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死ぬほど嫌いだった親父の介護がはじまる。


1.親父からの電話

「なんでもっと早く退院させないんだ!どうせ死ぬんだから早く帰らせてくれ!」

入院中の親父からだった。末期ガンで余命1~2ヶ月。
退院まで10日以上かかると看護師から聞いて不満だったようだ。

「こっちも受け入れ体制を整えなくちゃいけないから」

わたしがそう説得しても、
「どうせ死ぬんだから、そんなのいらねぇ!そんなこと言ってると帰ってから日本刀でぶった斬るからな!」

…昔からこんな感じの親なんです。


2.親父が死ぬほど嫌いだった

わたしが小さいころの記憶は酔った親父が母に暴力を振るい、姉と2階に避難したこと。
意味もわからず、いきなりキレて茶碗を投げつけられたこと。

こんな記憶ばかり。

わたしが思春期を迎えるころは「死にたい」願望でいっぱいでした。
中学のころは母親に「お願いだから親父と離婚してくれ!お母さんについてくから!」と、
お願いしたこともあったぐらいです。

20歳のころ、家を飛び出し東京でひとり暮らし。
それから10年ほど親父とは会いませんでした。

結婚して地元に帰ってきても相変わらず親父との仲は悪く、わたしが何かはじめても「どうせお前は失敗する」そんなネガティブ発言ばかり。
死ぬほど嫌いでした。


3.人間は環境に順応する?

あまりにも嫌なことが多かったからなのか。
40歳を過ぎたころ、やっと親父の嫌なところを「ネタ」にして笑えるようになりました。

なぜ、そうなったのか自分でも分かりません。

とにかく「おもしろがらないと損だ!何かおもしろいネタを提供してくれ」と思えるようになりました。

4.ネタ・エピソード

建設関係の仕事をしていたときの話です。
現場が実家の近くだったので昼食は実家に寄って食べることにしました。

親父と母親、わたしの3人で昼食をとっていたときです。
母親が親父の過去の女性関係についてグチりはじめたんです。
普段あまり言わないのに、わたしがいることで安心してるのか、しつこく言ってました。

そのときです。
親父がキレました!

「うるせー!」
持っていた味噌汁を投げつけ、それがわたしに当たるww

「えーー!?おれ仕事中なのにどうすんだよ、これ!」
気まずい雰囲気を壊すように2階へ駆け上がる親父!

「危ない!逃げて!」

急におれの腕をつかみ、おれを引きずるように外へ逃げ出す母親!

「なんで?!なんで逃げんの?!」
靴もはかずに逃げ出す母親をみてパニックになる、おれ。

「お父さん2階から日本刀持ってくるから!」

「いや、そんなバカなぁ」
そうは言ったが、ふと昔を思い出す。

「そういや日本刀の模造刀(切れないやつ)が2階にあったな」

とはいえ、そんなの持って脅すとは思えない。

「おれもそろそろ仕事行かなくちゃいけないから、家に戻ろうよ」
日本刀なんて持ってくるわけないと思い、母親を説得して家に戻る。

扉を開けて家に入ると、日本刀を持って立ち尽くす親父...
「持ってるやん!松方弘樹かよっ!?」

「まぁまぁ、落ち着いて」
親父をなだめ、日本刀を2階に戻してくるよう諭す。

母親が「最近、日本刀持って脅してくるんだよ。この前も追いかけられた」

どんなケンカだよ!時代は平成なのに…。(その当時はまだ平成でした)

わたしは帰り際、親父に言いました。

「今日の話はネタにさせてもらうからな。それが嫌だったらもうやるな」

しかし、そのあとも同じようなことが起きたので懲りてないのでしょう。


4.ガン宣告

「たぶん肝臓ガンになってると思います」
昔からお世話になってる病院の先生から呼び出され宣告されました。

「本人が精密検査を拒否してるから詳しくはわからないけど、血液検査の数値を見ると肝臓ガンだと思う。検査した方がいいって言ってるんだけどね。本人が言うことを聞かない」
病院の先生も困っていた。

でも本人が検査どころか、病院にも行きたがらないんだからどうしようもない。
今後の医療方針として、痛みを抑える「緩和医療」に決めました。

5.最期の日が近づく

病院の先生からガン宣告されて半年がたった今年の正月。

それまで「不味くて飲めない」と、好きだった酒が飲めなくなってたのに、「今日はビールが美味い」と奇跡的にビール中瓶1本開けてた。

次の日には、わたしの息子も交えて3人で酒を飲みました。

しかし、翌日に熱を出して救急車で救急搬送。
精密検査の結果「余命1〜2ヶ月、末期の肝臓ガン」と正式に宣告されました。

本人が治療を拒否していることから退院が決定。
再来週に退院することになりました。

これから自宅介護がはじまります。
母親の負担を減らすために、わたしも手伝います。

わたしと同じ世代で親の介護をしてる人、これからの人のために、
介護についての情報を発信していきたいと思います。


6.追伸

どんな親父? キ○ガイ四天王!

親父は昔から地元では変わり者で有名でした。
「この地域にはキチ○イが4人いる。その一人がお前の親父さんだ」
わたしが高校生のころ、近所のおじさんに言われたことがあります。

そんな親父の経歴は...

昭和20年8月14日 生まれ。
血のつながった父親(わたしの祖父)は昭和20年1月 台湾海峡で戦死。
父親の顔を知らないで育つ。3才のころ母親(わたしの祖母)が再婚。

その家にいたヒロポン中毒者にさんざんイジメられたそうだ。
地元の学校に通い、中学まではマジメ。野球が大好きで高校でも期待された。
…が、病気になり野球を辞める。

そこから親父の不良人生が始まるのだった。

ケンカに明け暮れ、知らない人はいないと言われるまでになる。
高校3年のとき、パーティー券を派手に売りさばいていたことがバレて、退学...ではなく編入。
当時ではかなり珍しい!先生には好かれていて助けてもらったそうだ。
田舎の栃木県から東京の国士舘高校へ。

そして専修大学に合格、応援団に入り親衛隊長になる。

卒業後は地元に戻り、実家の酒屋を継ぐ。
生活は昔と変わらず、不良街道まっしぐら!

酒屋は景気がよかったらしく、海外旅行や夜の街で派手に遊んだらしい。
毎月の自由に使えるお小遣いは100万円を超えていたと言うのだからスゴい。

今の時代じゃ考えられないことばかりww


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