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舞台感想 全国共同制作オペラ 上田久美子演出 「道化師」「田舎騎士道」

「みんなさみしいねん」
薄汚れた店のシャッターの画像に、へたくそな文字が落書きされたポスター。オペラのポスターとは思えない斬新さに、ぎょっとしますよね。

宝塚をご卒業され、海外留学されると聞いていたけれど、こんなお仕事もされるんだ!と気づいてすぐにチケットを購入して観劇を楽しみにしておりました。

正直、オペラはあまり詳しくない。
生では兵庫県立文化芸術センターで佐渡裕さんがなさるオペラで「魔笛」と「トスカ」を見たことがあります。
あと、METライブビューイングというメトロポリタンオペラを映画館でみることができるもので何作かと、手持ちのDVDで何作か。
椿姫とか蝶々夫人とか有名なものばかりです。
私は、子供の頃宝塚ファンだったけれど大学生くらいから結婚後ずっと離れていて、100周年くらいからぽつぽつ宝塚を見るようになったので、間に30年くらいブランクがあるのです。
思えば丁度、宝塚から離れている頃オペラとかバレエとかクラシックコンサートを観ていたと思います。
結局、劇場に足を運んで作品を観るのが好きな人なのです。

さて、オペラなんですが、いつも「すごいなあ」とは思うものの「感動」とか「泣く」とかいうのはなかったんです。
もちろん「迫力ある歌だな」「オーケストラが豪華だな」とは思うけれど、心が震えるっていうのはなかったのです。
もちろん、オーケストラが盛り上がった時に胸が熱くなるような感動はあるのですけれど、歌を聞いた時に感動するっていうのがなかったのです。

それが、なぜなのか?
ウエクミオペラを観て判明しました。

今まで観ていたオペラでは、字幕がでるので意味はわかるのですが、意味がわかれば登場人物に共感できるって訳でもない。
「恋人に裏切られて悔しいのだろうな」とわかっているからといって、
マイクなしで響き渡る壮大な歌声の迫力に気をとられて、登場人物の感情が入ってこなかったのです。

でも、ウエクミオペラは聴覚にはオペラ歌手の歌で訴え、視覚にはダンサーの踊りで訴え、感情には大阪弁のセリフで訴えかけるという斬新な演出方法がとられています。
最初のうちは戸惑いながら観ていたのですが、それに馴染んで演者のパフォーマンスが三位一体で伝わってくると、登場人物の哀しみや切なさが歌から伝わってくるのです。私には理解できない異国の言葉で、登場人物の名前さえ字幕とは違うはずなのに、するりと入ってくる。
この感覚には驚きました。

宝塚だとオーケストラは伴奏というイメージなのですが、オペラだとオーケストラこそが主役、マエストロが総監督って感じですよね。
愛知芸術劇場は音響も良くて、音が出た瞬間から胸がぶわっと熱くなるような興奮を感じます。
そんなオーケストラで生み出された音と共に、登場人物の感情が伝わると物語が断然面白く感じられました。

戸惑うシーンもあったけれど、初めてオペラを観て心を揺さぶられました。

まず最初に上演された「田舎騎士道」はどんな物語かというと。

ルチアという女が経営する居酒屋にやってきたサントゥッツァ。
サントゥッツァは女で、ルチアの息子トゥリッドゥと結婚の約束をしているのです。ですが、トゥリッドゥは昔の女ローラと今も逢瀬を続けています。でも、ローラにはアルフィオという夫がいるのです。
サントゥッツァはトゥリッドゥに冷たくあしらわれ、後を追います。が、罪を犯して教会に入れないサントゥッツァは、ローラを追って教会に入ったトゥリッドゥを追うことができません。嫉妬にかられたサントゥッツァはトゥリッドゥとローラの関係をアルフィオにばらしてしまい、トゥリッドゥはアルフィオに殺されてしまいます。

という物語です。

これがウエクミ版になると
歌手トゥリッドゥはダンサー護男
歌手サントゥッツァはダンサー聖子
歌手ローラはダンサー葉子
歌手アルフィオはダンサー日野
歌手ルチアはダンサー光江
というように、歌手とダンサーが一組で一人の人間となります。
字幕は二種類あり、高い位置の字幕は原文訳。
低く目立つ位置の字幕は大阪弁で大阪の物語となります。
歌はもちろんイタリア語。
観客が読みたいほうの字幕を読めば良いという感じでしょうか。
私は、原文訳をチラ見しながら、大阪弁字幕で楽しみました。
ちょっと笑えるようなユーモアの混じる大阪弁字幕は最初違和感がありましたが、物語が進んでいくとすんなり入ってきました。

物語は「だんじり祭り」を控えた貧しい大阪の下町を舞台に、護男に愛されたいために薬を売って捕まり刑務所に入っていた聖子が町に戻ってきて光江の店に現れます。聖子が自分の苦しい胸の内を光江に告白するダンス表現と同時にアリアが歌われる、という感じで進んでいきます。
護男に暴力を振るわれても、傍にいるだけでいいのだという聖子。
でも護男は聖子を遠ざけようとします。そのダンスはなかなか壮絶。
コンテンポラリーのようなかなり激しいダンスが繰り広げられます。

