短編小説【ローグの眼鏡】
カクヨムに投稿した「めがね」を題材にした短編ファンタジー小説です。
楽しんでいただけたら嬉しいです。
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魔法使いに眼鏡は必要ない。
高度な治癒魔法が誕生したことで、視力が落ちても治すことができ、日が眩しくても日よけができるからだ。そのため、魔法界には眼鏡もサングラスも存在しなくなってしまった。
「でも眼鏡ってお洒落だよねえ」
ローグはカフェのテラス席で頬杖をつきながら、歩いていく人間たちのうち、眼鏡をかけている人々を恍惚の表情で眺めた。
キラリと光る銀縁・金縁眼鏡、飴のようにきれいなべっ甲眼鏡、存在感抜群の黒縁眼鏡などなど。誰もが自身に似合う眼鏡をかけて、颯爽と街を歩いていく。その光景は五百年前の古き良き魔法界のようだ。
「本当にローグは眼鏡が好きねえ。こうしてわざわざ人間界に来て眼鏡鑑賞するほどなんて」
ローグの正面に座るトリトは、眼鏡鑑賞に付き合うお礼に奢ってもらった三人前のサクランボタルトを頬張っている。
「だってだって、すごくお洒落じゃない! 唯一顔につけられるアクセサリーで、いろんな種類があって、みんなキラキラしてるんだよ! 素敵すぎるよ!」
ローグがテーブルの下で足をバタバタさせると、トリトは「はいはい」と笑った。現れた店員も穏やかな笑みを浮かべて、お茶を注いでくれた。
「古い時代の眼鏡は、ほとんどが博物館にあるっていうもんね。わたしも本物って見たこと無いや」
「でしょう! 何度博物館の人に売ってくださいって頼んだことか……!」
ローグは在りし日の悔しい気持ちを思い出し、歯を食いしばって机に突っ伏した。
「でもほら、眼鏡をかける機会ならあるじゃない。『魔法種別特定日』に」
トリトの言葉に、ローグはガバッと顔を上げた。
「わかってる! もう入学した時から楽しみだったんだから、忘れたりしてないよ!」
「どんな感じなのかしらね。先輩たちの話だと、けっこうおもしろいらしいけど」
魔法使いは、飛行魔法や火の魔法など、基本的な魔法は何でも使うことができる。それに合わせ、魔法使いにはそれぞれに合った魔法の能力がある。能力は水、金、地、火、木、土、天、海の八つに分かれており、専門的に学べば、基本の魔法よりも莫大な威力や驚異的なスピードを発揮することができる。
能力を特定した後は、能力毎のカリキュラムになるため、生徒たちにとっては今後が決まる重要な日だ。しかしローグにとっては、能力特定よりも大切な日だ。なぜなら……。
「――それではこれより、この眼鏡を使って、魔法能力特定を行います」
――やっと眼鏡がかけられる……!
ローグはニヤニヤしながら、目を輝かせた。
生徒たちの前に立つ学長の手には、木製の茶色い眼鏡が握られている。ガラスはくっきりと磨かれているが、何百年も使われてきた眼鏡は、鼻当てや耳にかける部分が擦り切れている。それでも眼鏡は眼鏡だ。ローグはまたも恍惚の表情を浮かべて、学長の手の中に収まる眼鏡を見つめた。
「とうとうだね、ローグ。楽しみ?」とトリト。
「すごく! 昨日は全然寝られなかったんだから!」
「希望者から特定していきます。挙手を」
「はいっ! はいはいはいっ! わたし、やります!」
ローグが勢いよく手と声を上げると、学長はすぐにローグを指してくれた。他にも手を上げている生徒はいたが、誰よりもローグが早かったらしい。
「ローグ・セイレンですね。ではこの椅子に座って、鏡を使って眼鏡をかけてください」
「はいっ」
ローグはドキドキしながら重厚感のある肘置き付の椅子に座り、サイドテーブルの上の置き鏡を自分の方に向けた。置き鏡に映る眼鏡をかけていない味気ない自分を見てから、学長の手から眼鏡を受け取った。
――やっと、やっと、眼鏡がかけられる!
古い木のフレームをキチチッと軋ませ、ローグは鏡を見ながら眼鏡をかけた。
次の瞬間、木製だったはずのメガネが鮮やかな青色に変わった。ガラスは雲のように白くなり、耳元で風がビュウビュウと鳴る。ローグの黒い髪もバタバタと揺れる。誰もが圧倒的な変化に驚かされた。しかしローグはというと……。
「うわあ! かわいい! 空色の眼鏡だ!! ちょっとガラスが曇ってて見えにくいけど、すごく素敵!」
足をバタバタさせながら、何度も角度を変えて鏡に映る自分を惚れ惚れと眺めた。
――ちょっと大きめなところもかわいい! 鼻の下の方にずり落ちてる感じが、すごくチャーミング! 眼鏡一つでこんなに変わるなんて!
