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毒親の定義とは一体?

おはようございます。
今朝も早く起きてしまいました。

それはさておき、今回は「毒親」について綴っていきたいと思います。
一部の方にはフラッシュバックやPTSDを引き起こす原因になりかねないので、この記事を読まれる方は自己責任でよろしくお願いいたします。

私の両親は私が4歳くらいの時に離婚をし、兄とともに母方のほうへ引き取られました。

母は料理をせず、毎日外食かお弁当という生活でした。
当時私は小学生でしたが、夜23時くらいまでゲームセンターや中古本屋さんへ連れまわされ、それがごく当たり前の生活と思っていました。
その話を友達にすると「いいなぁ」という返事が返ってきていたので、むしろ「うちは特別な家庭なんだ」と優越感に浸っていたのを覚えています。

私の母は育児放棄こそはしなかったものの、宿題の進捗は全く無関心・仕事と噓をついて夜遅くまで男の人と遊びに行く・私のお金を盗む等散々なことをされた記憶はしっかりと心に残っています。
私は小学生ながらに癇癪を起こし、宿題のプリントをビリビリに破ったりもしていました。

ですがそんな母にも私たち子供に対する愛情はあったのです。愛情というより「甘やかす」という表現が合っているのかもしれません。

しかし、その「甘やかす」表現は兄に対してだけでした。
兄はどうしても欲しいものがあると暴れ、母に対して家庭内暴力を行っていました。平気で母を殴ったり罵声を浴びせたりして、母はそれに恐怖し耐えきれず物を買い与えていました。
私はというと、さすがに母に対して暴力は振るえなかったので癇癪を起こしていたのですが物を買い与えてくれることはありませんでした。

母はパートをしていたのですが仕事が長く続かず、すぐ退職したり仕事に行ったフリをしてサボったりもしていました。その為かなり貧困生活を強いられていました。
ある日小学校の授業でそろばんが必要だったのですがそれさえ買ってもらうことができず、周りにばれないように泣いたことも覚えています。
それから母は10年ほど仕事をしなくなりました。その間の生活費や養育費は祖母がすべて負担してくれました。

さて、小学生の思い出はここまでにしておきましょう。

本題の「毒親の定義」についてですが、私はこの件については本当に人それぞれだと思います。
もちろん私の経験よりさらに酷いことをされた方もたくさんいらっしゃると思います。本当に辛かったでしょう。
母にはつらいことも散々されてきて裏切られてきて…。でもやはり血の繋がった親子なので真の底から恨むことはしていません。

今の私は親元を離れ婚約者と同棲をしていますが、婚約者の両親は本当に温かくて「これが一般的な幸せな家庭なんだな」と実感しています。
普通とは何なのか、それは誰にも分かりません。自分基準でいいのです。

20年前の私に「大丈夫、必ず幸せになれる日が来るよ」と胸を張って言ってあげたいです。

それではまた次の記事でお会いしましょう。

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