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広告批評を読む(#1)

記念すべき第1回は1990年2月号を読みます。

巻頭特集は「正月広告夢くらべ ‘60 vs. ’90」。正月広告なんてどれくらいの人が目にしただろうか?特に今回紹介する新聞広告などのグラフィック広告を目にした人は相当少ないのではないか。それもまた昔とは違う点に相違ない。

広告批評(125号),マドラ出版より

当該誌が発行された90年当時から遡って30年前が60年代。ことし私たちは2023年を迎えたわけですが、1990年からほぼ30年経ったことになります。60年代、90年代、2020年代、制作された広告はどのように異なるのだろうか?

家電製品

広告批評(125号),マドラ出版より

90年代の広告として松下電器産業(現パナソニック)、60年代の広告として三菱電機が取り上げられていた。その当時は、消費社会真っ只中。お正月などは新年の清々しい気持ちに合わせて、家の中の電化製品も買い替えてしまおうといった意欲も旺盛だったに違いない。記事内で執筆者の天野氏は以下のように語っているが、

それにしても、電器メーカーがぼくらにワクワク・ストーリーを聞かせてくれるのは、ずいぶん久しぶりだな、という感じがする。

広告批評(125号),マドラ出版より

この翌年1991年にはバブル崩壊で不況に突入していくのだが、電化製品などのモノを作るメーカーが消費者を楽しませてくれる時代があったとは、若い人たちは到底信じられないかもしれない。同じモノを欲しがる時代なんて、もう来ないだろうなぁ。さて、ここで引用するのが2023年、今年の元旦に日経新聞に掲載された元日広告である。パナソニックは出稿していなかったのでキヤノンを取り上げる。


日本経済新聞, 1/1付より引用

見て頂ければ分かることですが、森にある大きな木が映っています。キヤノンが取り扱うデジカメや企業向け製品の姿はありません。キヤノンのような一般消費者向けの製品を取り扱う企業であっても、メーカーと呼ばれる企業は自社が社会に対して、環境に対してどう向き合っていくのか?ということをアピールするだけになりました。企業の社会的責任(CSR)や、最近でいえばSDGsのような内容しかメッセージに値しないのかもしれません。特に新聞広告のような比較的真面目な広告媒体においては特にそうでしょう。少しでも、脇の甘い広告を出そうものなら「他にやることあるだろう!」とお叱りの声を頂いてしまう。90年代の広告が懐かしいとも、良いとも思いませんが、メーカーが消費者にとってワクワクを与えられていないのは、我々がモノを欲しくなくなったからでしょうか?

次に取り上げたのは住宅関連の広告です。

住宅関連

広告批評(125号),マドラ出版より

正月からコンクリートの広告なんて正直見たくないなぁと思うけど、こんな広告が掲載されていたんですね。麻布コーポという分譲マンションの話が載っていてこう書いてある。

もっとも、この広告を丹念に見ていると、「なんだ、こりゃ」と思うところがいろいろ出てくる。たとえば、「設備」のところを見るとこんな調子である。

『5階〜11階建/エレベーター/ボイラー/冷暖房/タイル浴室/電話/原爆放射能予防室/プール/ゴルフ練習場/その他完備』

広告批評(125号),マドラ出版より/強調は筆者による

今もこの建物があるのかどうか分からないが、結果的にあって良かったのかもしれない。買った人はそう思ってたかな。

さて2023年の広告は積水ハウスの広告を紹介したい。
こちらも建物の写真など一つもない。女優の安藤サクラ。

日本経済新聞, 1/1付より引用

普遍的な「望郷」をテーマにして、なつかしい故郷への想いに、未来へのサステナビリティな願いを重ねながら、これからもひとりひとりのこころが帰るわが家が、「世界でいちばん幸福な場所」であることを伝えています。積水ハウスがご家族の幸せな暮らしと住まいを支えてゆくことを約束する企業広告です。

積水ハウス ウェブサイトより引用

こちらも、企業姿勢を訴求するのが主目的であり、建築材や工法、間取りなどを伝えるつもりは毛頭無さそうである。

さて、どんどん行こう。次は交通業界。

交通業界

広告批評(125号),マドラ出版より

本ページのサブタイトル部分に注目したい。

「時差ゼロ」の世界へようこそ
「大きいことはいいことだ」から「速いことはいいことだ」へ

広告批評(125号),マドラ出版より/強調は筆者による

そりゃそうなんだけどさ・・・と今の私たちなら思うかもしれない。コロナ禍に突入して自宅で仕事をせざるを得なくなったとき、まさに私たちは時差ゼロの世界に住んでいた。通勤時間が消滅して自宅で仕事をすることになった私たちは、あの地獄の通勤時間から解放されて、晴れて時差ゼロを体験した。

さて、どうでしたか?

私たちは"小さいと大きい""遅いと速い"、こうした二項対立で物事を語っても何も解決できそうにないということには気づいたはず。それでも私たちは、速いことはいいことだ!って自信を持って言えるのか、分かんないっすね。

次は自動車業界です。

広告批評(125号),マドラ出版より

家電製品、住宅ときて自動車ですが、自動車業界はそこまでモノ訴求の度合いが濃くないようです。こういった抽象的なコミュニケーションは広告代理店が好きなキャンペーンかもしれません。本文でも指摘されているのですが、

現実のクルマのマーケティングは、ついこの間まで、古典的な「上級移行のマーケティング」に頼っていたし、いまでもそこから抜け切れてはいない。

広告批評(125号),マドラ出版より

ここで言う上級移行のマーケティングとは、ライフステージに合わせてどんどんクルマを乗り換えていくこと。つまりは、独身時代は小さいクルマでもいいけど、結婚して家族ができたら大きいクルマに。子供が独立したら、最終的には自分が憧れていたクルマに到達する。まさに、三角形のヒエラルキーを登っていくかの如くと言うことだ。

変に機能やスペックを押し出さない広告というのは、この頃から現代にも受け継がれているし、あまり現代との変化はそう大きくはないところなのかもしれない。ちなみに、「モノより思い出。」というコピーが採用されたのも日産セレナで1990年だったりする。

最後は建設業界。

広告批評(125号),マドラ出版より

90年代のこの頃から「日本は今、本格的な高齢化社会への入口に立っています」と言われていて、30年を経た今でも相変わらずだなと思わせる一文がありました。驚きなのが、その当時に描かれていた老人観で以下の内容をご紹介したい。

うちのおじいちゃんとおばあちゃんに、温泉旅行をプレゼントしたことがある。おじいちゃんは顔をくしゃくしゃにして喜んでいたが、おばあちゃんは「もったいない」とつぶやいた。で、翌日こっそり交通公社へ行って払い戻しをし、そのカネを、孫の名義の貯金に入れてしまった。

広告批評(125号),マドラ出版より

何もこういうご老人に誰もがなって欲しい、と言いたいわけではない。しかし昨今は、相続の火種になるから遺産なんて残さずに自分で使い切ってしまったら良いとか、「老後に2000万必要だけどあなたは大丈夫?」なんてものばかりが喧伝されていて、大凡ご自分のことしか頭に無い方が多そうである。むかしはこんなおじいちゃん、おばあちゃんも居たのだなぁととても驚いてしまった。

広告批評を読む、次回は同号の「今月の広告批評」のコーナーからお届けしたい。

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