遺体

 空港のタラップがガタガタと揺れて、足元がおぼつかなくて、不安でたまらないとき、きみは死んだ。春なのか夏なのか、誰もわからないような気温の日に、きみは死んだ。波打つ砂浜の、風、汚れた潮味がして、吐瀉物が喉元まで迫ったとき、きみは死んだ。どこかで会った気がするから、何度も振り返って、人混みに消えていく背中を見送ったとき、きみは死んだ。なんの前触れもなく、なんの必要性もなく、なんの準備もなく、きみは死ぬ。それを知るたび、ぼくには生きていることがひどく後ろめたく感じられ、同じような角度を必死に探した。探せば探すほど、そんなものはないと思い知らされて、発作のように胸を掻きむしる。
 広角レンズいっぱいに敷き詰められた、ぼくの体に決して馴染むことのない「なにか」が憎くて憎くて、羨ましくてしかたがなかった。それはいつも美しくて正しかった。これが宗教なら、ぼくはとうに狂信者で、殉教していただろう。
 明日きみが死ぬかもしれない。失う恐怖よりも先に、それを自分だけのものにしたいという、愚かな正直さを、もう無視することができなくなっていた。この後ろめたさと愚かさを塗りつぶすために必要なのは、おそらく、きみの遺体なのだろう。

 電車に揺られて随分と寒い場所へ向かった。あてもなく遺体を探すには広すぎるだろうけれど、そのためならぼくは未来を明け渡してやろうと意気込んでいた。
 荒んだ町を切り開くように続く道を何日も何日も歩いて、折り返しても遺体は見つからなかった。帰路につく途中、きみがとっくに死んでいたことを知った。思い立った日、北へ向かう電車、四つ目の駅に差し掛かる程の時間に、スーパーマーケットの立体駐車場で。
 次はぼくの生まれた街を探した。小さいときに暮らしていた長屋はとっくに取り壊されていて、一面が茶畑になっていた。悲鳴と、諦めと、胸がすくようなみどりの匂いがした。夜はケンタくんの家の前の公園で眠った。芝生が頬をこするたびに目が覚めてしまうので、あまり良く眠れず後悔した。
 なんとなく通っていた小学校まで歩いて、裏手にある川辺を探してみたり、よく買い食いをした団子屋の前の急な坂道も探した。真上を飛行機が飛ぶ直線の砂利道も、憧れの女性が住んでいた一軒家の前も、思いつくところはすべて歩いたけれど、きみの遺体はどこにもない。
 酷く疲れて家路についたその瞬間、きみは死んだ。なんだかよくわからない部品を作る工場の、バカでかい音を立てる機械の横で。
 それからの日々、きみの死と遺体は何度もぼくをすり抜けて行った。毎回律儀に発作を起こして胸を掻きむしるものだから、ぼくの胸部から腹部にかけてはボロボロになってしまって、誰にも見せないのに酷く落ち込んだりした。
 いつまで経っても、きみの死には慣れないし、遺体は見つからない。死は海に似ていて、遺体は砂のようだ。取り憑かれて、取りこぼす。
 ぼくもいつか死ぬ。遺体になる。なんの前触れもなく、なんの必要性もなく、なんの準備もなく、ぼくは死ぬ。誰かがぼくの遺体を探しても、きっと見つけられないのだろう。きみの遺体もぼくの遺体も、美しくて正しいなにかが連れ去ってしまう。狂いきるほど信仰したところで、殉じたとて、なにかは決して理由も行き先も語らない。
 明日も、ぼくはきみの遺体を探しに行く。かきむしって膿だらけの胸、じくじくした痛みに耐えながら。後ろめたさでお腹をいっぱいに膨らませて。
 

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