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大好き!火の鳥 『異形編』【マンガ感想文】

 こんにちは。
 "キャンパスライフ"という単語を見る度にZ会のCMが脳内で流れ出すオタク、深夜区トウカと申します。

 今日は学校図書館にありがちな漫画でありこの世の漫画の中でも最高の作品の一つであることは間違いない、手塚治虫『火の鳥』を今日読み返したので大好きな一編である『異形編』の感想を書いていきます。
 今回は解釈・考察といったものはなく、本当に感想のみとなります。かなりのハイテンションで書いた記事ですので皆さんもノリで楽しんでください…!

当然ですがネタバレを含みますのでその点は注意です!では行きましょう!

キャラデザ良すぎ罪

 早速感想に入るが、内容の前にまず絵がうますぎる!背景もしっかり描かれているし(線が一定なので今の価値観からすると若干古めかしいが、それも味だと感じられる)、なによりもキャラの顔が良い。若武者左近介が普通にカッコいい。
 このキャラデザは十分に現代でも通用する代物である。
 そして、そんな若武者が実は女性、というキャラクターの描き方は、もはや革新的と形容する他ない。あまりにも魅力的なギャップの描き方。フェチズム。
 そういった仕掛けに慣れた我々からしても新鮮に見えるのだから、これが発表された当時どれだけの衝撃を世に与えたのだろうか、と考えてしまう。

 また、「本人は望んでいないのに(父を助けようとした尼を切った理由もしかり)男として生きる事を強要されている、女として生きたい」というアイデンティティを否定された上でのメッセージも現代のジェンダー問題に通ずる部分があるとも感じる。
 なんにせよ、この深いキャラクター作りはあっぱれというほかない。

描いてるテーマ良すぎ罪

 そして、時間逆光というテーマもまた目新しい。それらを武者と尼にやらせるというのがいかにもSF作家であり歴史作家でもある類稀な巨匠、手塚治虫のセンスという感じがする。
 その時間逆光の描き方も変に理屈っぽくなく行動で示されているので分かりやすい。

 特に、可平が山を降る時の「下へ下へ降りていたはずなのに山頂に居た左近介の後ろに出てしまった」という場面はジョジョ4部の「オーソン横の小道」を連想させる。
 ジョジョ4部連載の実に十数年前からこの技法が極められていたというのは驚きである。

 読み進めていくうちに印象に残ったシーンの一つが、尼の格好となった左近介が傷を負った魑魅魍魎を治すシーンのナレーションである。
 曰く、「妖怪変化たちは後から後からやってきた およそ これほどさまざまな形をした難民たちを見た者はなかろう 彼らは恐ろしさよりもむしろ こっけいで あわれであった」。
 これは、病や障害を抱えている人達の比喩とも取れる。
 「恐ろしさより滑稽だった…」というのは、なかなかに力を持った言葉だ。
 たしかに、不格好になるともはや恐ろしいというよりもどこかぎこちなく見える時もある。その上で、左近介はそれを治している。

 この時点で彼女は八百比丘尼たる精神を持っている、といえよう。

ストーリー良すぎ罪

 そして、この因果応報の描き方…!これ程までに因果応報という言葉の似合うストーリーが未だかつて存在しただろうか?
 八百比丘尼を斬った結果、時間が逆行して自分自身が八百比丘尼になってしまい、その内に自分(若武者左近介)が産まれ、最後には自分に斬られる。
 そして、そのループがまた繰り返していく…。あまりにも衝撃的なシナリオ。
 その際に現れた火が鳥の言った、「あなたは人殺しの父を憎んだ。それなのにあなた自身人を殺したではないか?」「罪は同じです!!だから裁きを受けるのです」という言葉も印象的。
 ここでもジョジョ5部のラストを彷彿とさせる「未来永劫あなたは繰り返し殺され続けるのです」という言葉が登場している。 
 私にとっての原体験はジョジョなので、火の鳥を見るとこの頃からそういったアイデアが形になっていたのか、という点に驚かされる。

