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舞台感想 歌うシャイロック

この前NHKに岸谷五朗さんが出演して、南座の公演「歌うシャイロック」の紹介をしておられました。それを見ていてちょっと興味がわいたんですね。

シェイクスピアのベニスの商人に登場する金貸しシャイロック。
たまたまかもしれないけれど、池井戸潤さん原作の「シャイロックの子供たち」の映画化とか、今の時代「強欲なシャイロック」が注目されているのかしら?と、ちょっと気になりました。
松竹のチケットサイトをチェックしたら三階一列センターの二等席がある!南座ってこじんまりしているので、三階でもセンターならわりと見やすいんですよね。それに二等席なら7000円。
これなら行ってみようかな? と思い立ってチケットを取りました。

音楽劇とはいえ、やはり演劇に近い舞台。コロナ禍になってから、宝塚以外には足を運んでいなくって、久しぶりの演劇の観劇です。
シェイクスピアだけど、大阪弁。
岸谷さんの扮装も、昭和な大阪の下町の金貸しという風情。
感覚的にはじゃりン子チエの世界といえば一番近いか。
でも、物語の舞台としてでてくる地名はベニスなんですけどね。

大阪弁にして吉本新喜劇のような演出をめざしたのだろうか……
笑いは、難しいですねえ……
頭の方はかなりすべっている感じがしましたね……
苦笑……に近いか……
徐々に観客も慣れてきて、後半は爆笑を誘われるシーンもありました。

私が爆笑したのは、シャイロックの娘ジェシカがロレンゾーと駆け落ちする時に、「もう少し金目の物を身につけていく」と言って出てきたら、箪笥を背負っていたって所と、真琴つばささん扮するポーシャが男に化けて出てきたときの衣装が宝塚風のキラキラタキシードにシルクハットだった所。
羽しょってターンしながら出てきたらもっと笑えたけど、ヅカオタが見ているわけじゃないからね、あんなものでしょ。

ただ、作品としては「笑い」というよりは様々な「差別」を見せながら「シャイロック」という人間の強欲さよりもずっと醜いものをどんな人間も持っていて、それに気づいていないならその方がもっと罪深いと思わせるような作品でした。

ネタバレありの舞台感想です。

だって、シャイロックは全然クソ野郎じゃないんです。
本当のクソ野郎はいったい誰?
それは観る人の感じ方次第かな?と思いました。

アントーニオは心の清らかな青年ですわね。
演じるのは渡部豪太さん、ふるカフェ系ハルさんです。
長身で美しいアントーニオ。
冒頭から悩んでいます。憂鬱で死にたい気分なんです。
一体何に悩んでいるのか明確にはならないのだけれど、作品を見終わってから考えれば「多様性を認められない人間の中で生きることに絶望している」のかなあ?と私は感じました。
シェイクスピアっぽいセリフも口にしますが、そこは喜劇。難しいセリフは割愛ってとこで、笑いを誘います。
困っている友人パッサーニオを助けることも当たり前だと思っています。高利で金貸しするシャイロックのことは嫌っているけれど、見下しているわけではない。無利子で融資するというシャイロックの上手い話にのりたいパッサーニオに比べると、そんな道理の通らないことは嫌だと感じて自分の肉を抵当にする律義さとプライドの高さ。そして、借金が返せず、自分の肉を差し出す潔さは身分など関係なく、公平に人を裁くベニスの法律に敬意を払う公明正大な人物ってところでしょう。
だからきっと、大団円になっても、シャイロックをベニスから追い出してしまった事実に悩み、生涯憂鬱なんじゃないですかね、彼は。
きっと一生「憂鬱」から逃れられないアントーニオ。
クソ野郎じゃないけど、関わりあうと面倒な男かもしれません。

アントーニオの友人でポーシャに求婚するパッサーニオ。
こいつは本当に調子のいい男でクソ野郎ともいえる。
アントーニオとパッサーニオの友情は単なる友情なのか、愛情なのか微妙な演出だったのですが、少なくともパッサーニオは結婚前はアントーニオからの借金で暮らし、結婚後はポーシャの財産で暮らすっていう依存型のヒモ系の男でありながらそんな自覚はない感じ。
友人の為には金も命を投げ出すような善人に一瞬見えますが、その正体はユダヤ人を見下すことに何の疑問も感じない人間性。
アントーニオは最後愛想を尽かしたのですが、こんな人間が「鉛」の箱を選ぶことができたのはいったいなぜ? 
ま、何にも考えていない頭の悪さでたまたま選んだのかもしれませんねえ。
運は良いのかも。

