なんぞいろいろやってもす Österreich https://soundcloud.com/onlyifyoucallme http://www.sonymusic.co.jp/Music/Info/osterreich/rakuen_no_kimi/ https://open.spotify.com/artist/16gEZTmX8wNpdWCgD28LRx 共同制作 cinema staff http://cinemastaff.net/ 楽曲提供 skool g
三途の石を積んでは崩すことを繰り返していると、悲しさや虚しさよりも先に乾きが来る。乾きは渇望の過程に留まらず、そのものの凶暴さで俺をバカスコぶん殴り、こてんぱんの体は川辺に投げ出される。目の前を流れる赤く錆びついた川。渡し船の船長、その水は毒、その水は海につながる。 重苦しい部屋の真ん中に置かれたパンドラの箱は生来の傲慢さで居座っている。俺にとってそれは頼みの綱だった。未確定の意思が手を離れて、無邪気に人を傷付けまいとするその瞬間に解放してやれば、部屋中に充満したなにか
お前を殺す。誰が見ていようとも、お前がいなくなっても、生まれ変わっても、お前を殺す。忘れてしまっても殺し、思い出したときにもそう。北を更に北へ行き、もうそれ以上進めなくなった場所でも、お前を殺す。三度殺して、また次、四度目にお前を殺す。均等に、割り切れる数で、お前を殺す。本当は絶望なんて大それたものは何処にもないと気付いたときに、自分が何よりも忌避していたであろういくつかの過去が笑いかけたときに、お前を殺す。生ぬるい空気が漂う洗面台の前で、洗っても洗っても落ちないものが溢れ
一、バトゥミに浮かぶ 終わっていくのを見ていました。 何も憎まないように過ごしてきました。薄く引き延ばされた時間のなかに、ほんの少しの愛らしさを見つけて暮らしてきました。 だからどうか、わからずにいて。理解しないでいてね。 ここはバトゥミの港湾、望む黒海。 逆転する画にわたしのからだは透けて。 ジェットコースターの行き着く先で待っていてね。抱えきれないほど大量の時間とともに、会いに行くからね。 二、在処 五月、場違いな気圧が銃口になってぼくの後頭部を指し示
OOPARTSだった。 名古屋から岐阜行きの電車の中、車窓から見える畑の風景がなんだかぼくが育った町の風景に似ていて、それがなんか良かった。隣で紺野さんが「馬がいますよ!」と叫んでいてそれもなんか良かった。ここは地球で、日本で、岐阜で、ぼくらもいるし、馬もいる。 文化センターの周辺の公園や、商店、飲食店を歩いてみたりして、不思議と「帰ってきたな感」を覚えた。シネマスタッフの暖かさやこのイベントの意義、岐阜の街並み、色々な要素が混ざり合って少しずつオーパーツが文化になって
ぼくたちはいつもちゃんと死にたかった。 写真におさまるほどの画角の中で、息が詰まる、真空、花火の爆発、星が生まれるとき、ぼくの静電気がきみの指先に伝わる瞬間、カーブを曲がりきれず落ちていく時間、観覧車から覗く、あまりに、あまりにも暖かな光の東京タワー、そのすべて、余すところない一瞬のなかで、ぼくたちは死にたかった。 人間としての不全を振りかざして沈む地獄は心地よく、だからぼくたちは生きていられた。自分を大事にしないことはこのうえない快感で、それによって生き続けることを肯
「映画」 憂鬱な坂道を、みみずが進んでいく どれだけ悪いことをしたのだろう 砂漠で傘をさす、割れた花瓶に水を注ぐ 意味のないことを積み重ねて 地下鉄の空気にやられて 終点の、自動販売機の灯りに跪いて 鉄の味を 何も知らず生きていくだけで、どうしてこんなにも痛いのだろう 守りたいものは、いつもどうして見えなくなるのだろう ここはとても寒くて、ついには、あらゆるものが凍ってしまった 時間が止まってしまった わかり合って、想い合って、どうしたというのだろう ここではもうすべてが
シネマスタッフツアー初日、我々オストライヒとのツーマンでした。 共通のメンバー二人がいることに加え、一度ベストツアーに同行した時のスタッフチームがそのままで完全にホームの環境でやらせてもらえました。 とにかく何も考えず、サボって、ノーストレスでライブのことだけ考える、という本番当日のベストな環境を整えてくださったTHIS TIMEの皆さん本当にありがとうございます。 楽屋待機中、冗談抜きでずっと笑いが絶えなくて、この後ライブ出来るんかいなという感じなのですが、直前でみ
