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街録に出るまでもない番外編13・変な家・井戸のある家

私の祖母の家は東京にあった。祖母は、祖父と離婚して、離婚後は南千住に住んでいた。女優市原悦子さんは、彼女のドラマシリーズで、あの有名な誘拐殺人事件、吉展(よしのぶ)ちゃん事件のドラマに出ていたと最近知った。

ああ、吉展ちゃん事件、遠い昔だよな。(ウィキで調べてね)

もう何十年も昔、私がまだ幼稚園か小学校の低学年だったころ、祖母からその話を聞かされた。その後は、いつも遊びに行く公園のブランコに乗る時は、必ずお寺の方を向いて乗ったのを覚えている。なんとなく、お寺方面に背を向けてはいけない気がして、吉展ちゃんが埋められていたお寺の方を向いてブランコに乗っていた。

後にウィキで調べたら、そのお寺のもう一つ先にあるお寺で、吉展ちゃんは発見されたという事なので、その公園のすぐ隣のお寺と吉展ちゃん事件は無関係だと知った。笑 勘違いだった。

金目当てで誘拐されて殺害されたと、その時は知らなかったが、そういう事だったらしい。祖母の家には夏になると遊びに行っていたので、思い出が沢山詰まった家だった。が、その家はもうない。

その家が、変な家 だった。笑 女遊びの問題があった祖父と離婚して、保険の代理店をして得たお金で祖母が購入した家は、横浜の郊外に住んでいた私には、とても変わった家に見えたのだった。当時私が住んでいた、変な家より、もっと変な家だった。まず、めちゃくちゃ小さかった。笑

一応、二階建ての家で、祖母の寝室兼仕事場が一階だったので、私たちが遊びに行くときは、二階に滞在させてもらっていた。二階は部屋が2つ、階段を上って右の入り口の部屋をフスマで仕切って、奥の部屋があった。私たちは奥の部屋で寝た。入口の部屋は大きな祖母の着物用の桐ダンスが左側に壁の様に置かれていた。狭い階段から、どうやってあれを入れたのかは謎。笑

その家には小さな庭があり、植物好きの祖母が沢山植木鉢を置いていた。家の正面から見て右側に井戸があり、その辺の住民の生活用水になっていると聞いて、とても驚いたのを覚えてる。今時、井戸?って。しかもここは、横浜より都会の東京だ。って。

一人暮らしの祖母が亡くなった時、近所の人が、水道の水が出ないのでおかしいと思って祖母を訪ねたら、祖母が倒れてるのを発見したという事だった。キッチンの水道の水が出っぱなしになっていて、祖母が雑巾で鼻血を拭いた形跡があり、そのままキッチンで倒れていたのを発見されたのだった。救急車で運ばれたが、その時祖母はすでに亡くなっていたという話だった。脳の血管が切れて亡くなったのだ。享年64歳だった。私が10歳の時だった。

その井戸に、金魚が住んでいたのをよく覚えてる。上から見ると、大きな金魚の形が薄っすら見えたのだった。その時、私は、この水を飲むの?って気持ち悪くなったけど、祖母の家には浄水器があったので、ちゃんとフィルターしてるという事だった。余談だが、私もこの水を飲んだので、ヘリコバクター(ピロリ菌)が凄く気になっている。調べるのは簡単だという事で、いつか落ち着いたら調べようかと思ってる。今のところ胃痛などの症状は全くない。

その家には、引き戸の玄関があって、家全体の大きさから比較すると広めの玄関があった。玄関の両脇にキッチンの半分(右側)とトイレ(左側)があるので、玄関の奥行きは1.5m以上あったと思う。一度、正月に、獅子舞の人が来て、その玄関でお獅子をパクパクさせていたのを覚えている。そういう事が出来るくらいの広さがあった。

玄関を上がって、すぐ突き当りが、祖母の部屋。右側がキッチン、左側がトイレ、トイレは、一応水洗トイレで、今はもうないだろう、水のタンクが上にある、チェーンを引っ張るタイプの水洗トイレだった。上から垂れ下がってる、チェーンの端っこについてる、白いハンドルを思いっきり引っ張って水を流すタイプのトイレだった。

このトイレの位置がめっちゃ  なの。笑

トイレのドアのすぐ前、30cmくらいから、二階へ上がる急傾斜の階段が付いていた。まあ、狭い土地に二階家を立てるからそうなるのだろうけど、その階段の最上部から、下の弟が良く転げ落ちたのだ。転げ落ちると、そのトイレのドアに激突する音が聞こえ、弟の泣き声が聞こえてくるのだった。また落ちた!と思うのだった。笑

成長した下の弟に一度聞いてみたことがあって、何であんなに良く転げ落ちたのか自分なりに原因って分かってる?って聞くと。下を見たときに、頭が下に行ってしまうので、いつも転げ落ちてたように思うと言っていた。つまり頭が重かったという事だった。確かに2,3歳の子供の頭は大きい。