シャイロックの娘ジェシカと駆け落ちするロレンゾーは、この作品では一番クソ野郎って位置づけですかね。
最初は、どもりの童貞といって仲間内からばかにされているんですね。
そして、シャイロックからお金をむしり取ることができれば認めてやると言われ、賭けをするわけです。
ジェシカとの駆け落ちは、「愛」ゆえか? 「賭け」の為か?
駆け落ちした時のロレンゾーに愛はあったと思うのですが、大金が手に入ってしまうと豹変して暴力亭主になり下がり、どもることもなくなった。
「どもること」で何を表現したかったのか最後まで私にはわからず困惑するばかりでした。シェイクスピアの原作がそうなのかしら? 原作をちゃんと読んでいないのでわかりませんでした。
結局ジェシカは夫の愛が父親のお金目当てだと思い込んでしまって、気がふれてしまう……一人の女性にそんな思いをさせたのだから、クソ野郎に違いはありません。

でもジェシカが父親を嫌っているのは、父親の人間そのものを軽蔑しているというよりは「世間から評判が悪い父親」を嫌っている様子。
娘でありながら父親の本質を見誤っているわけです。
そして、シャイロックにそういう「強欲な金貸し」というレッテルをはっている世間一般の人々も、クソ野郎の一員でしょう。

お金持ちのポーシャと女中頭のネリッサは、別世界に住む人間って感じです。豊かな環境で生きることが当たり前。苦労することなく生きてきたポーシャの世界は、とっても狭いです。
夫となるべき人物をおかしな遺言で決められている人生にうんざりしていても逃げ出すことなど考えつかない能天気さで、この物語が大団円を迎える喜劇となっているのは、この二人の存在あってこそ。
そして、ポーシャの真琴つばささんとネリッサの福井晶一さんの存在こそがこの作品を「音楽劇」として愉快で楽しいものにしていたと思います。
福井晶一さん、歌うま! いい声!
彼の存在がなければ、私はこの作品が退屈だったと思います。
彼の歌声で、一気に作品はミュージカル化されてしまう。

そして「笑い」の部分を一人でひっぱっていたのが、モロッコ大公や公爵そしてグラシアーノを演じたマギーさん。
彼の存在がなければ、終始「苦笑」で終わったかもしれない「お笑いパート」いやあ、一人の役者の力であそこまで引っ張って笑わせるっていうのは、凄い!と思いました。

あと、小川菜摘さんも出ておられたんですね。派手な大阪のおばちゃんやポーシャの家の侍従長、オペラを覗きながら誰かな? 見たことあるような?と思って後で調べたら小川菜摘さんでした。
大阪のおばちゃんは、はまってました。
あの親子は下町パートをほっこりさせてくれました。
侍従長は??? ま、なんか演出に意味があったのかな? 一応笑うところだったのかな? ちょっとわかりませんでした。

お名前を存じ上げない出演者の方々も、皆さん芝居上手。
最近舞台を観に行って「何これ? 下手!」って思う出演者っておられませんねえ。皆さん、芝居上手です。
ポーシャの屋敷の使用人たちは、女性キャストが男性使用人を演じ、男性キャストが女中を演じていましたが、その辺もジェンダーレスを意識しての演出かな?と感じました。
400年後には女性の立場が変わっているだろうというような歌詞もあったので、全編を通じて多様性を認めることを訴えかけていたのかもしれません。

そして、岸谷五朗さんのシャイロック。
ユダヤ人であることだけで差別され、見下され、居場所を奪われた理不尽さへの反骨。
ユダヤ人から奪った場所で当たり前のように正義をふりかざすキリスト教信者の貴族たちへの恨みというよりも、むしろ哀れみのような感情。
そんな感情を振り絞るように演じ、迫力がありました。
最後気がふれて少女のようになったジェシカと共に去っていく。
最も愛にあふれた人はシャイロックだったではないか……
シャイロックのひく荷車の中で幸せそうに微笑むジェシカ役の中村ゆりさんの無垢な笑顔に救われて見終わりました。

きっとこの作品はこれからも進化を続けていくでしょうね。

たまにはこういうのもいいけど、でも、やっぱ、
私はキラキラした美しい宝塚歌劇が好きだな~

でも、生の舞台を観ていると思うんです。
これは、紛れもなく現実で
今舞台上に立って生きている人間が、
今の今まで
違う時代、違う世界を生きていたんだなあって。
そして、客席の観客はその世界の中にいたんだなあって
今ここでしか共有できない時間は、まぎれもなく本物の時間だったなあって思います。
最近はCGとかフェイク画像とか、偽物の画像を知らずに本物だと信じ込まされて見ていることがあるでしょう。
でも、舞台に嘘はない。
舞台の上に人がいて、客席に人がいる。
嘘の世界を、本物の人間が見せてくれているという本当がある。
嘘の画像を見せられていることが100%ないという世界が、私は好きなんだなって思います。

久々の宝塚以外の舞台感想でした。
意外と長文を書いたな……

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