サッと手が伸びてきたかと思うと、鏡に映る自分は見慣れた自分に戻ってしまった。
「あっ……!」
顔を上げると、学長が眼鏡を自分の手の中に収めていた。
「ローグ・セイレンの能力は天です。さあ、立って。天と書かれた旗のところに行きなさい」
「……はい」
椅子から降りて、旗のところまで行く間、周りからクスクス笑われても、ローグは気にならなかった。
憧れの眼鏡をかけていられたのは、たったの十数秒。そんなに短くては、自分の眼鏡姿を目に焼き付けることもできなかった。
「……最初で最後の眼鏡が、たった十数秒なんて」
ローグはため息を付いて、天と書かれた旗のそばの椅子にちょこんと座り込んだ。
短い時間ながらも眼鏡をかけたことで、ローグの眼鏡への憧れはますます強くなってしまった。
自分の眼鏡が欲しい。毎日きれいにレンズを磨いて、アクセサリーボックスの一番大きなところに仰々しく飾って、時々お洒落としてかけて……。想像は日に日に膨らんでいった。
しかし、その眼鏡はといえば、学長の部屋のガラスドームの中か、博物館にしかない。
学校帰りにもう一度博物館に行って、どんなに古くて壊れた眼鏡でも良いから売ってくれないかと頼んだが、顔見知りの学芸員に呆れた顔をされて追い出されてしまった。
「……あとは、学長室に忍び込んで盗むしか」
そこまで言ってから、ローグは口を覆った。
「さすがにダメだよ! 眼鏡と一緒に牢獄行きになっちゃったら、眼鏡に申し訳ないもん!」
そう自分に言い聞かせて心を落ち着ける。しかし盗みを働く心は落ち着いても、眼鏡への憧れの気持ちはちっとも落ち着いてくれなかった。
「……しかたない。明日、人間界に行こう」
翌日、ローグは一人で人間界に行き、眼鏡鑑賞をしていた。しかし今日に限って、眼鏡をかけている人は少ない。
「どうしてだろう。たまたまかな」
今日はあいにくの雨だ。おかげでテラス席が閉鎖されている。せめてと思い、窓際の席を選んだが、単に見つけられないだけだろうか。どんな理由にしても、ローグは悲しかった。
――人間界に来れば、素敵な眼鏡が見られると思ってたのに……。
「……あの」
突然現れた声に顔を上げると、ローグと同い年くらいの青年が立っていた。
「これ、よかったらもらってくれませんか?」
そう言って差し出されたのは、べっ甲の眼鏡だ。
ローグはガタンッと椅子を倒しながら立ち上がった。
「えっ! こ、ここ、これって、べっ甲のメガネ!?」
「べっ甲風の眼鏡です。プラスチックでできてて」
「プラスチック?」
ローグが首を傾げると、青年は優しい笑顔で頷いた。
「でも、何でてきていても眼鏡は眼鏡ですもんね。い、良いんですか、本当にもらって」
もらう気満々でも一応お行儀よくそう尋ねる。
「はい。いつもうちに来て、ケーキを注文して、眼鏡の人を見てるでしょう。でも、ちょっと話を聞いてたら、なぜか眼鏡が買えないみたいだったから、俺のお下がりで良ければあげようと思ったんです」
「聞かれてたんですね、恥ずかしい」
「いつもお茶を注いでましたよ」
そう言われてみると、確かにこの青年の顔には見覚えがある。ローグはいかに自分が眼鏡をかけている人以外に興味が無いかを思い知った。
「そういえばそんな気がしてきました。すみません、気が付かなくて」
「いいえ。眼鏡してないですもんね、俺。ちなみにこれ、伊達眼鏡なので、視力関係なくかけられますよ」
「えっ! じゃあ、今も?」
「はい」
震える手で青年から眼鏡を受け取ると、ローグはゴクリとツバを飲み込んだ。
夢にまで見た自分だけの眼鏡だ。こんな形で手に入れることができるなんて。
ローグは胸にこみ上げてくる様々な思いを、もう一度ツボで飲み込んで、カチャッと音を立てて眼鏡をかけた。
すぐに青年が鏡を差し出してくる。
「やっぱり。想像通り、よく似合いますね」
魔法使いに眼鏡は必要ない。
高度な治癒魔法が誕生したことで、視力が落ちても調節することができ、日が眩しくても日よけができるからだ。そのため、魔法界には眼鏡もサングラスも存在しなくなり、長い時間が過ぎた。しかし――。
「最近はね、ちらほら眼鏡をかけている魔法使いがいるんだ。唯一顔に身に着けられるお洒落として、価値が見直されてるみたい。町を歩いてると、いろんな眼鏡とすれ違ってすごく楽しいんだ」
「よかったな、ローグ」
青年は嬉しそうに微笑み、ローグの空になったコップにお茶を注いだ。その目元にも、金縁の眼鏡が光っている。少しだけ大きいべっ甲風の眼鏡をかけたローグは、にっこりと笑った。
「うんっ。やっぱり眼鏡って素敵!」
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