心労から解放されてわたしは無です。 25日あたりに急遽配信に変更になり、なんか朗読とかいいんじゃない?というプロデューサー兼ドラムスGOTOさんの鶴のひとこえによって急いで仕込みました。朗読は個人的に禁じ手という認識なので以後あんまりやらないと思います! 映像チームと音響チームがヤバすぎて実物より良い感じかも……?というレベルなのでアーカイブチェック是非宜しくお願いします。小林くんがエロすぎた……。3日までです。 https://perfectmusic.zaiko.i
空港のタラップがガタガタと揺れて、足元がおぼつかなくて、不安でたまらないとき、きみは死んだ。春なのか夏なのか、誰もわからないような気温の日に、きみは死んだ。波打つ砂浜の、風、汚れた潮味がして、吐瀉物が喉元まで迫ったとき、きみは死んだ。どこかで会った気がするから、何度も振り返って、人混みに消えていく背中を見送ったとき、きみは死んだ。なんの前触れもなく、なんの必要性もなく、なんの準備もなく、きみは死ぬ。それを知るたび、ぼくには生きていることがひどく後ろめたく感じられ、同じような
ぽす、とライターの火、せり出て、揺らめく、窓を下地に、地上絵を描く、題名、ほのお。西武新宿線が減速する音、停止する瞬間、指をそっとくぐらせてみる。アツツツツ。これはいけない。続ければいずれ焼けてしまう。溶けちまう。熱さと肩を組んだ痛みがにこやかにサムズアップ。俺は、”おれたち”は、いつだってお前のそばにいるんだぜ。忘れるな、その向こうにある自然な構造と一握のハッピーを。 平坦な道をだらけた態度で走っていると、世の中には痛いものや辛いものが無いのではないかという錯覚に陥るが
ある日突然体に機関銃を打ち込まれた。感覚をどれだけ遡っても在るべき痛みはそこにはなかった。骨、皮、それと肉が、ぷらぷらと頼りなく繋がった体を見て、途方に暮れた。 獣を模した生活は、突き詰めていくとぼくを機械に変えていった。今年を振り返り今の今のいたるまでぼくの足跡からは人間の匂いが全くしなかった。単調は卑屈を、卑屈は後悔を呼び、しまいには不健全な体を寄越してみせた。食べても、食べずとも、寝ても、寝ずとも、丸っきり同じ体。 朝、洗面台の鏡に映る女を見た。自分より小さきも
そこは何処かの高校の校庭だった。秋の終わり、少し曇った鈍い空気の漂う夕暮れだった。 僕は校庭の端っこの銀杏が立ち並ぶ所に一人座り、味の無いガムを食べながらただボーっとしていた。地面が見えない程の落ち葉が僕の周りを円状に囲み、少し風が吹くとカサカサと音を立てる。 校庭の入り口近くにはバレエダンスを踊る制服の女の子の集団がいて、そこから少し僕に近い所、落ち葉の円の外側にはブランコに乗った同じく制服の女の子が居た。バレエダンスの女の子達は全部で十人程で、それぞれ違う踊りを踊っ
一年の焦燥はたった五秒の決断で打ち砕かれた。私が行き先の分からぬバスに揺られている理由は、ただそれだけ。失恋旅行なんて俗っぽいモノ、嫌ってたのになあと思いながら、今はそんな俗っぽさがぬるま湯のように心地良く感じてしまう。窓から見える銀杏がそれを肯定するように連なる。 隣の席の男子高生はしきりにメールを打っている。幼い横顔が文豪に見えるのは、きっとそれが愛を囁くメールだからだろう。 私は男子高生とその彼女を想像する。彼女はきっと小さな体を一杯に使って、その日あった事を箇条
放課後、美化委員会の教師に教材室の掃除を頼まれた。ニヤケ顔でお願いする中年教師の顔が、この子は断る術を知らない、と言っているように見えて不愉快だったけれど、やっぱり私は何も言えなくて、喉から言葉が出なくて、目を反らしてうなずいた。その横を一瞥もくれず歩き去る委員の子達は、私の存在など一瞬も頭に入れず、それぞれ帰り道の秘密を考えていたに違いない。 掃除用具を運びながら歩く廊下の床の温度が冷たく感じた。この状況が情けなくて、それでも忠実に従う私が何より情けなくて、顔中に血液が
きみの偽物を見た。 六月だった。 デパートの屋上にある小さなメリーゴーラウンド、その隣のベンチで、おおきなクレープを食べていた。雲は妙に粘ついていて、まるで脂肪の膜のようだった。飛んでいた飛行機が絡め取られて、もがきながら落ちていくような気がした。 十月にも見た。 公園の砂場で、蟻の巣をじっと見ていた。ピクニックに向かう幼稚園児たちが、その横を通り過ぎていく。並べられたドミノのように整然と歩きながら、歌を歌っていた。あるこうあるこうわたしはげんき。目を離している間に