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小田付インタビュー

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重伝建に住むということはどういうことなのでしょうか。重伝建地区にお住まいの方に伺う小田付のストーリー!
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インタビュー vol.09:小田付まちのひと「建物を維持していくのが大変だっていうことは皆さんにわかってもらいたい」

重伝建に住むということはどういうことなのでしょうか。テクノアカデミー会津観光プロデュース学科の学生たちが重伝建にお住まいのみなさんに、建築・ 水路・ 小田付での思い出について伺いました。 ーーー郷頭とはどんな仕事を行っているのでしょうか? 郷頭は小田付の集まりの会長のことで、小田付の町衆会を立ち上げたときに名前をどうしようかということになりました。会長というよりかは、江戸時代のときから使われていた郷頭という役職があるので、「郷頭にしたらどうか」ということで郷頭となりました。

インタビュー vol.08:小田付まちのひと「皆で賑やかにして活気を取り戻せたらいいと思いますね」

重伝建に住むということはどういうことなのでしょうか。テクノアカデミー会津観光プロデュース学科の学生たちが重伝建にお住まいのみなさんに、建築・ 水路・ 小田付での思い出について伺いました。 ーーー風間さんは家の仕事の合間に絵を描かれているとの聞きましたが、具体的にはどんな絵を描いているのでしょうか? 水彩画です。そうねえ、ほとんど公募展に出品する為に描き貯めた作品で、サイズが50号から120号までの大きいサイズになります。絵は船を描いていて、中央・県・会津で入選、入賞した作品

インタビュー vol.07:小田付まちのひと「昔の建物もですが、水を特に守っていきたいです」

重伝建に住むということはどういうことなのでしょうか。テクノアカデミー会津観光プロデュース学科の学生たちが重伝建にお住まいのみなさんに、建築・ 水路・ 小田付での思い出について伺いました。 ーーー古い建物のどのようなところが貴重なものだと思いますか? 小さい頃は目の前に蔵があって、当たり前なものだったけど、大人になって勉強すると、蔵一つ一つが貴重なものだと思います。例えば今、家を建てるとなると、一か月〜二か月で建てられると思うが、蔵は建てられない気がします。土を盛って乾燥させ

インタビュー vol.06:小田付まちのひと「これからも水を守ってほしい」

重伝建に住むということはどういうことなのでしょうか。テクノアカデミー会津観光プロデュース学科の学生たちが重伝建にお住まいのみなさんに、建築・ 水路・ 小田付での思い出について伺いました。 ーーー大きな赤いレンガの立派な建物がご自宅と聞いたのですが本当ですか? ありがとうございます。今から18年ぐらい前、平成に建てられたものです。屋根瓦だけは区別して赤瓦にしています。もともと、なぜ小田付の町はこのような区画かというと、昔の地図をご覧になるとわかりますが、北の岩月の方からここの

インタビュー vol.05:小田付まちのひと「水がおいしいからこそお酒とかラーメンがおいしい」

重伝建に住むということはどういうことなのでしょうか。テクノアカデミー会津観光プロデュース学科の学生たちが重伝建にお住まいのお三方に、建築・ 水路・ 小田付での思い出について伺いました。 ーーー塚原さんは小田付に住んでどれくらいですか? ずっと住んでます。生まれてからずっと。(現在72歳)東京に5年、北海道に2年いたから、その7年以外の65年は喜多方に住んでいる。 ーーー古い建物を残したい1番の理由はなんでしょうか? 土蔵に使用されている材木が素晴らしいからね。専門家に鑑定

インタビュー vol.04:小田付まちのひと「中堀のせせらぎを聞きながら寝ています」

重伝建に住むということはどういうことなのでしょうか。テクノアカデミー会津観光プロデュース学科の学生たちが重伝建にお住まいのお三方に、建築・ 水路・ 小田付での思い出について伺いました。 ーーーお住いの古い建物を残したい理由を教えていただけますか? 1968年に生まれてから高校卒業まで今の家で育って、仙台に出て大学卒業後、仙台で就職してたんですが、長男坊だから戻ってきました。家業は麹づくりと味噌づくりでした。醤油や酒造りに麹は使うから昔は麹を作ってるところが小田付には多かった

インタビュー vol.03:小田付まちのひと「喜多方よかった、と言って帰ってもらえるようにしたい」

小田付の入口にあるランドマーク的存在である、「蔵屋敷 あづまさ」 かつて福島県一と言われた大米穀商であった建物は、表通りからはあまり分からない。 喜多方の歴史を物語るにふさわしい豪華な造りの建物を継承し 現在は食事処として、多くの客を目と舌でもてなす 若女将の樟山 尚美さんに 建物にまつわるエピソードや、小田付での思い出を伺いました。 ーーーご自分の古い建物を残したい理由は? 父は喜多方、母は若松で。母が嫁に来るときに真っ暗な町(喜多方)に嫁にやるのは嫌だと言って、母のお父

インタビュー vol.02:おたづきの昔の風景を子供たちにも伝えたい〜おじいちゃん編

変わりゆく小田付と、変わらないものを探そうと始まった小田付探検。小田付の昔の風景を子供たちにも伝えるために、小田付のお年寄りにお話しを聞きにいきました。インタビューは、新金忠の大正浪漫調の洋室で行われました。 ーーーずっと小田付通りに住まわれているんですか? 矢部 私は生まれ育ってほぼ70年小田付にいます。昔はお店をやってたけど、私の父の代からやってないですね。でも小田付は商店まちで、両隣のうちも正面も商店だったからそれを見て育ちました。 ーーーまちなみは当時から結構変わ

インタビュー vol.01:おたづきの昔の風景を子供たちにも伝えたい〜おばあちゃん編

変わりゆく小田付と、変わらないものを探そうと始まった小田付探検。小田付の昔の風景を子供たちにも伝えるために、85歳から90歳の仲良しおばあちゃん達にお話しを聞きにいきました。 インタビューはお家のこたつで行われました。お茶とお菓子をたくさん用意してくださり、会津のひとが大好きな「お茶飲み」さながらでした。 ーーーみなさんの昔のお話を聞かせてください。 小川 いちばん変わったのは、そこの新しい道路。 大島(チ) 水が綺麗だったから洗い場があって、そこで色々洗った。洗濯をゆす