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ザ・街録に出るまでもない・番外編3

今日は番外編、偶然がテーマ。

どおって事ない話。ただ、私の身の回りには多くの偶然が重なりあってるという事を分かっていただければと思う。まあ、普通にある「偶然」なのかもしれないけど、私はそうは思ってなくって、私の人生を彩る出来事の一つが、それらの「偶然」だと思ってる。生きてるって満更でもないなぁと感じる瞬間が、偶然の瞬間なんだね。実に味わい深い。笑

前の記事で書いた、ダウン症のお友達の事。お友達と言っても数回?もしかしたら私の記憶の中では、その1日しか覚えてないので、1回だけだったかもしれない。私が初めてダウン症の子供と対面した時の事をたまに思い出す。

彼の名前は確か、エイちゃん。うちの父と同じあだ名だったので覚えている。エイちゃんに会ったのは、私が幼稚園生の時だったから、4歳か5歳。その時のエイちゃんの年齢は10何歳くらいかな?体も数倍デカくって、でもなんか様子が変?と私は思ったのを覚えてる。

最初はどうしていいか分からなくって、様子をうかがってたけど、そのうち話し始めたと思う。やっぱりどこか見た目より、幼いなって、幼いながら思ったけど一緒に遊んだ。

後に母から、エイちゃんのお母さんが、はるみちゃん、はるみちゃん と言って、とても私の事を気にったと言っていると、母から聞いた。私は、へ?なんで?と思って、母に、エイちゃんの事をもっと詳しく聞きたくって、エイちゃんってなんでああなの?って聞いたら、その時初めてダウン症の話を母から聞いたのだった。

そして、母が言った一言がとってもショックだったのを覚えている。あの子、20までしか生きられないんだって。

ええええ!!!!そうなの?あと何年生きられるの?と聞き返したと思う。その時私はなんて可哀想な人だと思った。そんなひどい病気だったんだ!ってね。

で、以前Youtubeで、有名ヴァイオリニストの方のお姉様がダウン症で、と言うのを観ていたら、当時の日本ではダウン症は20くらいまでしか生きられないと言われてた と言うではないか?!でも、そのお姉様は今、私くらいの年になってるのよね。なんだ!そうだったんだ!って思って、昭和の医者も、随分と無責任な事を言っていたのね~、なんて思った。笑

当時、20歳しか生きられない と医者から聞いて泣いた人は、多かっただろう。

エイちゃん、元気かな?ってたまに思う。エイちゃんのお母さんは、その後、横浜市内の私の住んでた区にある養護学校の校長先生になられたそうだ。あとから考えるに、エイちゃんのお母さんは、きっと、ダウン症の子供と、普通の子供が交流できる機会が欲しかったんだと思った。もっと仲良くすればよかったなってすっごく後悔した。

でも、大人がきちんとした説明をしてくれないと、子供は混乱するのよね。その混乱と不安が私にあった。今はダウン症の子供の理解がもっとあるだろうから、彼らは他の子からいろいろ学べる機会があるのだと思う。そして、私達も彼らからいろいろ学べる機会も増えているだろう。

夫の従妹は、大学で特別支援が必要な児童について学んでいて、その子が言うには、彼女はダウン症の子供が好きだ。ダウン症の子供は基本、ハッピーだと言った。アンハッピーなのは、親のアルコール中毒が原因で生まれつき目が見えない子。だと言ったのが印象的だった。なるほど。気持ちが分かる気がする。

障害のある人たちの社会的支援ってすごく大事だと思う。最近たまに、凄いこと言ってる輩がSNSとかでいるけど、障害を持って生まれた人を支援するのが社会の役割。私たちの課題だよね。私なんか、今回はラッキーに問題なく生まれたけど、来世ではわからんぞと思うタイプなので、明日は我が身と、本当に理解ある社会になったらいいなと思うけどね。

最近ね、無責任にも冷たいこと言う人が増えたよね。Have a heart!よ、マジで。






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