透明侵略 ブランネスカの無力な憂国 [ 手記001 ]  仮説...統合失調症は隠蔽工作である

ブランネスカの手記で最も私がショックを受けた記述が今回の転記の内容となる。
尚これを公開するのは私自身、彼の手記にあてられて平常な世界観の揺らぎを感じてしまった事に起因する。
この手記に対する自分以外の所感に触れる事で再び現実味のある平穏な世界に戻りたいのだ…。

ブランネスカの友人より

仮説...統合失調症は隠蔽工作である

わたしのように懐疑主義に満ち溢れている人間は世間では糖質と呼ばれコケにされるようだ。
糖質とは何か、それは統合失調症という精神疾患を略したネットスラングだ。
ネット上で糖質糖質と小学生のようにキャッキャと騒いでいる連中に私は怖気を感じざるを得ない。
彼らは彼らにとって眉唾な話は全て虚構と判断するようだ。
無理もない。
普通の家庭に生まれ育てば学校教育などの既にある体制を疑う機会はそう得られないだろう。
教わったことを教わった通りに反復するオウムのような行為で点数が得られある程度の自由と将来、人並みの幸せが約束される。
普通未満の貧困や暴力の中で生育された人間は世の中の正しいとされる事が欺瞞であると言う事に早くから気付けるが、幸せなもの達にその視点が欠けてしまっていることは無理からざる道理だ。
私はそうして自身を説得することで彼らに対する不協和をいなす他ない。
しかさあまりにも彼らの声が大きように感じる事が不可解であった。
そこで少し考えを巡らせてみたところ、おそらくその中の何割かは工作なのであろうという仮説が立った。
まあその話に行く前にそもそものわたしの中での前提をまず記さねばならないだろう。
果たして統合失調症という病は実在するのか?

