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自主性への向き合い方

はじめに

「あの人ほんとに自主性ないよね」
「もっと自主的に動いてもらうにはどうしたらいいか考えてほしい」

そんな話を聞いたり,上長から言われた経験ありませんか?もしくは自分で考えたことは?

今回の記事は2023年12月23日に実施した「居酒屋 臨床の家 自主性への向き合い方」というZoom企画を終えた僕自身の書き留めのようなものです.

今回の企画は
https://twitter.com/@kumo_otoko6 てつさん
https://twitter.com/@shirataki_ot シラタキさん
のお二方と一緒に企画・運営をさせていただきました.お二人が居ることで議論を面白く,より深堀りしていくことができました.この場を借りて感謝申し上げます.ありがとございました.

きっかけ

きっかけはこちらのてつさんのXのポストがはじまりでした.


丁度その時期,こちらの猫山課長さんのnote記事を読んで「セルフブラック」というセルフマネジメントスキルについて考えていました.

どんなこともハラスメントとされるリスクを抱える今の時代に,基本的に社会は若者に無理なことを言いません.ですが,社会が言わなくなったからといってそれが不必要であるということとは別問題であり,若者が自分に負荷を掛けたり,挑戦することを求めていないわけではないのです.

ですが,このようなセルフブラックを身に着けるために,「自らに負荷を掛けるべき」と言うのが本当に正解だろうか・・・?
まさに自主性というのは,他者に求めている時点で失われてしまうのではないかと考えていた時に,てつさんのポストと出会ったわけです.

自主性という怪物の正体

参加者の皆様は自主性について様々な悩みを抱えていらっしゃいました.

後輩にもっと勉強してもらうには・・・
学生がもっと意見を言えるようになるには・・・
患者さんがやりたいと思うリハビリを提供するには・・・


僕自身も同じような思いを何度も悩んだことがあります.今でもそうです.他者の行動が気になって仕方ありません.ですが,なぜ気になるのでしょう?そうした方が後輩のためになるからでしょうか?その方がより良い職場になるからでしょうか?でも少し考えてみてほしいのですが,そうして欲しいと思う関心や展望は「あなた」のものではありませんか?

日常的な例えを出しますが,絶対に遅刻しないきっちりした人っているじゃないですか.5分前には絶対来る人です.で,そういう人って自分がきっちりしているからか,他者の遅刻が許せない人って時々いますよね.自分が5分前行動をしているから,周りも同じような努力をするべきだ,社会はその方が健全だ.そうあるべきだ.

こう言われてあなたは絶対に遅刻をしないように明日から行動を変化させますか?

気付いた方もいると思うんですが,自分が良いと思うことは他者も行うべきだという考えは,例え本当にその人のためになっていたとしても,あなたの関心を押し付けていることになっているかもしれません.

答えの出ないテーマ

特にこういった教育に関することで悩む中堅セラピストは,働き方が多様になっているからこそ難しい問題なのかもしれません.

職場の後輩に以前どんなことで悩んでいるか聞いてた時に,「自分がいつも早く出勤して,物品の準備をしたり,カーテンや窓を開けたりするのが疲れます.私がいないときは誰もやらないみたいです」と言われたことを思い出しました.

僕自身はそのスタッフにもっと学会発表や事例報告ができるようになってほしいと常々思っていました.それが僕の求める「自主性」でした.ですがそのスタッフからすれば,もっと朝早く出勤して朝の準備を手伝うようなスタッフが増えたらいいのに,なんて「自主性」を考えているのかもしれません.

どういう働き方をしたいかによって関心や興味が違うのは当たり前です.最近僕はもっと発表とかしなよって言う前に,まずは周囲の方がどんな努力を普段からしているかに目に向けることからしてみようと思うようになりました.他者の関心・興味を知ることで,どういう形であればこちらの期待と折り合いをつけて伴走することができるのか.そういった形を考えることは作業療法と同じだなと思うわけです.


さいごに

今年はスペースを定期的に開催してきましたが,なんとなくスペースという形だけに囚われすぎていたので,少し趣向を変えて,今回Zoom企画を実施しました.

今回のテーマのように,答えを出すことが難しい臨床現場での疑問や課題をみんなで話し合って,自分なりの進み方をみつけていく.そんな企画を今後も考えていきたいと改めて思った2023年の暮れでした.ここまで読んでいただきありがとうございました.

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