大学時代

夢である「コーチの仕事」を夢ではなくリアルなものに果たしてできるのか?考え続けていたら書かずにはいられなくなりました。

「コーチ」を目指すきっかけになり、最初の「コーチ」という役職に触れたのが正に大学時代です。大学1年の頃に、足の大怪我を負い競技生活が難しくなった事から当時のヘッドコーチに勧められ、そのまま学生コーチに転身した。2年の頃には、何も知らない僕はそのままBチームのヘッドコーチを務めることになった。Bチームには、4年生も在籍しており2歳歳下の僕が4年生を指導するという様なスタンスでスタートした。しかし、コーチとは「威厳」だと勘違いしていた僕と4年生との関係性は中々上手くいかずチーム内でギクシャクしてばかりだった。僕と選手達は、圧倒的に「信頼」「関係性」が薄かった。何をどうすれば上手くいくのか。ガムシャラにカテゴリー問わず試合を漁り授業の合間を使ってパソコン室でYouTubeにベッタリになった。コーチを始めたばかりの僕には、1つのパスで得点に結びつける、いわばビックプレーを引き出すセットプレーが輝いて見えた。Bチームの選手達の特性を想像してYouTubeから「basketball offense set」などのワードで検索に検索を重ね漁っては、ノートに書き綴りまくった。その日から、何も知らない僕のセットプレーの導入が始まった。オフェンスは、全てセットプレーその中で決まり事を多く設け可能な限り選手を自由にさせない様に縛らせた。10個程ビックプレーを導入した。しかし、そのセットプレー達は裏をかくものであり、2回目は使用できないものであった。さらに、僕は「一生懸命やる事」とミニバスの様なテーマのもとディフェンスを頑張ってもらった。今考えると穴があったら入りたくなる程の酷いコーチングだ。

「Aチームとの試合」

セットプレーをひたすら練習する日々が続き、1ヶ月が経った頃、監督に「明日、Aチームと試合をするぞ」と言われた。AチームがBチームを1試合相手してくれるはずはなく、試合と言っても5分ゲームが2回行われただけであった。試合の意図として何があったかは未だに分からない。

最初の、ジャンプボールに負けるとAチームのオフェンスから始まったが運良く最初のシュートは外れ0-0から最初のオフェンスがやってきた。当時の僕が大好きなロブパス(アリウープ)のセットをコールし、選手達が動き出す。見事に決まり、0-2からのスタートでBチームの選手達の中で少し緊張が取れていくのが目に見えた。「イケル!!」そう思ったのも束の間連続ターンオーバーで気づけば10-2でたまらずタイムアウトを取った。またセットプレーを指示し、2番目に大好きだったバックドアのプレーをチョイスした。それも決まり10-4、選手達の中から「セットが効いてる」という感触を感じているのが明らかに受け取れた。しかし、蓋を開ければ全てのセットプレーを使用し得点に結び付けたものの案の定二回は使用できず、オフェンスも停滞しターンオーバーの嵐。終いにはフラストレーションが溜まりディフェンスも崩壊。僕たちは、5分の2本で歴史に残る程ボロボロに散った。

・選手に自由にプレーさせなかったこと

・ディフェンスでの統一が何もなかったこと

技術と身体的な要因以外での敗因は、この2つだった。後に、ディフェンスでの影響をプロコーチから受けるのだが、眠いのと熱くなるのでそれは次にしよう。

おやすみ

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