読み書きが苦手なのはなぜ?
昨日の記事で、発達性読み書き障害があまりにも知られていないんだよ〜
という話を書いた🔽
今日はその続き。
そもそもなんで読み書きが苦手なんだろう?というお話し。
ここを説明するには『読み』と『書き』を分けて考える必要がある。
『読む』ためには、
文字を認識
↓
文字と音を結び付ける
↓
文字のまとまりで単語を認識
↓
意味を理解
こういった流れが必要だけど、これがスムーズにできないと、
・読めてもたどたどしい
・読み間違える
・声に出して読むと意味が分からない
などの『読み』に対する困り感が出る。
一方、『書く』は
書き写す
言われたことを書く
といったことでもそれぞれ違う能力が求められる。
書き写すというのは、文字の形を見て同じ形になるようにペンを動かす必要がある。
そのため、空間や形態といった視覚的な能力が必ず必要。
言われたことを書くというのは、耳から入った音を文字に変換する能力が必要だ。
でも、日本語には平仮名・片仮名・漢字があり、形が似ているものも多いので尚更ややこしい。
今あげたような、
空間や形態を視覚的に認識する力
音を認識して操作する力が弱い
ことが読み書きに困難が生じる原因となる。
さてここで勘違いをしないでもらいたいのは、
☑️文字を読んでも意味が理解できないというわけではない
☑️読めない書けないわけではない
ということ。
正しくは、
読んだり、書いたりする作業が他の人の何倍も負荷がかかる!
そのため、理解する能力はあるのにそれまでに疲れてしまう!
こういうこと。
全くできないわけではないため、勉強嫌いだとか、努力不足といった個人の性格的な問題と捉えられてしまうことが多い。
そのことによって、合理的配慮が求めにくい・得られにくい環境となってしまっている。
例えば。
社会のテストを受けた時、漢字を覚えるのが難しいため人物の名前を平仮名で書いた。
すると人物名としては合っているのに、「漢字ではないから」と不正解にされてしまう。
それを受けて、漢字の書きの負担が非常に大きいこと、平仮名でも正解にしてもらいたいことを担任に説明した。
(もちろん発達性読み書き障害であるというのも言い、専門機関からの書類も見せた上で)
しかし、返ってきたのは
「書けている漢字もあるんだから頑張ればできるということなので平仮名での正解は認められない」
という答えだった。
「平仮名でも正解にしてもらいたい」というのは、合理的配慮に該当する。
合理的配慮というのは、どんな要請に対しても全てOKを出すというものではない。
ただし、判断をする前に求められた側はしっかりとその特性について理解をする義務がある。
果たして、上の例であげられた担任はどうだったのだろうか。
前回の記事で書いたように、教育機関において発達性読み書き障害の認知度はあまりにも低い。
しかも、理解を示す姿勢があるところとないところの差が激しいのが現状だ。
少しの配慮によって、その子自身の様々な可能性が広がるのに。
未来を担う子供達を育てる側が、逆に潰してしまってはいないだろうか。
これは発達性読み書き障害だけには限らない。
より多くの人にこの現状を知ってもらい、障害に対して本当の意味での理解をして頂きたい。
そして、配慮を求められた時にしっかりと合理的な判断をしてほしいと願う。
私も微力ながらも自分にできることを探して行動していきたい。
ここまで読んでくださりありがとうございました。
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