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インタビュー vol.03:小田付まちのひと「喜多方よかった、と言って帰ってもらえるようにしたい」

小田付の入口にあるランドマーク的存在である、「蔵屋敷 あづまさ」
かつて福島県一と言われた大米穀商であった建物は、表通りからはあまり分からない。
喜多方の歴史を物語るにふさわしい豪華な造りの建物を継承し
現在は食事処として、多くの客を目と舌でもてなす
若女将の樟山 尚美さんに
建物にまつわるエピソードや、小田付での思い出を伺いました。

樟山 尚美さん プロフィール
福島県一の大米穀商と言われた蔵屋敷を、食事処としてもてなすあづまさの若女将。あづまさを継いで17年。子育てに奮闘しながら、素敵な笑顔と独自のおもてなしスタイルであづまさのみならず、喜多方のファンを増やしている。

ーーーご自分の古い建物を残したい理由は?


父は喜多方、母は若松で。母が嫁に来るときに真っ暗な町(喜多方)に嫁にやるのは嫌だと言って、母のお父さんがまちづくりを始めました。その影響もあり両親が観光のことを昔から取り組んでいました。幼いころはビニールを張った小さい馬車が走っていて、テレビで放映されると馬車に乗りたいお客さんが増えました。けれど、お客さんを受け入れるような泊る所や食事をとるところ、お手洗いなどが整備されていませんでした。だから、両親や両親と同じ世代の街を盛り上げたいと思っている方々が集まって、自分たちで財源を出して徐々に観光をやっていこうとしている話を聞いて育ってきました。休日に両親は働いていて、どこにも連れて行ってもらえませんでした。休みが無い仕事は絶対に嫌だと思っていたので、観光の仕事には携わりたくはないと思っていました。けれど、父や母、まちづくりに関わってきたいろんな人たちの思いを大事にしたいし、仕事をする中で、町を知ってもらって「喜多方よかった」と言って帰ってもらえるようにしたいと思うようになりました。そのような思いで、この建物を残していきたいと思っています。

樟山 尚美さん、この日はZoomを使ってのインタビューでした


ーーー建物にまつわる思い出


小さいころから住んでいたわけではないから詳しくはないんですが、あづまさに以前住んでいた方のお孫さんがお客さんとして来てくれたことがあります。その方が「ここで遊んだ」「ここ覚えてる」「残っていてよかった」と言ってくれたんです。パチンコ屋さんになる予定だったけど、残ってくれててよかったと言われて嬉しかったです。

ーーー小田付での思い出


住んでいた町が小田付ではなく菅原町でした。お祭りと商店街が賑わっていました。ふれあい通りの小荒井のおもちゃ屋さんがあってそこに連れて行ってもらっていました。クリスマスなど特別な日はプレゼントをそのおもちゃ屋で好きなものを買ってもらいました。祭り女だったから、お祭りでは笛をふいていました。祭りはみんなやらないといけなく、だいたい男子はソフトボール、女子はバスケに参加するのが当たり前のようになっていました。けど、できない子でもできるようになったので、良い経験となったと思います。

インタビュアーは、テクノアカデミー会津 観光プロデュース学科2年の二人


ーーー水にまつわるエピソード


お父さんたち世代に話を聞くと水がきれいで泳いでいたという話はよく聞くけれど、自分は川で泳いだことはないな。子供のころではないけど、岩月のずっと上のほうでイワナを見つけて、網と魚を突く道具を持って捕まえたことがありました。そのあと、食べるために水槽に入れて育てていました。子供たちに、もし住む家がなくなった時でも生きていけるようにと教えていました。三津谷の隣に川があるから、今度そこに入って遊びましょう!

ーーー今後小田付はどのようになってほしいと思いますか?若い世代に向けて何かメッセージはありますか?


周りが一体となって活動をしていたから、守られて育ったんだなって思います。今は、守られた立場から守る立場になりたいと思っています。そのように地域の子供たちを守っていきたいという気持ちはいつも心の中にあります。今は情報がたくさんあるから、いろいろなことがわかりすぎてしまい、そこで終わってしまう。あと、今は許可とか罰則がたくさんあって何にもできなくなっているのがかわいそう。できないままより、何事にもチャレンジしていきましょう!

若い人たちにお祭りとか協力してもらいたいですね。喜多方全体として、チャレンジしている人、協力していく人の想いが強いと思います。そのように若い人たちを支えたり、若い人たちのために何かできないかと考えている大人の人たちは多いです。高校を卒業してから学ぶために外に出る人が多いけど、それは悪いことではないと思う。ずっと地元に残っていたらそこしか見えない。外に行くことで広い視野を持てて、いろんな学びを得ることができる。学んできた人たちが喜多方に意見を出してくれれば町は良くなる。喜多方は学校が少ないので、出て行かないといけないから学ぶ場所をもっと増やしてほしい。自分もそういう場所を作れないか模索している。

今後の小田付は、もっと賑わいが欲しいな。もっと盛り上がるように若者に限らずみんなで意見を出し合うことが必要だと思います。自分たちだけでやるのはとても難しいので。お店の人たちもいろんな思いやアイディアはあるけれど、やることの難しさの問題が出てきてしまう。それは資金だったり人材だったり内面的なことがあります。けれど、みんなが力を合わせればいろいろなことを解決できるのではないでしょうか。

Illustration: Yo Tanaka


Presented by 
みんなでつくろう小田付重伝建標識プロジェクト 2020

取材日時:令和3年2月18日(木)
取材協力:テクノアカデミー会津 観光プロデュース学科2年


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