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インタビュー vol.04:小田付まちのひと「中堀のせせらぎを聞きながら寝ています」

重伝建に住むということはどういうことなのでしょうか。テクノアカデミー会津観光プロデュース学科の学生たちが重伝建にお住まいのお三方に、建築・ 水路・ 小田付での思い出について伺いました。

東海林 和宏(しょうじ かずひろ)さん
造り酒屋の夢心から分家し、三代続いた麹屋の四代目だが、家業は継がず市役所勤務の向夢飲(こうむいん)。喜多方の四季と風土とフードとお酒と祭りとバスケ大好きな、皆仲良く笑顔いっぱい愛と夢いっぱいで生きたい52歳。

ーーーお住いの古い建物を残したい理由を教えていただけますか?


1968年に生まれてから高校卒業まで今の家で育って、仙台に出て大学卒業後、仙台で就職してたんですが、長男坊だから戻ってきました。家業は麹づくりと味噌づくりでした。醤油や酒造りに麹は使うから昔は麹を作ってるところが小田付には多かった。このご時世だからそれだけでは食っていけないと思い、市役所に勤めました。長年自分を育ててくれた家に愛着が出てきて残したいと思うようになりました。

東海林 和宏さん、この日はZoomを使ってのインタビューでした


ーーー建物やご家族にまつわる思い出はありますか?


昔は8月の夏祭りや初市になると叔父や叔母など親戚が大勢集まって、居間の襖を取っ払って宴会などをやってました。今は親戚がみんな遠くにいってしまってなかなか集まる機会が減ったけれども、それでも塩川や若松など近隣にいる自分のおじ、おば(親の兄弟)が集まって宴会をしています。

ーーー小田付での思い出をおしえてください。


満福寺の前にある守商店によく行っていました。守商店は地元の駄菓子屋さんで、駄菓子やおでんが置いてありました。そのほかにはドンキーコングやパックマンなどのゲームが置いてありましたね。小学生から高校生までみんな集まっていましたよ。要はたまり場で(笑)私はよくスモモや酢いかを買っていました。スモモなんか当時10円で、おばちゃんに10円払って、瓶に入っていたのを自分で1つとって食べていました。まもるみせ(守商店の呼び名)のおでんは、煮卵は30円でさつまあげなんかは20円だったと思います。ベビースターをおでんの出汁に入れて食べるのがステータスでした!(笑)味はちょっと濃くなってしまうんですけどね。だから、100円あれば満足できました。そして、買ったものを満福寺の境内でみんな食べていましたよ。

インタビュアーは、テクノアカデミー会津 観光プロデュース学科2年の二人


ーーー水路があることで有名な小田付ですが、水にまつわるエピソードはありますか?


今でも地下水を使っています。中堀のせせらぎを聞きながら寝ています。この中堀は区長さんが水の流れを調節して管理しているから、雪が降った時や大雨の時は流れを少なくしたり、流れを止めたりしています。あとは、堀が表・中・裏の3本あって、表裏の堀には魚や小さいエビがいて、今は子供たちが道路に寝っ転がってぼやとかはやを釣って遊んでいます。そのほかには、中堀には生活雑排水を流し、裏の堀では野菜を洗っていましたよ。

ーーー今後、特に若い世代に引き継いでほしいことはありますか?


正直に言うと、若い世代が全然小田付にいないんですよ。自分の子供も含めて地元に帰ってくることも少ないです。自分が若い世代に入るんじゃないかなと思います。夏の祭りも体力勝負なところがあるから、祭りとかのイベントの時に帰ってきて参加してほしいし、伝統を受け継いでいってほしいなと思います。あと、1番大切だなと思うのはやっぱり喜多方のことをもっと好きになって長く住んでほしいなと思います。喜多方の魅力をもっと知ってもらう中で、例えば、喜多方には季節によっておいしい食材がたくさんあるよね!春は山菜食べて、秋はキノコ汁作って食べて…食べることばっかりだけど、喜多方の良さを知ってほしいし好きになってほしいかなと思っています。最後に、自分はデジタルは苦手だから、若い世代のみんなにデジタルでもっと喜多方の情報を発信してほしいなと思います!

Illustration: Yo Tanaka


Presented by
みんなでつくろう小田付重伝建標識プロジェクト 2020
取材日時:令和3年2月8日(月)
取材協力:テクノアカデミー会津 観光プロデュース学科2年


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