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ぼくはエッセイが苦手だ。

わたしはエッセイが苦手である。昨今、芸能人もエッセイを書くし、市井の人々もエッセイを書く。オンラインサービスのnoteなんてそのためにあるのではと思うくらい、エッセイの投稿は多い。

しかし、わたしはエッセイが苦手だ。どうして苦手かというと、あまりに個人的なエピソードが多いからだ。そして、その語り口が鼻に付くこともあるし、結局はその自分語りがわたしにいっこうに染み込んでこないからというのが理由なのかもしれない。

そう考えてしまうには心当たりがある。

わたしは近しい人からは「我が強い」「プライドが高い」と言われることがある。それは自分でも認めるところである。そして更に近しい人(それは家族であったりするのだが)からは、「その割には自信が無い」と思われている。それも自分で認めるところである。更には「他人と比較してしまう」という良くないオマケまでついてきてしまっている。

だから、エッセイを読んでも反発心しか生まれてこない。そしてそんな風だから、わたし自身のことを語ることもかなり臆病になる。「わたしの話なんて聞いても面白くないでしょう」と。だから、エッセイは読むのも、書くのも苦手なのだ。じゃあこの文章はなんなんだよ?と問われるだろう。これは、自己反省のようなものだ。

最近読んだ本がある。『古くてあたらしい仕事』(島田潤一郎著)。ひとり出版社の夏葉社の代表である。これもエッセイなのだが、正直なところ前半部分は内容どうこうではなく読み進めるのが苦であった。理由は単純で「あぁ、また誰かの成功譚を読まされるのか」「自分語りは他人が聞いてて心地良いものじゃないな」とか考えながら読んでいたからだ。かなりの偏見である。

結論から言えば、よくあるビジネス本のような成功譚は書いていないし、淡々と島田氏が夏葉社を設立してからの十年を綴っていたものだ。そこに成功をひけらかすような意図もなければ、カッコ良く見せようなんて意図は皆無である。問題はわたしの方にあって、単に羨ましいと思っただけだろう。

わたしも「ひとり出版社」を作っている身ではあるが、まだ設立したばかり。しかも商業出版としての第1冊目は現在制作中の未完である。出版社といえば少し格好がつくかもしれないが、吹けば飛ぶような零細企業、明日辞めてもおかしくない吹かなくても飛んでいってしまうくらいのものだ。

そんな鬱々とした気分で読めば、とんでもない偏見を持って読んでもおかしくないだろう。とはいえだ、夏葉社は十年も出版社を続けている。十年前、わたしはまだ会社員だ。その十年という積み重ねを無視して良いわけがない。

そして、本誌を読み終えた後にまた反省するのである。

わたしは何を比較していたんだ。全くもって烏滸がましいと。

わたしはエッセイが苦手なのではなく、他人への接し方がとんでもなく下手くそなのである。どっちが上でどっちが下かとか考えるし、他人より上手くやれているか気になるし、褒められ慣れてないから良いことを言われても裏の意図を読んでしまう。とまぁ、他人の物語をどう消化してよいか分かっていないという、そんなお子ちゃまなのである。

けれど、これからわたしは色々な人に文章を書いてもらいたいと思っている。そして出来れば白蝶社で本を出して欲しいと思っている。だから、そんな比較なんてツマラナイことをせずに純粋に他人の書く文章を楽しんだらいい。

ある意味でわたしはこの本を読んでひとつ学んだだろう。積読している『文學界』九月号の特集「エッセイが読みたい」読まなきゃだな。

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