見出し画像

生い立ち

生い立ちとは
どのような環境で、どのように育ち、育てられたか、という成長の過程

とりあえず、自己紹介がてら書いてみよう


生まれたのは東北地方の山の中

僕が生れた街は、東北地方の四方を山に囲まれた夏は暑くて冬は寒く雪深い田舎町。
当時は人口10万人くらいで県内でも人口は多い方の街だった。

家を出たら田んぼが広がる農村地帯。
車がないととても不便でバス停までは1キロくらいある。そのバスは1時間に1本しかこない。電車が日常生活の足にはならずほとんど乗ることがなかった。電車というより、汽車と呼んでいた。
実際電化されていない路線だったから「汽車」なのだが。
コンビニができたのは高校生になった頃だっただろうか。
子供の移動手段は移動手段は徒歩か自転車。そんな長閑な環境に生まれた。


家庭環境は普通の家庭

会社員の両親のもと、3人兄弟の末っ子として生まれた。
酔っぱらうと面倒な父と、堅めの仕事をしていた母、特に裕福でもなく、貧しくもなかったと思う。
持ち家で3人の子供がいて、きっと両親は大変だったことだろう。

なんでも買い与えられるわけもなく、末っ子だけに兄からのお下がりが多かった。その頃は、なんでも新品の長男が羨ましく思っていた。

すぐ上の兄とは5歳違い、女の子が欲しいと頑張った両親のもとに生まれたのは残念ながら僕だった。
そんなこともあってか、母親が僕に着せる服は男子用でも可愛らしいものが多かったきがする。ヘアスタイルも坊主頭の兄とは対照的にミドルヘアだった。


躾はきびしかったけど、甘やかされてた

兄弟とは歳が離れていたこともあって、兄から言わせれば「甘やかされていた」らしいが、親からはきびしく育てられた方だと思う。

共稼ぎだったこともあり、近くに住んでいる母の実家に預けられ、祖父母、叔父、叔母や従妹とも家族同然に育ててもらった。
親族のなかでも最年少、見た目も可愛らしかったらしく、だいぶ可愛がってもらった。

男3人の3番目だけに、案外ほったらかされていた気もするけど、挨拶や言葉遣い、礼儀作法については比較的厳しく躾けられた気がする。
悪さをしたときは父からは殴られ、長時間正座で説教され、雪の降る夜に玄関の外に放り出されたこともあった。
父親の酒のつまみに怒られ続けていたという気もしないではない。
きっと今の親が同じことをしたら虐待と言われるかもしれない。


幼少期からちょっと変わっていた

幼少期はそれなりに聞き分けの良い子供だったと思う。
周りが大人が多かったせいもあるのだろうが、年齢にそぐわずませたガキとよく言われていた。

幼稚園や小学生低学年の頃は、男子より女子の方が「得」だと思っていた。
それはなぜか?
「男なんだから」と言われないから。

多くの方は、農村地帯の男子は外で元気に遊んでいるイメージだろう。
しかし僕は、家の中でぬいぐるみで遊ぶ方が好きだった。ピアノを弾いたり、おままごとをしている女の子と遊ぶのが好きだった。アニメもキン肉マンより、おはようスパンクが好きだった。体育よりも音楽が好きだった。


動物、植物いっぱいの家

僕の実家は、父の趣味もあり大型犬3匹、小鳥が10羽くらい、金魚に鯉、うさぎ、時には保護した野鳥や狸などいろいろな動物がいた。
両親ともに植物が好きで、盆栽や花畑、小さな畑もあった。

ペットの中でも小鳥が好きで、手乗り文鳥をひなの頃から育て一緒に遊んでいた。カナリヤやインコをつがいで飼って、卵が孵って成長するひなを見守り、毎日餌と水を変えたり、ケージの掃除をしていた。
軒下の雀の巣でひなが孵って巣立っていくのを見るのも毎年楽しみだった。

動物好きなのはそんな幼少期の影響だろう。今でもボタンインコとメダカと生活している。

そんな環境のせいか、もともとの性質か、野山を元気に駆け回るより、生き物の世話をしたり、植物手入れ、畑を手伝ったりする方が好きな男の子だった。


ここまで読んでいただきありがとうございます。
今日はこの辺で、続きはまた。
よかったら、また読みにきてください。






この記事が参加している募集

#自己紹介

228,904件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?