ブループリントを詠む3

情報の媒体「水」。信じるかどうかは別として、食べ物を摂取する際も物質ではなくその情報を体内の水に転写して吸収している。物質によって水は寧ろ濁ってしまう。振動数(ヘルツ)によって異なる情報を得られる。山の湧き水や海水を精製して塩を取り出す時の生まれたばかりの真水が最も転写効率が高い。ここで自分が何を体験したいのでこの振動を写そうなどと自力によって情報を使おうとすれば、それは物質の使い方であってあまり意味がないような気がする。自分の体に流れている水をいかに純粋な真水に近い状態に近づけるかによって、恩寵を受け取る感度を高める他力によって動かされているこの世界を理解するということが重要であるように思う。それは恩寵に気付く、愛する行為そのものである。

巫女には神の言葉を降ろす役割がある。詩を書くことと塩の精製。そこに辿り着くまでの道案内をしてくれる方との縁。まだ気づいていないことがたくさんある。きっとその時は自然に訪れる。大国魂神社を訪れる機会があった。神社巡りをするとか、そういうことではない。今年だけ健康診断を受ける病院の場所がこの近くだった。情報の媒体、水は水蒸気として常に身近にあり私たちに何かを教えてくれている。膨よかな葉や幹に通う水も純度の高いことを感じる。銀杏の大木は何事かを語っている。舞降りてくる落ち葉は彼方からの伝言をもたらしているのだと知る。

火が起これば燃え残った土(地)が生じる。土は風によって運ばれる。風は水蒸気を含み水も動かしている。水は土の情報を記憶する。情報とはメモリー、記憶である。記憶は再び火(情熱)を立ち上がらせる。循環は破壊と創造(ーと+)によって零をつくりだし、エネルギーを生じる。これが命である。恩寵を聴くことが私たちに何をもたらすのか。それはおそらく命のエネルギーを強めるはずである。技術が進歩しても、私たちの本質(命)は寧ろ衰えている。水は汚れ、彼方からの声は私たちにほとんど届かなくなってしまった。しかしながら時代は追い風である。文字通り風の力が強まるからである。ではエネルギーが強まった先に何があるのか。抜苦与楽。苦しみのない世界、私たちのユートピアではないのだろうか。

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