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幼少期

幼少期とは
幼い子供の時期。
幼少期には、いつからいつまでといった範囲は定められていない。

ということですが、今回は6歳から12歳くらい、小学生の頃のお話しです。

※ゲイ的な内容も含みますので、苦手な方はスルーしてください。


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内気でもなく、やんちゃでもない

生い立ちでも書いたが、僕はどちらかというとお絵描きをしたり、家の中で遊ぶことが好きだった。外で遊ぶのは苦手だった。
というのも、運動音痴で何をやってもどんくさかった。だから、できるだけ運動を避けていた。

しかし、田舎の子供社会で、女子とばかり遊んでいるわけにもいかず、それなりに周りの男子とも遊んでいた。
そんなときは、年上が多く、僕がどんくさいこともあって「あぶらっこ」扱いされることも多かった。
通知表には、「友達とも仲良く、勉強もがんばっていますが、もっと男の子と外であそびましょう。」などと担任から書かれていた。

運動音痴のぽっちゃりタイプ、泣き虫系男児ではあったが、内気なわけではなく、クラスではそれなりにはしゃいだりしていたし、人懐っこいと年上からもかわいがってもらった記憶がある。

あぶらっことは方言で、遊びのときに小さい子をハンデをつけて遊んであげること。「おみそ」「おまめ」「ままこ」などともいうらしい。

オカマと揶揄されたころ

小学校5年ぐらいだっただろうか、学校で「オカマ」と呼ばれることがあった。「とんねるずのみなさんのおかげです」が放送され、パロディコントの女性(キャラ名は忘れた)のマネをして遊んでいたことがきっかけだったような気がする。
保毛尾田保毛男がウケていた頃だったから、女の子っぽい僕に対してのいわゆる虐めだったとも思う。

「虐めだったとも思う」というのは、そのころクラス替えで仲良くなったダイスケ(仮)と一緒にいることで、いじめっ子の攻撃を回避できたからだ。
ダイスケは、ずっこけ3人組のモーちゃんのような見た目(と言ってもわかる年代が限られるのだが)で、気は優しくて力持ちの人気者だった。
家も比較的近く、通学路もほぼ一緒なのに登校班やクラスが一緒になったことがないため、存在は知っていてもほとんど関わったことがなかった。ダイスケはいじめられっ子になりそうな僕とも避けることなく普通に接してくれた。

僕は、どちらかというといい子タイプ。テレビドラマなどに出てくる女子学級委員長のようなところがあった。だから、悪ガキ男子からは憎まれやすそうなところがあったし、男子からは嫌われるタイプだったと思う。しかし、人気者のダイスケと仲が良いため強烈な虐めには発展しなかったのだろう。

ダイスケに守ってもらったという思い出があるわけでもないが、ほかの男子たちのように僕を揶揄することもなく、仲良くしてくれるダイスケを僕は好きだった。
好きとうのは、そのころの子供社会の中で、仲良しとか、友達としてという感覚だった。
しかし今思えば、これが初恋の始まりだったとも思う。

自我の芽生え

かけっこや、ソフトボール、サッカーのような球技が本当に苦手だった僕も幼いながらこのままではいけないって思うところがあった。
今までの手記ではいじめられっ子キャラを醸し出していたが、反発心もあったので、優等生になり大人を味方につけることでいじめっ子を回避する策を企てたりもしていた。

運動音痴を馬鹿にされるのがよほど嫌だったのだろう、スイミングスクールに通いたいと両親に志願し、水泳を習い始めた。レベルごとに10級から1級までの班分けをされていたが、個別に指導してくれることもあり、思いのほかスイスイ昇級し1年ほどで1級まで昇格していた。

やればできるんだと少し自信がついたころ、父親が僕を頻回にスキー場に連れて行くようになった。雪国生まれのくせにスキーが下手くそだった僕を見かねたのだろう。そちらも回を重ねるごとに不格好ながらも人並みには滑れるレベルまで上達し、スキーシーズンが終わるころにはスキー授業でも恥をかかずに済むようになった。

当時通っていたスイミングスクールには、大学生のナリタさん(仮)がアルバイトでコーチをしていた。ガチガチに指導してくる本職コーチ陣と違って、お兄ちゃん的に教えてくれるナリタコーチは親しみやすかった。
ナリタコーチの見た目はゴリラ系だったが、水泳選手らしい体つきでとてもカッコよく見えた。

僕が通っている時間とナリタコーチのバイトシフトが一緒だったのだろう。更衣室で一緒に着替えることが度々あり、ナリタコーチは隠すこともなく堂々と着替えをする。
やんちゃな男子がナリタコーチの股間をみて、チン毛が、大きさがとふざけて騒いでいた。「見るなよ~、お父さんのよりおっきいか?」と少し照れていたコーチ。
僕も横目でその身体をみて、「何か」を感じていた。

その年頃の男子は女性の身体に興味をもちはじめる。僕のは、それと同じような感覚をナリタコーチの身体に感じていたのだと思う。
この頃から僕はほかの男子とはなんか違うと思い始めたのだった。



登校班って書いて思ったけど、今は集団登校ってあるのだろうか。近所の子が集まって班を作って学校にいくシステム。
30年以上前のお話しなので…

ここまで読んでいただきありがとうございます。
よかったら続きも読みにきてくださいね。



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