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忘れもしない日 ~人生のターニングポイントvol.6~ 告白

なんかサブタイトルが『北の国から』っぽくなってきた・・・

2月2日奇跡の出逢いにより、

前だけ向いて進んでいこうと決めた私には、

まだやらなければいけないことが残されていました。

それは、事故に遭い心配してくれていた、

祖父母や友人へ切断したことを告白することです。

2月6日(金)
祖父母が事故直後に入院していた病院にお見舞いに行ったら、
「退院しましたよ」と言われ、安心したと、私の携帯に電話がありました。

前を向くと決めた私は、
「ばーちゃん、驚かんで落ち着いて聞いて」
「退院したんやないんよ。病院を変わったんよ」
「それでね。落ち着いて聞いてよ」
「脚をね。切断したんよ」

電話の向こうで、
「なんでね」
「なんでね」
と泣く祖母の声が聞こえ

私も涙があふれ、
「ごめん」「ごめん」
「でも、大丈夫やけん」
「前と同じように、何でもできるようになるけん」

この日の日記には、
祖父母に切断したことが伝えられ、胸のつっかえがとれた。
と書いています。

病室3

2月7日(土)
祖父母がお見舞いに来ました。
車の免許を持っていないばーちゃんは、
じーちゃんの運転で一緒に病院にきました。
でも、病室に来たのは、ばーちゃんだけでした。

じーちゃんは、戦時中の人で、脚を失った孫を見ることが出来ないと、
駐車場までしか来れなかったのです。
(戦争で足を失った軍人さんの生活を見ているからこそ、孫の姿が見れなかったのだろうと思います。)

この時、私の中で一つの目標が出来ます。
『病室に来れないなら、リハビリを頑張って、歩いて駐車場までじーちゃんに会いに行く』
この目標を、早急に達成するために、めちゃくちゃリハビリしました。

2月8日(日)
外出の許可が出ました。
入浴許可が出ました。
その日の夕方、高校時代の親友たちが、お見舞いに来たらしいが、顔を見せずに帰ったとのことでした。
やっぱり、親友が切断したって聞いたら、どんな顔で会って、どんな言葉をかけたらいいかわからなかったらしい。

だから、逆に友達たちには、こっちから電話をかけまくった。
とにかく、明るく元気よく電話したのを覚えています。

当時、熊本県に住んでいて、入院していたのは実家がある北九州市の病院でした。
熊本のリハの学校の同じアパートに住んでいた友達にも電話をかけました。
1時間くらいかな、いろいろ話をして、電話を切って、3時間後、
病室を『コンコン』とノックする音が、
「はーい」と返事をすると、
3時間前に電話をしていた友達がレンタカーを借りて、友達数人と会いに来てくれました。
これは、めちゃくちゃ嬉しかったなー。

2月9日(月)
リハビリが開始される。
リハプログラムは、片脚立位訓練、立位での踵上げ、切断肢への弾性包帯の巻き方指導でした。
リハ学生で実習で、患者さんにリハビリをしたことは、ありましたが、自分でリハビリを受けてみるときつかったですね。

この時、もう一つ目標が出来ました。
『絶対9月までに復学する』

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