バスケオタク@プロチームで働く

バスケオタク/妻オタク

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打倒トップチーム

大学のBチームというのは、「目標」を掲げるのがかなり難しい。「Aチームに昇格すること」を掲げれば個々の目標になりチームでは温度差と統一感が生まれなくなる。といっても、Bチームの為の大会がなく何を目標にしてトップチームが使用しない早朝6:00-8:30までの練習を頑張るのか。監督の僕でさえ思いつかなかった。練習試合でもいいから選手達に試合をさせたい。それも、その日の為にやる気が溢れる練習ができる様な相手と…そんな相手は同大学にいたのだ。「トップチーム」だ。ヘッドコーチに懇願して

    • 大学時代

      夢である「コーチの仕事」を夢ではなくリアルなものに果たしてできるのか?考え続けていたら書かずにはいられなくなりました。 「コーチ」を目指すきっかけになり、最初の「コーチ」という役職に触れたのが正に大学時代です。大学1年の頃に、足の大怪我を負い競技生活が難しくなった事から当時のヘッドコーチに勧められ、そのまま学生コーチに転身した。2年の頃には、何も知らない僕はそのままBチームのヘッドコーチを務めることになった。Bチームには、4年生も在籍しており2歳歳下の僕が4年生を指導すると

      • 高校時代

        高校に入りバスケ漬けの生活を送った。部員も60名程いた中で1年生の頃から試合に出してもらった。それでも、チームメイトから称賛を受けることは少なかった。高校ではそこそこ地元では名の知れたメンバーが集まったがパスを知らずチームメイトとボールをシェアすることを知らない僕はボールを持つとリングに向かっていってばかりだった。高校2年の練習試合のある日、初めてスタメンから外された。さらに、1秒も出る事はなかった。練習試合に負けた後、皆んなが体育館から帰ったのを見計らい監督室のドアを叩いた

        • 部員2人

          こんばんは。 noteを始めたばかりの分際なのに次の投稿の事ばかり考えていたのは僕です。 今日は、自分のバスケ人生を少し綴ってみたいと思います。 小学校(公園バスケ部)→中学校(所詮地区選抜レベル)→高校(国体補欠の補欠)→大学1年次に怪我で選手を諦め学生コーチ転身→大学2年Bチーム監督→大学4年次に監督が退任しヘッドコーチ代行(インカレ出場) バスケ部に入りたいと思い入部しようとしたところ、、「そう僕の小学校にはバスケがなかった。」部員集めから始まりコービー・ブライ

          ノートを始めました。

          こんばんは。 ノートを初めて見ました。 始めたきっかけは「自分」の考えてる事をnoteに投稿することで読者には見えない「自分」の考えを込めた記事を読みたいと思う人がいるのだろうという様な気持ちと、何年後かにあの頃こんな事考えてたなとか振り返れればと思い始めてみました。 「今の自分」 今の自分は転職を考える毎日。お金の為に仕事をするのか?好きな事をしてお金を貰うのか?難しい選択を考える日々が来年の夏まで続く。今の自分はどちらかというと夢を追いかけ後者での生活を送っている