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「仕事ができる」と言われたいが、自信もない新社会人の方へ。

こんばんは。日曜日が終わりますね、太田です。

タイトルの件、もやもやと考えたりする時期なんじゃないかと思って、新人時代を振り返って書こうと思い立ちました。

僕みたいに「根拠のある自信」を少々と、「根拠のない自信」が全くない状態で社会人1年目に突入した方に届けばと願います。

「あいつ、仕事できるよね」

この一言は、仕事をせざるを得ない限り言われて嬉しいものです。だけど先に言っておくと、これほどたいして気にしなくていい評価はないと僕は思っています。

というのもまず、この言葉を誰かの評価に使う場面の多くは、とても卑しいものだからです。人間誰しも「誰かを見下して安心したい」という、弱くて情けない性質をもっていますが、「仕事できる」が飛び出す場面というのは、それが出ちゃった時のことが多いです。

「あいつ、仕事ができないよね」と断罪するような一言はもちろんそうですし、「あいつ、できるよね」も(俺らもできるけど)というニュアンスを含み、頭の隅に「出来ない人たち」を置いた嫌らしいパターンが多い。

相手に対して直接言う「いや〜!仕事できるね〜!」はチャーミングで大好きですが、あとは大体あてにしなくていい。僕はそう思っています。

そしてそもそも、「仕事ができる」の定義なんて、業界や職種によって変化する水物である上、誰もがある面を切り取れば仕事ができて、ある面ではできないとも言えるわけで、そういう意味でも当てにならないのです。極めて局所的で相対的な「仕事ができる」という称号は、得られなければ人として終わりなんてことは絶対にありません。

だけど一方で、どの仕事にも一貫して「できるといいこと」というのはあると思っていて、今日はそれについて、これじゃないかなあと思うことを後述したいと思っています。

でも、それより先に「仕事ができる」と「結果が出せる」は違うらしいよ、という話をしたいから、聞いてくれませんか(勝手)。

「仕事ができる」と「結果が出せる」が違う社会

「仕事ができる」と「結果が出せる」は違うらしいということは、日本社会で生きていると、きっと何度も感じるようになります。

それは「愛嬌だけが命の部長」に何度も出会うことや、「売上が下がり続けているのに、年間表彰で発表されるMVPが神とされている会社」を見つけることなどで、分かっていきます。

たしかに世間を見渡すと、「結果が出せる」が「仕事ができる」という評価につながっている人はごく少数いるのですが、それは起業家だったりフラットでスピード感のある少人数のベンチャーだったり、圧倒的実力をもった技能者だったりします。

だけど、いわゆる”日本企業”でフツーに働く人の多くは、そうはいきません。というのもまず前提として、人間は大人数で集まるとどうしても「政治」が生まれてしまう(ざっくり言うと、好き嫌いで他者の評価や配置を無意識に、時には意識的に変えてしまう)生き物であり、そしてまた”日本企業”の多くが、社員個々の出すべき「結果」を明確にするのが下手だったりするからです。

皆さんご存じの通り、日本は「持ちつ持たれつ」を大事にした国ですが、それがルールの前提として無色のペンで書かれている社会では、「あなたはこれさえやればOK!完璧!帰ってよし!」という明確な結果を出すべき対象、責任範囲は決まっているようで決まっていないことばかりです。

僕はそういう所に良さもあると思っているので、一概に日本の「共感重視」「one for all, all for one重視」なあり方を否定したくない派なのですが、とにかくそんなわけで「結果を出している」ことが「仕事ができる」と言われる理由になりづらいのは、事実っぽいんですね。

「仕事ができる人」とは、「一緒に働きやすい人」のこと

そんなわけで、「仕事ができる」という評価は曖昧で、価値さえ不明瞭だといつも思うわけですが。ここからが本題です。

僕は「一緒に働きやすい人になる」というのは仕事をする上で誰もが目指すべきことなんじゃないかなと思っています。そしてそれが「仕事ができる」の大部分をしめているとも思っています。

もちろん前述のように、皆さんが対峙している事業の内容や職種によって「仕事ができる」の定義内訳には差異があるのですが、大前提であり大部分をしめるのがこれのはずです。

皆さんはもう少しすると、先輩や同僚の中に「あれやっときましたよ」の達人がいることに気付きます。思わず「マジ!?やってくれたの!?」と言ってしまう人です。

正に「仕事ができる」彼らは何をしているのかというとそれはシンプルで、昨日より今日、今日より明日、仕事仲間たちの求めていることに気づき、そこに手を打ち続けているんです。そんな「かゆい所に手が届きまくりの人」が、ねじれた見下し意識をはらまない、健全な「仕事ができる人」なのだと思っています。

僕の同僚にMちゃんという女子がいて、一緒に仕事をさせてもらった時に分かったのですが、彼女はまさにそんな女です。

まず驚いたのが彼女のスラックコミュニケーション(メール)でした。彼女のスラック姿勢は、プロジェクトのスレ内で回数を重ねる毎に、欲しい情報がどんどん本文の上部に来るのです。しかも【】とか「\ここだけ見て/」なんていう記号が駆使されていて、一目で大事な情報が目に飛び込んでくる。僕は彼女との仕事を通じて「超勉強になるんだけど…」と数億万回思い、そして「仕事ができる」の定義を再確認できたように思っています(感謝)。