火の鳥理不尽過ぎ罪

 ただ、火の鳥のいう「罪は同じ」という言葉は最もだけれども、左近介の「でも父が助かればもっともっと大勢の人間が殺されたわ」という言葉の方がどちらかというと正しく思えるので火の鳥自身の思想にはやや反対の立場である。
 人を殺すことの良し悪しは別として、"この犠牲があったからこそさらに大きな被害を防ぐことができた"という事例は確実に存在するからだ。

 それを無視して正論を突き付ける火の鳥は少々理不尽…というか、火の鳥自身が理不尽の象徴か…。
 なんというか、火の鳥(もちろんキャラクターの方)というのはいかにも"人間としての限界を無視した机上論理的な正義の象徴"というイメージがある。
 その上、人間に少しの希望を見せるのだからいやらしい。その辺りは正に"神様"という感じである。

『異形編』の真相

 異形編のストーリーを論じる時に肝心となるのが、"左近介は同時に2人までしか存在できない"という事と"左近介が産まれて20年経つと入れ替わる"という部分である。
 つまり、年齢の違う左近介が同時に存在することは可能なのだ。
 これは同時に2人以上の同一人物が存在可能な世界であるという事を示しており(冒頭時点から2人同時に存在しているわけだが)、それを踏まえるとSFとしては少しイレギュラーな感じがして面白い。

 一応この作品はループものというくくりに入るわけだが、一般的なループものと違い過去を消し去ったり並行世界に行ったりしない(無知な状態の左近介と全てを悟った状態の八百比丘尼ということで解釈によっては並行世界と言えるかもしれないが描写を見るに冒頭と結末とは全く同じ世界である)。
 そしてループものにありがちな"ループを壊す"という事もしていないためあの場所だけ延々と同じ体験を繰り返しているのだろうということがわかる。
 同じ無制限に繰り返される物事だとしても突然変異を起こしたりガンという失敗作を作ってしまったりする細胞分裂の方がまだ有意義である。
 完全なループとはそれ即ち完全な無ということだ。

 それを踏まえた時、火の鳥の語る「20年の間無限に訪れるすべてのものの命を救えば罪は消え、その時は外の世界に逃れられる」という言葉は面白い。
 これは正に、"現世という輪廻転生からカルマを精算し解脱する"という仏教的思想である。繰り返す苦痛からの脱却が理想なのだ。
 全体的に火の鳥は仏教思考だが、特に異形編はその色が濃いと感じる。

 やはり、オチまで完璧な作品だ。唯一気になる点といえば可平もなぜかループに巻き込まれている点(最後の方でもう1人の若武者左近介が現れる時も隣にいるので、その可平もループに巻き込まれると思われる)だが、それに目を瞑れば無駄なシーンが一つもない一編である。
 正に傑作、怪作。

 大好き!火の鳥 異形編

あとがき

 実は、この記事にある内容は当初公開する予定ではありませんでした。
 単純に『火の鳥』を再読したのでその感想を簡単にまとめよう、くらいに思っていたのです(故に本文は敬語調でないのです)。しかし、それは大きな間違いでした。

 人間とは、一度『火の鳥』の感想を書き出したら"簡単にまとめる"ことは出来ない生き物だったのです!

 気付いたら文字数は2,000文字を超えており、せっかくならnote記事として公開してしまおう…ということで急遽こういった形での公開となりました。
 他人に見せるために書いた文章でないのが若干不安ですが、興奮しながら書いたので面白い感想文になっている…はず…!

 ちなみにあえて編ごとにランキングを付けるなら私は1位が『未来編』、同列2位が『異形編』『鳳凰編』、大混戦ですが4位は『復活編』か『太陽編』になるような気がします。
 編ごとに、と一口に言っても切り口が全く異なるので(『未来編』に至っては『黎明編』の続きだし)難しいですが、色々考えてみるのはなかなか楽しいです。
 特に、壮大さの『未来編』、完成度の『鳳凰編』は甲乙付け難い…そこはもう個人的な好みですね。短編(文庫一冊を埋め尽くさない程度)だと『異形編』が一位かな、と思います。

 皆さんはどのお話が好きなのでしょうか?
 きっと、この問いに対する答えが無数にある、というのが火の鳥が名作たる所以ですね。

 ここまでお読みいただきありがとうございました!


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