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【アーカイブ】みんなで つくろう 小田付 重伝建 標識プロジェクト 2020

喜多方市小田付地区は江戸から昭和にかけてできた古いまちなみが印象的な通りで平成30年に文化庁より「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されました。小田付地区の伝統的建造物(特定物件)であることを示す標識がつくられるにあたり、どんな標識にすると小田付、喜多方の人々が誇りを持ち、見る人が楽しめるかをみんなで考えていくプロジェクトです。喜多方を学び場として長きに渡り訪れている筑波大学原研究室や喜多方市内の学校と連携をはかりながら、地域の歴史や人びとの思いを引き続き調査して、標識プレートのデザインを考え、提案しました。

主催 キタ美実行委員会
協力 筑波大学芸術系原研究室 PLAY RESILIENCE Lab.,
   テクノアカデミー会津 観光プロデュース学科,
   a good day Co.(小竹拓真), 小田付地域おこし協力隊, 喜多方市
映像制作 飯田 将茂
地域づくり活動支援事業

■町並み・建築・水路。重伝建に住むということ

重伝建に住むということはどういうことなのでしょうか。テクノアカデミー会津観光プロデュース学科の学生たちが、現在重伝建にお住まいのお三方に建築、水路、小田付の思い出についてお話を伺いました。

■標識デザイン案を公開

昨年度からのリサーチで得られた知見を元に、標識デザインを進めていた筑波大学芸術系原研究室 PLAY RESILIENCE Lab.。標識デザイン案を初公開。

筑波大学芸術系原研究室 PLAY RESILIENCE Lab.のみなさんが考えた標識デザイン案の設置例
標識プロジェクト: 今後の進め方


■小田付重伝建の映像 「水流の小田付」

表堀、中堀、裏掘。重伝建選定の決め手のひとつになった水路のある小田付。表層の水、深層の水、自然の水、生活の水。映像作家飯田将茂さんが水にフォーカスして小田付重伝建の姿を捉えました。

飯田 将茂(いいだ まさしげ)
映像作家。玉川大学芸術学部非常勤講師。主にプラネタリウムを媒体としたドーム映像作品の制作と発表を続ける。舞踏を中心とした踊りの撮影や、舞台の映像演出等も手掛ける。長野県塩尻市で木曽の街や職人を追った《木曽漆器》の撮影をきっかけに、本プロジェクトの映像制作に参加。

冬の小田付を歩いていると、足元をくすぐるようにして柔らかな水音が聞こえてくる。膨れた雪の隙間に水路が流れ、チリチリと雪降る静けさの中で「水がある」ことにはっとする。

「水がある」ということ。人の暮らしに水が欠かせないのは言うまでもないが、その関係を、質量をもって感じることはなかなか難しいのかもしれない。機械的に水を出し、飲み、手を洗い、顔を洗い、食器を洗い、風呂に入り、トイレを流す日常の営みは、水道料金を払うことで受けられるサービスのようであり、取り立ててそれが「水」であることをいちいち意識する暇もない。もちろんその仕組みは喜多方市でも同じだ。だが、そこかしこで聞こえてくる表情豊かな水の音が、血管の見えないツルっとした都市の日常とは対照的に、ざらざらと浮き出て、血の巡りを思い出させる。

街の水路から川へ、水を辿って車を走らせると、20分ほどで田付川の源流にたどり着く。その命の始まりともいえる地点に立ってカメラを構えると、扇状に広がる水と人の暮らしに有機的な関係を想像することができる。源流の水は刺すほどに冷たく、泡は生き物のように飛び交い、春先の急流は全てを飲み込むように暴力的だ。この先に人の暮らしがある。湯を沸かし、珈琲を淹れ、麺を茹で、酒を貯蔵する。必ずしも目に見えるものばかりではなく、足元より低く、あるいは潜在的に暮らしに溶け込む。建ち並ぶ重伝建の蔵の町並みの表層に、深層に水が流れ込み、暮らしを育むのを感じる。

田付川の源流

時代の変化とともに不可逆に進行するものがあるとして、失われることなく今を生きる人たちのリアルな日常の中に「水がある」ということに改めて意識を向けようと思う。その繊細な触り心地には、水と人との関係を呼び覚ますチャンスがある。質量をもって水と対峙するということ、それは人の身体性の回復でもある。小田付にはその息遣いが確かにあって、それがとても優しく感じられるのだ。この土地に潜在する水と人との原初の関係に耳を澄まして、水が水としてある姿、形を追うようにして、カメラを回した。(飯田将茂)

ーーー古いものは1度失われればもとに戻すことはできない

バルセロナの旧市街に「スペリージャ」というクルマが入れない街区がある。小さな店が並び、 カフェでくつろぐ人々で賑わう通りで子どもたちが遊んでいた。そんな雰囲気に惹きつけられ観光客も集まってくる。私は、いきいきとしたまちをつくるには、 脱自動車が1つの鍵を握っていると考える。報告書を「おたづき探検」と名付けたのは、標識を手がかりに人々が小田付を歩いて欲しいという想いからだ。人間は便利なものを求める。クルマもその1つだ。ただし、便利さと引き換えに失ったものもある。泳げるほど美しかった水路は車道になり、かつて蔵が建っていた場所は駐車場になった。新しいものはつくることができるが、 古いものは1度失われればもとに戻すことはできない。サンフランシスコでは古い建物ほど不動産価値が高い。町なかのビクトリア建築が若者に人気だからだ。法律などの仕組みを変えることは難しいが、 私たちの意識や価値観は変えられるかもしれない。小田付が歩ける町になり、 子育て世代にとって住みよい町となれば、 街路で遊ぶ子どもたちの姿もみられるようになるだろうか。そんな小田付の風景を想像しながら標識のデザインを考えている。(原 忠信)


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