4章 誰が動物の代弁者たり得るのだろうか
これまで、社会契約説に則って動物の権利が成立するのかどうかについて先人たる哲学者や倫理学者たちが行ってきた議論を元に整理を行ってきた。
動物は人間と同様の水準・方法でコミュニケーションを取ることが叶わないため、自らの権利を主張するために声をあげたり、議会に対して働きかけを行うことなど、目的達成のための能動的なアクションをすることができない。たとえば、動物たちは人間の道徳感情、倫理感情に対して彼らなりの方法(潤んだ瞳で飼い主を見つめる消費者金融アイフルのCMを覚えている人も多いのではないか)で訴えることなど間接的な方法でしか、立場を良くしていくことは難しいだろう。
このセリフはヒューマンジーのチャーリーが高校で動物の権利獲得を目指す活動をしていた青年ゲイルに対して言ったものだ。一方のゲイルは、次のように返答する。
ゲイルがこれほどまでにチャーリーに期待をかけている理由がまさにこれだ。チャーリーは人語を操りながらも、半分の出自にチンパンジーの母を持つために、動物界の代表として振る舞えるだけの資格がある。それは何もゲイルだけではない。本作に登場する過激派・動物解放同盟(ALA)も動物解放のための旗印としてチャーリーを利用しようと企む。チャーリー自身が何を考え、どうしたいかなんてお構いなしとばかりに世の中は大きく動いていってしまう。そんななか、彼が自身の心情を吐露したのが冒頭に紹介したセリフである。生まれながらにして、チャーリーは人間に属することもできず、かといって動物側に属することもできない。ちょうど人間と動物の狭間にできたエアポケットに存在しているかのようだ。「ボクは何の代弁者でもない」と言い切るチャーリーには、どちらにも所属することができないにも関わらず、その立場だけを利用しようとする人間たちへの恨み節のようにも聞こえる。ただ、動物解放を目指すファイヤーベントやゲイルたちからすると、チャーリーにしか語れないことを彼の口から語らせることによって、このいつまでも変わらない現状を打開できるだけの力を備えた、最高の代弁者と考えてしまうのは当然のように思う。では、現実世界においてチャーリーのような要件を満たす存在はあり得るだろうか?
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