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広告批評を読む(#3)

広告批評を読む、第3回は126号を取り上げます。

『特集 大総括・広告の80年代』と題された本号では、80年代という10年間がどのような年であったかを検証する特集です。これだけ俯瞰的にその当時の広告を見るということも、なかなか無い機会だと思いますので、タイムマシンに乗ったつもりで一緒に当時を追体験して行きましょう。

広告批評126号, マドラ出版より引用

80年代を振り返る前に、それ以前がどのような時代があったかもせっかくなので振り返ってみましょう。80年代はその時代が単独で成立していたわけではありません、点ではなく線で理解しようというのがその目的です。

1940年代(1945〜1949)「混乱から再生への時代」
1950年代(1950〜1959)「復興から成長への離陸期」
1960年代(1960〜1969)「高度成長最盛期」
1970年代(1970〜1979)「翳りの中の調整期」
1980年代(1980〜1989)「成熟化と情報化の時代」
1990年代(1990〜)「豊熟消費時代」

広告批評126号より引用

わたし達は、80年代をどう認識しているだろうか?

皆さんご存知、米国のエズラ・ボーゲルという大学教授が「Japan As Number One」という著書を発表したのが1979年。80年代は三菱地所がロックフェラーセンターを買収するなど、何それ?と思わざるを得ないほど天狗になっていた日本が束の間の好景気を楽しんでいた時代。直ぐその後にバブル崩壊、そして長期不況という長いトンネルに突入するまでの短い短い春、80年代はそんな時代。

90年代が消費社会が成熟した10年であるなら、80年代(特に後半)はその消費社会の入口に立ち始めていた時代だったといえるでしょう。

広告コピーから見る80年代

広告批評126号, マドラ出版より引用

80年代を代表するコピーが「おいしい生活」です。このコピーを語るうえでは、糸井重里という人間を語らない訳にはいかない。

糸井氏の印象に関しては、広告会社に就職し広告制作に携わるようになって「この人はコピーライター」と知ったけれど、それまではボキャブラ天国とかトリビアの泉とかに出てるタレントさんという印象しかなかった。(今は「ほぼ日」の人)

"おいしい生活"の影響

広告批評のバックナンバーを読んでいると感じるのだけど、1980年代までは政府公報や選挙広告について言及されている箇所が少なくなかったし、実際に80年代を振り返る本号(126号)では政府広報と選挙広告の振り返りにページが割かれている。しかし、90年代に入ってからは政治が全く語られなくなるのだ。

言葉が平熱化した

言葉が、何かを熱く語ったり、説き伏せたりするためのものでなく、状況を醒めた目線で語っていく、そういう形で機能することが多くなってくる。

広告批評126号, マドラ出版より引用

この平熱化。もう革命とか闘争とかそういうの要らないから自分の生活の質を高めていきたい、そんな気持ちが多くの人に行き渡ったのか、熱さを極力無くすというのは企業の広告制作に対する姿勢にも明らかに反映していて、

商品を熱い送り手(企業)の側の視線でとらえるのではなく、無防備に向こう側、受け手側(世の中)に放り出す。そこで想定されるコトバが、そのまま八〇年代の言葉として機能した。

広告批評126号, マドラ出版より引用

1960年代〜70年代にかけては、より大きく、より速く、より高く、より美しく、合理性と効率性、経済成長を追い求めた論理から転換して、「正しい」より「おいしい」、「いい」より「面白い」という基準が求められるようになる。より感覚的に。

軽薄短小

またバックナンバーを読んでいると「軽薄短小」という言葉が度々登場する。それって悪口なの?と思ってしまうんだけど、どうやらそうでもないらしい。

80年代における政治のタブー化は、そもそも70年代の反動でもあった。凄惨な連合赤軍事件の帰結に象徴される社会運動の挫折。重厚な正義を掲げていた社会運動の欺瞞が明るみになり、代わって軽薄さこそが称えられるものになる。

WIRED DEPOT #11篠田ミルより引用

90年代にはフジテレビの番組「ボキャブラ天国」というのが大流行りした。糸井氏も審査員として多く出演していたが、この番組は大人の言葉遊びというか、社会風刺の顔をして露悪的に振る舞うというか、社会に対して決して熱くなることなくニヤニヤしながら一言挟むのがカッコイイ(というか面白いのがカッコイイ)という雰囲気をばら撒いていたように思う。結局それって今のお笑い芸人至上主義やTwitterでの一億総大喜利時代、総評論家時代を目前にした姿だったわけで、時代は繋がっているというのをまざまざと感じさせられます。

とはいえ、篠田ミル氏が指摘するように「わたしたちは、政治的・社会的な争いを遠ざけてくれる“おいしい生活”のトリップから醒めなければならない」時がきているように思う。

「おいしい生活」という名コピーを生み出した糸井氏は80年代から40年が経つ2020年代においても未だ影響力を持っていることにわたしは驚きを隠せない。

彼の言う「責めない」というのは、「自粛!」とか「マスク!」を巡って言い争いが絶えなかったことへの警鐘だとは思うのだが、一億総中流時代なんて幻想からはとっくに目が醒めた私たちは、自分達の居場所を確保するための(比喩的な意味での)闘いというのが必要性をひしひしと感じる。仮にそれすらも否定されてしまうのは息苦しすぎる。

こういう話をすると世代間対立を煽っている!とか言われるけど、そうじゃない。

例えば、多くのNPOやNGOなどが苦しむ人に手を差し伸べようともがきながら活動している。彼ら彼女らは、苦しむ人たちの利益を守るために意見を主張し議論を戦わせている。権利(それが何であるか明確にするのは難しいのだけれど)が侵害されている時、それを守るには闘争が必要だというのをわたしたちは身にしみて知ったと思う。口を開けて待っていても、誰も自分達を尊重してくれることはないことを知っている人なら尚更だ。

声が大きすぎるレジェンドが居るというのは厄介なことであるな。

しかしまぁ、何十年と語られ続ける広告コピーというがあるというのはやはり驚きである。時代の空気感というのは掴みどころがないものだけど、それを上手く言語化できた途端にそれは日本全国に広まっていく。そんなコピーが、現代ではどれだけ生み出されているのだろう?

広告は多くの人にとって不要なものなのだろうけれど、"あって良かった"と思われるものになる可能性もある。わたしは、これからもその”あって良かった”と思える広告を探して批評していきたいと思う。

不味い、、、もっと書くべきことがあったのに。。それは次回に回すとします。





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