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謝り方の時代の変化

雨の中、車を走らせスーパーへ買い出しに行った。

コロナで買い溜めするようになり、また生協やネットスーパーを多用するようになって、実店舗へ足を運ぶことが極端に減ったのだが、
その弊害か、送料無料にするためだったり、単純に無駄遣いだったりと、食費が高くなっているのが気になっていた。
その上値上げが続いていることもあり、家計は苦しい方へと向かってしまっている。
そこで心を入れ替え、もう少し自分で買い出しに出掛けることにしようかなと、新年早々心に決めたのはつい先日のこと。

今日買っておかなくてはという切羽詰まった気持ちがないと、必要以上にかごに商品を入れることはない。
合計金額は抑えられて、まぁ週に2回ほどこうして買い出しに出られるなら、自分の目で選んだ方がやはりよさそうだ。

平日昼下がりの時間帯はスーパーはとても空いていて、スムーズに商品を選び、レジも並ぶことはなかった。
大きなサイズのかごにセットできるエコバッグを用意し、レジを通す店員さんに詰めてもらえるサービスを利用している。
これは非常に楽で、また合理的なサービスだと思う。

レジで商品の登録と袋詰めをやってもらった後、自動精算の機会で会計まで済ませてその場を離れようとした時だった。
レジの担当だった人に引き留められ、かごの中に商品が残っていたと「わかめふりかけ」を見せられる。
子どもが食すおにぎり用で必要なものだったため、改めてレジを通してもらい、再度会計を済ませた。

大したことではない話だし、店内は空いているしで、特別焦ることも感情が動くこともなかった。
私は淡々と「大丈夫ですよ」「買います」「わかりました」などやり取りするだけ。
店員さんの方はと言うと、動きも口調も淡々としているのだが、ことある毎に「申し訳ありませんでした」と頭を下げてくる。
それがなんとも違和感を感じ、業務上謝罪しない訳にもいかないんだろうなと理解した上で、ただ笑顔で「すみませんでした」と言ってもらえればいいのにとそのときは思った。

家に帰り、一連のやり取りがしっくりせず、ずっと考えていた。
私の理想の展開はなんだったのか、どうしてほしかったのか。
ようやくわかったことは、私は「許したかった」のだということだ。

ちょっと困った顔をしつつも笑顔で「申し訳ありませんでした」という店員さんにに対し、
私も笑顔で「いいんですよ、大したことではありませんから」と、私は許して「あげたかった」のだ。

なんて傲慢なのだろうか。
自分の脳内が昭和で止まっていて、客は偉いという構図が見え隠れしている。

確かに今日の店員さんは機械的で無感情で事務的な対応だった。
そこに人間味がないなと思ってしまったのだが、今の時代ではこれくらいがいいのかもしれない。
自分の非を認め謝罪することに、謙る態度は必要ない。
私が求めたものは過剰であり、対等な人間関係ではない。

また自分の古い考えを見つけてしまった。
気がつけてよかったとほっとするも、淡々としたやり取りに淋しさを感じつつ、時代の流れに乗っていく。

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