私はいつも海外の作品を観ると「教会」の宗教的な意味合いや信仰の深さなどが理解できないことが多いです。ミュージカルなどでは「教会」のデザイン的な魅力や荘厳さが好きで面白く感じるのですが、信仰という側面は結局よくわからないのです。
ウエクミさんは、教会での祈りやキリスト教の祭りを「だんじり祭り」に置き換えちゃった!!!
日本の祭りの背景には「神」がいて「祭り」の為に働いているほど「祭り」を楽しみにしている民衆が存在する文化ですよね。
その設定で、一気に「教会」や「祈り」というものが身近に感じられました。ウエクミさんの発想の面白さに脱帽です。
「だんじり祭り」の準備や祭りで町の人たちが盛り上がるシーンは力強い人間の団結力を感じさせます。客席(二階席サイド前方席)にもコーラスが入っていて、客席からコーラスが聞こえるのも面白いです。

聖子は嫉妬心で護男と葉子の関係を日野に知らせてしまうという行動に出てしまいます。でもすぐに、護男を殺すという日野の行動をおそれて、後悔することになります。
護男は、自分が死んだら聖子を頼むと母に歌うのだから、全く愛がなかったわけでもないし、聖子にとって護男のいない世界なんて意味なんかないのに聖子の行動は、護男の命を奪うことにつながってしまうのです。

こじれた愛の物語は「トゥリッドゥが殺された」という声で終わります。

ポスターの「みんなさみしいねん」
が良くわかりますね。
護男は好きだった葉子が日野と結婚してしまってさみしい。
葉子は亭主が留守がちでさみしい。
日野は仕事で葉子に会えなくてさみしい。
聖子は愛している護男にふりむいてもらえなくてさみしい。
ほんまに、みんなさみしいんやなあ~
まあ、そんな単純な「さみしい」だけではないと思いますが、「愛」に執着した個人が「さみしさ」に耐え切れずにとった愚かな行動が引き起こした悲劇が、現代の大阪が舞台になっているせいで生々しく感じられました。

歌手は純粋に男女の「愛」の物語を歌っているように聞こえました。
その一方、激しいダンスと大阪弁のセリフの中では、「好き」という感情が「執着」に変貌し、「愛」という得体のしれないものを追い求める愚かな人間の狂気に見えました。
純粋に愛に苦しむ歌と、どこか狂気じみたダンスと泥臭い物語が融合して感情を揺さぶられました。
そして、祭りの集団は「仲間意識」を強く感じさせ、その中にいれば「さみしい」ことなんかないけれど彼らの「集団心理」に巻き込まれれば、自分の思考が停止してしまうかもしれない危うさを感じました。

視覚、聴覚、感情を一緒に揺さぶられる、面白い演出。
さすがウエクミさん。毎度毎度、驚かせてくれるわ~

二幕は「道化師」です。こちらも、こじれた「愛」の物語です。

旅芸人一座の座長カニオと看板女優のネッダは夫婦です。が、ネッダにはシルヴィオという浮気相手がおり、一緒に逃げたいと考えています。ネッダがシルヴィオに「今夜ね、そうすれば永遠にあなたのもの」と言うのを聞いたカニオは激怒し、ネッダに相手の男の名を聞きますが、ネッダは答えません。カニオの怒りはおさまらないけれど、芝居の時間がきます。
こんな気持ちのまま、道化師を演じなければいけないカニオが苦悩しながら歌うのが「衣装をつけろ」です。

こんなに重い歌だったとは……
この曲は、毎年宝塚音楽学校の文化祭で歌の上手い生徒が歌う歌として知っていましたが、こんな重く哀しい歌だったとは……
カニオの苦悩に、泣いてしまいました。

そして芝居が始まりネッダが演じる道化師の妻が「今夜ね、そうすれば永遠にあなたのもの」というセリフを口にすると、ネッダは芝居と現実の区別ができなくなり、ネッダを殺してしまいます。
周りが混乱する中
「喜劇は終わった」
そして、幕が下ります。

ウエクミさんは、この一座を大衆演劇の巴里亜兆劇団にします。カニオが演じる道化師の名パリアッチョですね。
派手なのぼりと一緒に、にぎにぎしく登場する巴里亜兆劇団です。
こちらも「田舎騎士道」と同じように
歌手カニオとダンサー加美男
歌手ネッダとダンサー寧々 
歌手トニオとダンサー富男
歌手ペッペとダンサーペーペー
歌手シルヴィオとダンサー知男
というように歌手とダンサーが一組になっています。
こちらは、文楽のように、ダンサーが着物姿で操り人形のような踊りを見せるのが「田舎騎士道」とは違う印象です。
加美男役は三井聡さん。ん?なんか聞いたことがある。宝塚の振付している先生やん!!!ダンサーとして拝見するのは初めてです!!
寧々役は元タカラジェンヌの蘭乃はなさん。日舞の名取でもある蘭乃さんは、日舞のあやつり踊りも洋舞もおてのもの。美しくてさすがでした。
富男役は、小浦一優さん。芋洗坂係長さんっていう太っているのにダンスが上手な方おられますよね。あの方です。表情もひょうきんで楽しい感じなのに今回は闇を抱えています。
ペーペー役の村岡友憲さんは、びっくりするほど身軽です。軽業師という設定だと思うけれど、この方の動きをもう少し長く見てみたかった。

