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Monsieur Fのフランス語り その1【Rencontre~フランスとの出会い】

Rencontre~フランスとの出会い

MonsieurFです。Tomoyaさん、Shizukaさん、Sandraさんと運命的な「出会い」をし、このOtasukéをOtasuké、というかOjamaさせていただいています。これから、不定期に頭に浮かんだことをまとめていきたいと思います。よろしくお願いします。

「Rencontre」…。一体、僕がこのフランスという国と初めて「出会った」のはいつか。記憶をたどってみると、多分キーワードは「神戸」「母親」「音楽」ではないかと思います。

1970年代、僕は神戸に住んでいました。元町の「にしむら珈琲」ではカフェオレが、三宮の「ドンク」ではクロワッサンが、そして芦屋にいけば、フィリップ・ビゴがバケットを焼いていて、それはそれはフランス文化に囲まれた地域でした。

ウチの母は徹底的な西洋志向の人で、お米よりパン、お茶よりコーヒー、そして映画も、寅さんよりアラン・ドロンという感じで、ある意味鍛えられました。何しろ、小学校の時には、もう「Plein Soleil(太陽がいっぱい)」に連れていかれたくらいでしたから。

同時に僕はエレクトーンを習っていましたが、教材にはChanson Françaiseが並んでいたんですね。Michel Polnareffの「Tout, tout pour ma chérie(シェリーに口づけ)」、すっかりメトロのミュージシャンでおなじみの「Le temps des fleurs(悲しき天使)」、Joe Dassinの「Siffler sur la colline(口笛のなる丘)」などなど。昭和歌謡にも通じるメランコリックな響きを、練習するうちに、音感だけでなく、フランス語感も自然と備わったのだと思います

このように「出会ってしまった」フランスなのですが、毎年毎年ビジネスやバカンスで訪れると、必ずすばらしい「出会い」があります。

「命の泉」として名高いLourdesの近くのChambreに滞在した時には、随分オーナーの方と懇意になりました。航空関係の仕事をリタイアされて田舎に移住したそうで、日本経済の話から、教育問題、地域失業問題までかなりシリアスな議論を朝ごはんのテーブルでしたものです。最後は「君、ここに就職したら?」と、ヘリコプター会社のマーケティングの職を紹介されたのは閉口しましたが。

ローマ時代の水道橋、Montpellier郊外のPont du Gareを散歩していて、道に迷ったことがありました。ようやくホテルを見つけた時は、砂漠でオアシスを見たような気がしたくらいです。親切な従業員が気を利かせて、Sirop de l’eauとCaféを出してくれました。すっかり感動し、今晩はDinerに来るね!と勢いで約束してしまいました。相当高額になってしまったのは財布に痛かったのですが。

またいつぞやは、Gers県のMirandeという町のMarcheに行った時、古本屋にいたオジサンに「君たち日本人?」とナンパ、というか誘拐され、彼の車に押し込まれて、周辺観光に連れていかれたことも懐かしい経験です。挙句の果てにお宅に昼から呼ばれて、奥様の手料理をご馳走になったという経験もありました。

国境が遮断され、すばらしい出会いを切り裂いてしまうコロナウィルスを恨むばかりですが、そのおかげでOtasukeのオンラインカフェやバーチャルツアーのような、新しい生活様式での出会いも始まりました。ワクチンが普及し、またクロスボーダーでの交流が再開した暁にお目にかかれるかと思うと、むしろワクワクする気持ちです。来るべき日のために、Otasukeの企画には時間が許す限り出席し、仲間をふやしていきたいですね。

(つづく)

書いた人:Monsieur F

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