シンプルに「他者視点にたつ」を大事にする

では、そういう活躍はどうすればできるようになるのかですが、それはいたってシンプルだと思います。「働く上で、常に他者視点にたつ」ということなのではないでしょうか。

「チームのメンバーや取引先の担当者は、何を考えているんだろう。何を望んでいるんだろう。」それをいつも考え、そこでもった仮説を試し、違ったら改め、その精度をあげていく。それを続けることができる人は、必ず「仕事ができる」という称号も勝ち取るんだと思います。

しかも「仕事ができる」、つまり他者視点に立ち、一度自分視点から出る方法を覚えた人というのはどんどん視野が広がっていくものなので、いずれはユーザーの視点にも立てるようになっていきます。そしてユーザー視点まで獲得すると、今度は「結果」まで出せるようになっていくわけです。だからそういう意味で「仕事ができる」は、「結果を出す」のためにもやっぱり大事なことなのだと思います(これを書いていて思いました)。

また、仕事ができるようになると生まれるいい効果には、「余計な自意識から解放される」というものもあると、僕は思っています。学生時代というのは「私はこんなことを考えている!思っている!私は…!私は…!!!」と、自我に飲まれがちになるものですが、仕事を通じて、他者や社会が主語になっていくことで、余計な自意識というのは自然と剥がれ落ちていくと思います。

(僕は、これらのことに30歳になってようやく気付いたので、いまだにたいして仕事もできず自意識爆発なので、皆さんはそうはならないでくださいね)。

だけど自意識は、過少状態を続けると、「けもなれ」モードに陥るから危険

ちなみに、『獣になれない私たち(通称けもなれ)』の脚本家、野木さんが先日向田邦子賞を取ったと話題になりましたが、『けもなれ』は生活の主語を自分から他者や社会にしすぎた人たちが、「自分」をもう一度抱きしめ、そこにあるべき湿度を取り戻そうとする話だったと僕は解釈しています。

彼らは謙虚で全うな市民であるが故に、「自分」という主語を大切にすることをどこかに置いてきてしまった人でした。

たとえば劇中で恒星(松田龍平)は、こう言います。

「カイジみたいに潔い人間はまれなんだよ。俺はそういう人間じゃない。たまに感情的になるとろくなことがないし。リスクは冒したくない。それでも、他人に支配される人生はごめんだ。俺バカか。」

これはとてもよく分かる言葉だし、恒星の葛藤はとても尊いと思うんですが(僕は泣いたんですが笑)、やっぱりこんなことを思わない人生の方が僕はいいんじゃないかなあと思うんです。

というのも恒星はまだましというか。本当に厄介なのは、自意識をあまりに押さえ込み、恒星みたいに葛藤を経ることの重要性にも気付かず「おじさん・おばさん」の年齢に突入してしまった場合です。そうなると、腹の底で沈殿し固まった自意識は黒く乾いた承認欲求に変質して表れ、承認の水をなんとしてでも浴びようと暴れ出します。それが部下を見下したり、いびるという行動につながっていくようなんです(怖い…)。

だからそういう意味で、仕事をしすぎて自分の人生の主語まで他人になってしまうことは危険だと僕は思います。仕事をする上では他者視点を大事にしながら、家に帰ったら「うるせえ、ほっとけよ」と会社の方角に向かって叫んで、徹底的に自分視点で生活してくれたらと、老婆心ながら願います。

新社会人の頃って、5年目以下の先輩たちが自分の成長を実感したいがためにドヤろうとしてきたり、いろいろと周りから言われて混乱することばかりだと思いますが、それはそれで「先輩たちも悩みながら働き、生きてるんだな」と尊敬の気持ちだけ持って内容は全部無視で、とにかく「周りが一緒に働きやすくなるためには何をしたらいいだろう。みんな何が欲しいんだろう」とだけ考えればいいんじゃないかと、僕は思います。一度に色んなポリシーを持つことは難しいですから。

この視点を持つことは、結局「人を思いやろうね」ということです。それを大事にしていれば、何か困った時には誰かが助けてくれるものだし、いいんじゃないでしょうか。だからあまり考えすぎず、日常生活ではこれまでの学生生活と変わらず、友達とバカやって楽しく働いてください。

そんなわけで、明日からの社会人2週目も、きっと大丈夫ですよ。それが言いたくてこの記事を書きました。

僕は社会人1年目の頃自信をなくしてばかりで、自分の考えどころか感じたことにまで価値はないんじゃないかと思っていました。だけど人の感じたことというのは、正解や不正解はなくて、世界にひとつしかない、大事にする価値のある感性だと今では分かります。だから、皆さんはどうか、分からないことばかりだったり、怒られることばっかりでも「続けてたらなんとかなるっしょ〜」と気楽に頑張ってほしいと思うんです。

何より大事なのは健康ですから、何事もほどほどに、お互い頑張っていきましょうね。

#社会人1年目の私へ #新人 #キャリア #新卒一年目 #働き方

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ぅちもやっちゅーねん!(倖田來未)
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