大衆演劇が来て町の皆は大喜び。芝居を待つ間、民衆は野球観戦をするという設定にしたのもウエクミ風。
タイガースをイメージする黄色のはっぴで民衆が歌う明るさが、その後に起こる悲劇を際立たせます。

演出として面白いなと思ったのは、加美男がカニオの顔に白いドーランを塗りつける所。
愛する人に裏切られ、その相手の男の名もわからず、そんな状況で道化師を演じなくてはいけないカニオの顔が白いドーランで覆われていく。
見てはいけないものを見ているような心地になりました。
道化師というカニオではない人格に変化せざるえないカニオの苦悩。
ちょっと、ぞくっとしましたね。

道化師は「衣装をつけろ」が有名な曲ですし、フィギュアスケートで用いられたりする曲もあるのでなじみがありますが、ストーリーは知らなかったので、勉強になりました。
物語は、スピーディーに展開し全く飽きたり中だるみすることもなく、とても楽しく見ることができました。

上演時間「田舎騎士道」65分、「道化師」75分。
休憩込みで3時間。
オペラ=長時間というイメージを持っていて、前日に劇場に上演時間を聞くために電話を入れたのですね。6時開演だから、日帰りは無理かなあって思って。でも、3時間なら帰って来られる!
まるで、宝塚歌劇のような上演時間!
そんなところも、ウエクミ演出ならではなのかしら?とちょっと思ってしまいました。

どちらも、オペラ初心者には楽しめる作品で、ウエクミさんならではの発想やアイデアを面白く観ることができました。

普段からオペラをご覧になる方の目にどのように映ったのかはわかりませんが、私は観てよかったと思いました。
また、ウエクミさんが演出なさるなら観たいなと感じました。

公演が始まる前から、二人の浮浪者が舞台の上をうろうろしています。
舞台上でも、物語に直接かかわってくるわけではないのですが、存在感があります。野良犬のように、排泄も性交も自由という空気をまとっています。
この浮浪者は幕間に客席の通路をうろついていたり、全く自由に行動しています。終演後もロビーで立ちすくんでいたり、出口で座り込んでいたりするんです。物語の中の登場人物でもありながら、現実にも表れるどこか不穏な存在。でも、この二人の浮浪者から「さみしさ」は感じられません。
孤独であるはずなのに、あまりにも自由な浮浪者の存在が、
ポスターの「みんなさみしいねん」とは真逆の存在であるように、感じました。

終演後、家路を急ぎながら、出口で座り込んでいた浮浪者がなぜか一番自由で人間そのものの姿なのかもしれないって思ったら、なんだか笑えてきました。
「愛」の物語を観たはずなのに、登場人物の感情に涙したはずなのに、人間の持つ執着や身勝手さばかりが浮かんできて
「何が「愛」なものか! 皆、自分のさみしさを紛らわせようとしているだけやん」
って感じてしまう自分がいます。
「本当の愛なら、相手のことを考える愛なら、身をひいて諦めればいいじゃないか。皆自分が可愛いだけやん! 自分のことばっかりやん!」
って思う自分がいます。

でも、気ままな浮浪者の姿を見て
「それが人間というものか!」
そんな諦めのような感情がわいてきて、笑えました。

まさに、人生は喜劇だ!?ですね。

そういえば、先日みた「歌うシャイロック」も大阪が舞台でした。
大阪の下町が持つ泥臭さ、人間臭さは、演出家のイメージを刺激するのかもしれませんね。

舞台感想 歌うシャイロック|おとぼけ男爵|note

ウエクミさんと早霧せいなさんの対談をみつけました。
この対談めちゃくちゃ面白いです。

ウエクミ対談シリーズ:早霧せいな【前編】身体で聴く奇跡の声!|全国共同制作オペラ|公式note|note

ウエクミ対談シリーズ:早霧せいな【後編】イタリア語で歌う町内会。衣裳は私服!|全国共同制作オペラ|公式note|note

やはり主演のパロンビさんは、すごい歌手の方だったのですね。
「衣装をつけろ」で涙がこぼれた理由がわかりました。

でも、そういう一流の歌手のかたが、異国の演出家と切磋琢磨して作り上げた作品なんだと思うと、ああ、本当に良い時間を過ごしたなと思います。

ウエクミさん、マエストロ、オーケストラの皆さま、演者の皆さま、良い作品を観させていただきありがとうございました。

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