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老いるということについて考えはじめる

40も過ぎて、自分が歳をとったなぁと思うシーンがたくさんある。
見た目の変わってくる感じはもちろんだけど、昔に比べて無理が効かなくなったなーとか、体力面ももちろん。
お酒もほとんど飲まなくなったし、ライフスタイルも年と共に変わる。
ま、そんなもんですよね。

数ヶ月前、祖父の法要のため両親と私の3人で
車で出かけた時のこと。
私も両親に会うのも、遠出するのもだいぶ久々。
運転は父(72)の運転で、車の運転は得意な父も
背中もまがってきて、歩くことがだいぶ苦手に。
持病もあり、世の中の同年代の人とくらべても歳をとったなぁと感じる後ろ姿。
車の運転も...もうそろそろ卒業させなきゃかなぁとも思ったり。
(私はペーパードライバー。親の介護を考えるときにスーパー無意味な免許。)

で、これまた久々、コロナ禍には会えてなかった
祖母(94)。
痴呆もはじまり、共に暮らすおばさんたちは介護も大分大変だと聞いていたけれど
私のことはかろうじで記憶があったみたい。
普段は椅子に座っていても、うとうと寝ていて
目もあまりよく見えないみたい。歩くのも要介助。あまり体調もよくなかったみたいで、心配な姿ばかりが記憶に残っている。
別れ際には涙を流して別れを惜しまれ、私も号泣。

孝行ができるのは生きているうち。
また会いに来なきゃ、とおもいながらの帰京。

そんな老いた父と、祖母に会った後。

ふとYouTubeをみていて久々にこの曲を聴いた。
樋口了一さんの「手紙〜親愛なる子供たちへ〜」という曲だ。

年老いた親から子供たちへのメッセージ。
発表は2008年なので、いまから15年前。

その頃は、親の老いについて考えるなんて縁遠いことだと思っていたし、まだまだ無関係だと感じていたように思う。

あれから15年。
自分がだいぶ大人になって、状況もかわり
聴きながら、泣きながら別れた祖母の顔や
小さくなった父の背中を思い出して
真夜中に、ベットの中でボロボロ泣いた。
それが真夜中、深夜2時。

それから3時間後。
まかさあんな電話で起こされるなんて思ってもいなかった。

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