その階段にはもう一つ思い出があって、祖母が亡くなった時に、葬式をする為、一度親戚一同全員がその家に集まったことがあった。全員と言えば、いとこも全員集合だった。母も言っていたが、親の葬式でも、子供には楽しいイベントになる というのはこういう事なのだ。普段、全いとこが集まって遊ぶ機会などそうそうないから。

私は祖母の孫の中で、2番目に生まれた子供で、私の上に当時中学生だったいとこがいた。彼女が言い出しっぺだったと思うが、その 階段 に集まって、怪談話 をしよう!と、オヤジギャクの様な一声を発したのだ。笑

いとこ全員がその階段に座って、知ってる怪談話を順番に話し始めたのだ。今となっては不謹慎且つ楽しい思い出だ。祖母の部屋には祖母の亡骸があったのだから。そのいとこは、うめずかずおの漂流教室とかが大好きで、オカルト系大好き女子だった。大学を出て出版社に就職したと聞いているが、もう何十年も会っていない。私は家族に縁がないので、しょうがないと諦めてるけど、私より5歳くらい上だったので、そろそろ年金がもらえる年になっているのだろう。

もう一つ、変なところと言えば、祖母の部屋に2つ窓が付いてるのはいいけど、窓を開けると、30cmくらいのところにすぐ隣の家の外壁が見えたのだった。子供心に、なんの為の窓?と不思議だった。その窓から下を見ると、瓦礫の山だった。ゴミみたいな、ブロック塀の屑とかがゴロゴロ落ちていて、そこをたまに野良猫が通るのだ。一度、窓を開けたら、野良猫と目が合った。笑

東京の家だから、狭くって密集してるってイメージはあったけど、ここまで隣との距離が近いとなんだか圧迫感さえ感じる。採光のできないイミフな窓と言うのを初めて見たのだった。

二階に上がるともう少し窓は窓らしい役割をしてて、階段を上がってすぐにある窓からは、今はもうない、東京スタジアムと言うのが見えた。東京タワーも小さくだが、端っこの方に見えた。二階から隣近所の屋根が見下ろせて、気持ちいいのに、何故祖母は二階で寝ないのか不思議に思い、祖母に聞いたことがある。答えは簡単だった。暑いから。

東京の夏は、蒸し暑い。海からの風が吹く横浜に比べると、東京は非常に蒸し暑く、母は東京の蒸し暑さが苦手だった。一階の祖母が使っていた部屋だけにクーラーがあったのだ。確かに二階は、窓を開けっぱなしにしても、夏は蒸し暑くってなかなか眠れなかったのを覚えてる。

そうそう、この家には、風呂がない。それも変だった。祖母の家には風呂場が無いのだった。なので、私たちは、三ノ輪商店街にある、お風呂屋さんを利用してたのだ。子供の私としては、普段できない体験だったのでとても楽しいイベントだった。湯上りに飲む、フルーツ牛乳とか乳酸菌飲料のマミーとかああいうのが飲めるので、風呂嫌いの私も、お風呂屋さんを楽しみにしていた。私は子供の頃、風呂が嫌いだった。たまに、風呂を嫌がる私の体を母が蒸しタオルで拭いてくれた。今となっては、いい思い出。

そのエリアの家は、俗にいう、長屋と言うやつじゃないか?と思われる家が多かった。例えば、真向いのお家に同じくらいの年齢の子供がいたので、家に入ったことがある。入ったと言っても、玄関とキッチンだけなのだが、その子が米を研いでいたのを覚えてる。当時の私は、米研ぎの仕方も知らなかったので、どうやるのかをその子が教えてくれたので、米研ぎを初め体験した。

その子の家は、トタン屋根の、本当に長屋の様な、家が横に繋がった家だったので、子供心に、そんなに裕福な家ではないんだなと思っていた。その子とは、頻繁に遊んだ記憶はない。遊ぼうと誘ってみても、今日はそろばんがあるからとか、お習字があるからとか、言われてなかなか一緒に遊べなかった。その為その子とは、全く親しくはなれなかった。なので名前も覚えていない。それは私にとって、凄く不思議な事だった。年齢が近い女の子だったのでなおさら。

祖母の家を出て、細い道をくねくね曲がりながら歩くと、商店街への近道があった。その風景が、新横浜にある、ラーメン博物館の風景ソックリで、あそこに行くと、祖母の住んでいたご近所を思い出す。コレ!昔の東京!って子供達にもそう教えた。子供達がまだ小学生だったころに一度、ラー博に連れて行ったことがある。

祖母の家・・・そうそう、あの事件があった!あの事件、血まみれ事件。長くなったので次回に回そう。

トップの写真は、変な建築物が沢山ある、ニューヨーク州の州都、アルバニーの市庁舎の様な建物。こういう、ヨーロッパ建築モドキな建築物が沢山あるんだ、アルバニー。変なところよ!w










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