脳の中身を覗ける人間はいない。
一般的に精神外科的アプローチはとうの昔に廃止されているし、脳の仕組みが解明されたという話も聞かない。
そして現実の話として精神疾患の診断をする精神科医であってもその診断に用いるのはそういった脳の状態ではなく、あくまで表層に現れる患者とされる者の反応であり、それと照らし合わせる診断基準である。
ではその診断基準は誰が作ったもので何を以て正しいとされているのか。
診断基準とされるものは単一ではないようだが何も懐疑主義者的にはきな臭い集団を出所としているシロモノだ。
それが正しいとされる根拠が数々の研究であったと主張されたとしても、我々はそれまで信じられていた研究結果が全て机から振り落とされる様を歴史的にも現実のニュースでも幾度となく目の当たりにしてきているはずだ。
それがどうしてこと精神疾患となると全てだ正しいと盲信できるのか、あるいはされているのか甚だ疑問である。
また、体の不調であっても誤診があちこちで聞かれるのに、どうして精神疾患は必ず絶対に正確に診断できると信じるのか。それもまた思い込みや当たり前の影に隠れた重大な事実であると思う。
人々は何故か精神疾患に於いてはその診断を絶対視し、逆に素人判断で診断を下すことについても躊躇と余念がないようである。
不思議な話だ。
自然にこのような流れが形成されるだろうか。
否、それこそが精神疾患の欺瞞、特に統合失調症というものは陰謀を陰謀論という茶目っ気のあるコンテンツにすり替えるための艤装工作なのだ。
ネットのよく知らない誰かであっても、人は書かれている情報に影響を受けると思うしその数が多いとそれが正しいことと妄信してしまうバイアスが存在すると思う。
しかしそこにはなんら確約はなく、あるのは「みんなが言っている」「みんなが言っているように見える」という状況だけだ。
にもかかわらずどうしてかそれが広く信じられている。
それは長年の教育で人々が懐疑という真実を掘り当てる為の爪を気づかれないようにゆっくりゆっくりと退化させられてきたからに他ならない。
そして学んだことを正しいとすればするほど一般的な人々は潤うというこのシステムがその認識に拍車をかける。
彼らにとって落伍者は全て捨て置くべき自業自得の負け犬であって勝者や強い者や多数の言うことは全て正しいという色に染まるらしい。
特に医師などは懐疑からかけ離れた存在だろう、診断基準が正しいという前提で学びそれによって今の地位を得ているのだ。そこに疑いの目を持つ必要性動機が殆どない。ともすれば疑問を抱く勤勉な者はいるかもしれないがそれもその前の時点の常識、前提によって尤もらしい説明を受ければ納得してしまうだろう。
かくして医師は自分が陰謀に加担していると知らずとも、その生業の中で人々の社会的信用を失墜させ得る烙印を押す役目を担わされることとなる。
善意で正道と信じても加担者が量産される。
もちろんそれは陰謀なので簡単にその証拠を掴めるようになどできていないし、この事に疑問を呈すること自体が統合失調症としてしまえば世論を恐れて誰も表立ってそのような主張をしなくなる。
しめたものである。
陰謀を完璧ひた隠すのには限界があるしふと違和感を覚える人は発生してしまう。
ならばそれはら精神疾患の見せる妄想であるのだとステマのように吹聴して回ればいいのである。
精神疾患の一部、特に統合失調症は欺瞞であるが、それは未来永劫認められないであろう。
それは便利な道具なのだ。
その事に触れるだけで世の中の大半のものからは精神疾患と感じられるであろうと言う状況は懐疑主義者の社会的信用を毀損すると言う事であり、説得力や求心力を大きく減衰させられるので懐疑の伝染を抑える効果がある。しかも周囲から孤立させることができ、どこの誰が現体制に懐疑を抱いているのかを特定する踏み絵のような役割も担っている。
陰謀を仕掛けているものには排除対象が浮かび上がってくるのでその指摘がなされてもダメージがないどころか寧ろ利益があろう。
この事について言及すると馬鹿の一つ覚えのように証拠を求められるだろうが、証拠がないなら疑うなという姿勢は問題がある。
断ずることはできずとも疑う権利は証拠がない時点からあり一般的な警察の捜査なども証拠がない時点から疑惑から証拠を探すのではないか?
勿論我々懐疑主義者も証拠を探してはいるが、それこそ警察組織など特別な捜査権限を有しているわけでもなく、公認されてるわけでもない。
寧ろ我々は既に述べたようにそれについて操作行動でも起こせば即時的に社会的信用を失墜させられるリスクがあり、それ故集団となって結託しづらい側面もある。
そもそもあらゆる通信は監視下に置かれていると考えるのが我々懐疑主義者なのだから、懐疑を抱いていてもネット上では表明しない者も多いのではなかろうか。
すると互いの存在を認知することすらまず持って難しいということになる。
こんな状況で一市民である我々が多数に気づかれないように秘匿されている陰謀の証拠を押さえるなどどだい無理な話なのだ。
しかし自分の教えられてきたこと学んできた事が全て正しいと信じるように教育されている牙も爪も退化させられた現代人がその事に気づくことも問題視することもない。
ただただひたすらに出る杭を打ち世界は安全で公平であると胡座をかき錯覚上の安全地帯から冷笑するばかりである。
これも恐らく意図的に作られた風潮、民族性であるのだが、やはり同様に言っても無駄である。
精神病の一部、特に統合失調症は欺瞞であるが、欺瞞であるが故に、その事に触れるのがタブーとなっており、そして強力な情報操作、隠蔽の為の道具として常日頃機能し続けている。
だから私はこの内容をネットには上げないのだ。わたしがおかしなやつという烙印をステマ的工作で貼ってくる者やその造られた風潮に乗って同様に判断する者、そして一番脅威であるのが陰謀を仕掛けている者たちに私の存在が浮いて見えてしまうからだ。
もし誰かがこの手記を見つけてネット上にあげるようなことがあるならば気をつけてほしい。
その瞬間からあなたは目をつけられて集団ストーカーの餌食に遭う。
そして集団ストーカーという語、存在を他者に話せば晴れて統合失調症という烙印を押されることであろう。
私はその責任を負えない。
だがこの手記は残さねばならない…。
みんな侵略に気づいていない。
それはいよいよあからさまで露骨なフェイズに全身を浸からせているというのに、誰も問題視しない。
何故なら疑問を抱く者は排斥され、口を開けて飲み込む者は好遇されるからだ…。
ああ嘆かわしい。
10年後20年後、この国は存在できているだろうか?

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