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みんな、誰かの為にやる

組織の大きさや環境により、置かれる立場は変わってきます。

大きな組織の中の与えられた場所で一つのコマとして働くとなれば、経歴や属年数によって、今より大きな仕事する為には順番待ちのところもあるかもしれません。現場のレベルで言えば、野球選手が同じポジションでノックを受けた瞬間、同僚の能力が自分より上かどうかが、瞬時に分かると聞きますが、それと同じ事があるかもしれません。

そんな時自分の気持ちを優先させると「なぜあの人より自分の方が待遇が悪いのか」となるのです。雇われの場合特にだと思いますが、人との出会いで、立場が左右されることが多いように感じます。評価してくれる人、また大胆な行動が出来る人がいるかどうかが大きいのです。

そんな立場に置かれている場合でも、しっかりと存在意義はあるのです。家族と自分を食べさせているのです。

国としてみても、基本的な存在意義の一つは、国民をたべさせる事ができるかどうかにあります。古代の仁徳天皇の民の竈の話にあるように、宮殿から陛下が街を見て、庶民の竈から煙が上がっていない事に気づかれました。それを見て国民が食べることに苦慮しているとご判断され、しばらく税の徴収を中止したのです。宮殿の屋根の葺き替えなどは後回しされたのです。数年し、民の竈から湯気が上がるのをご覧になったのですが、すると今度は国民側から宮殿の屋根の葺き替え作業に率先して参加するという声が上がったと聞きます。

話が逸れたようですが、要は大切な人を護っている時点で、とても尊いのです。命を絶やさずに繋いでいるのです。

組織の中で力が無かったり、所謂出世コースとは無関係な人でも、内閣総理大臣でも皆一緒で、誰かの為にやるのです。


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