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手間を当たり前にするまで

寒い毎日に欠かせないタイツを洗濯した。
——ネットに入れるべきだよな
——いつもなら入れてるな
と思いつつも
どうも億劫でそのまま洗濯機に放り込んだら、
フリースをこれでもかと締め上げた姿で
洗上がって出てきた。

フリースに申し訳なく思い
——首も脇も腹も背も全てに絡みついていた
タイツの執拗さに手加減しなよと苦笑いし
タイツを洗うときには
一手間がやはり必要だ
と再認識した。

こうしたことが「手間」なのか
「当たり前」のことなのかは
きっと育てられた環境に左右されるのだと思う。
私は「手間」と思ってしまっているため
「当たり前」をするには
少しエネルギーを要する。
だから気を抜くとすぐに元に戻ってしまうのだ。

丁寧に暮らすことで
気持ちが落ち着くと気づいたのは
本当に最近のこと。
掃除も日頃こまめにやっていれば
全く大変ではなくて
気持ちよく過ごすことができる。
きっとみんなそんなの当たり前だから
だから敢えて教えてなどくれないのだろう。
本当に人生を遠回りに生きているなと思ってしまう。

自宅マンションの駐車場へと入る金属製の扉は
開け閉めする度にガシャンと
金属通しがぶつかり合う大きな音が出る。
乱暴な開閉の度に
この出入り口付近に部屋を持つ住人の方たちは
その騒音に悩まされてきたんだと思う。

私も漏れることなく乱暴派だった。
——あーうるさい
開閉している本人が実は一番感じている。

ある時なんとはなしに
片手で扉を押さえながら
丁寧にゆっくりと閉めてみた。
するとどうだろう。
——かしゃり
静かな閉まる音に驚かされた。
すごくいいことをしたような気分にさえなった。

ものすごい発見をしたかのように
その後は丁寧に開閉するようになったが
まだたまに乱暴にしめてしまって
——うるさい!
と瞬間的にイラっとしてしまうこともある。

タイツを別の洗濯物から引っぺがすのも、
部屋の溜まった埃をかき集めるのも、
全部「手間」なのだと気づいた。

丁寧に暮らすことは手間ではない。
いい加減に暮らして手間を増やしてしまっている。

そんなことに気づけても
当たり前にするにはもう少し時間がかかりそうだ。

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