「死んだ男」とカールツァイス
携帯電話をiPhoneにしてもう10年経った。
最初は4Sでしたよ。
基本的にwebの閲覧は自宅でPCみる旧い?人間なのだけど、
そもそも2009年まで、インターネット環境なかった。
先に買ったデジ画像の保存にエプソンのストレージ買うべきかと尋ねたのを見かねた?中学からの友人がわたくしをそそのかして、ヨドバシにわたしを連れていき光回線を契約させ、ノートPCも買うことになったのである。
語り口のおもしろさでは友人中群を抜いていたかれは会った当初から眼鏡をかけていた。
ある日技術の授業で教師がカールツァイスの話しをしたあとで、わたくしはかれ(友人)に「きみもカールツァイスの眼鏡買わないと」みたいな冗談を言った、つもりだった。
Zeissの眼鏡があるなんて、そしてじぶんがカールツァイスのレンズで写真撮るなんて思いもしなかった。
幼かったな。
*
20代になってしばらくして、新卒で入った会社をほどなくして馘になったわたくしの家に(すぐ近所に住んでたのだが)かれが電話をかけてきて、その日男二人で電車に乗って仙台の街に行った。
なにか食いたいものはあるか?というのだが、特にないとか答えた記憶がある。
その日はわたしの誕生日だったのではあるけれど、ひと様にご馳走になるという発想も意思もなかった。
かれはわたしをデパートの中にあった丸善の文具部門に連れていき、万年筆を選んでわたしに買い与えてくれた。
なんだかよくわからぬままかれについていくと、なんと鰻屋の座敷に上がることになり、緊張するわたしに鰻丼を食べさせて、お代はいいからいいから、と言うので頭を下げて店を出た。
そのあとなぜかかれは眼鏡屋にわたしをつきあわせ、たしかブランド物のサングラスを選んでいた。
待ってる間、鰻ご馳走になったくせに退屈紛れに思った。
なんでこいつこんなに銭持ってるのか?
あとで聞くと人に飯をおごるのが好きだったらしい。
5、6年前最後に友人3人で会ったときも、偶然わたしの誕生日に用があって上京したわたしは二人に焼肉をご馳走になった。
かれがGW中に路上で倒れてそのまま亡くなったとその時の友人から聞いたのは、数年前の夏だった。
*
唐突かも知れないけれど、田村隆一の詩に「悪い比喩」というのがある。
最後の三連を引用させていただく。
「死んだ男」はいまだに死なぬ
古いアルバムの鳶色の夢のなかで
夭折の権利を笑っているのさ
道造や中也とそっくりの
瞬時に溶けよ
人類の眼
戦時中、従軍して南洋に赴いた田村が
たしか病死だったかと記憶するがその頃に若くして亡くなった詩友をモチーフのひとつとして…実際に「死んだ男」という詩を書いたのは鮎川信夫だったはずだけど…書いた作品である。
わたくしが「かれ」のことを考えているとき、よく脳裏に浮かぶ詩であるけれども。
そんなに抽象化するまでもなく、
思い出すのはユーモアにとびきりの知性をくるんで冗談めいたことばかり口にしていた「かれ」の生きた姿である。
こじつけめくがあの軽妙洒脱な感じは、荒地派最後の詩人と言われ、ハヤカワミステリの翻訳でも知られた田村の人間像(もちろん本でしか知らない)と重なる。
いつからかわたしがカメラ買う度にメールしては、あきれてか感心してかわからぬが短いけれどゆえに忘れられない返信をしてきた。
昔からアサヒカメラの読者だったが写真は撮らず、新機種のリポートよむのが楽しみだったようなのだが。
今年もそのかれの誕生日がやってきた。
訃報をきいたあともiPhoneの連絡先から消すこともなく誕生日も編集するつもりもさらさらなかったから、いまでも**さんの4*歳の誕生日と予定に表示される。
お墓にも行けないうちにこんな世のなかになり、却ってかれが居なくなったことを絶対化せずにわたしは生きている。
親しい死者はわたしの心に生きているから。
*
先日長年放置していたみみなりが酷くなり、ようやく耳鼻科に行ったら、診察室に長いアームの先にスコープがついた機器があって先生が耳の中を見ていた。
その医療機器には青いZeissのロゴが入っていた。
CONTAX 139QUARTZ +Carl Zeiss Tessar45mmf2.8
LOMOGRAPHY COLOR NEGATIVE800
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