし、観ているあいだは、なんというか……どんどん食欲がなくなって、しんどかった。脳と胃袋がすこしずつ切り離されていくみたいに、食べもの=おいしいという感覚が消えていくのだ。映画を見てこんな気持ちになったのは初めてだった。

消毒の煙という見えないものが食べものにふりかかる。
お金持ちのパク夫人がインスタント麺を知らずに食べる。
犬用のビーフジャーキーだっておいしい。

この、現実にありそうで、いや、普通にあるよね、というようなシーンが次々に目の前に現れ、だんだんわからなくなっていくのだ。

おいしいってなんなんだ? 食べるとは何のため? 生きるため? 楽しむため? それでいいの? いけないの? いろんな疑問が頭のなかをぐるぐるめぐる。そして自分がもっていた基準や常識がどんどん壊れていくのだ。

クライマックスに近づく場面、息子の誕生日会に家庭教師を招待するパク夫人。「グラタンやパスタが食べられるわ」と西洋料理の名前を口にするのも印象的。グラタンやパスタが、料理名ではなく、お金持ちを表す記号になっていた。さらに最後のシーン。刺さった串のソーセージにワンちゃんが食いつく場面にいたっては……もう、もうなんといっていいのか! ポン・ジュノ監督、天才。すばらしい映画でした。

ちなみに、パク家の主人は谷原章介さん、キム家の息子が松田龍平さんに似ていると思ったのはわたしだけ?

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海苔スナック。春巻きの皮にとき卵をぬり、海苔をくっつけて、ごまをパラリ。それをカリカリになるまで揚げたおやつ。マレーシアでは、リボン型になっていたり、もっと細く切ったものを袋菓子として売られている。

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