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ゆとり世代とインターネット

 自己紹介をしようとしたのに思い出話で終わったので、もう少し踏ん張って何か書いてみる。

 私は平成の初期に生まれた。いわゆる「ゆとり世代」で、「円周率は3なんだろう」と年上の連中から小馬鹿にされてきた世代の一人である。ちなみに円周率は3.14である。ただし、小学生のときに通っていた塾の模試か何かで一度だけ円周率を3とする問題が出たのを微かに記憶している。それは異常に難解な問題で、全く解に至らなかったし、解説を見ても理解できなかった。今となってはゆとりたる自分の算数力が足りなかったのか、本当に問題が高度な問いだったのかを確認することはできないが、円周率が「3」であったのは、「.14」を思い切って切り捨てる程の価値がある思考を問いたかったのではないかと信じるようにしている。
 何かあればゆとりゆとりと一言で足蹴にされてきたが、今そうして我々を揶揄ってきた人々が「ゆとりが失われた」と嘆いているのはなんとも皮肉である。

 私は同じ平成初期世代の中ではかなりネット歴が長い方だと自負している。十二歳の頃には親のパソコンを触っていた。といっても、@niftyで「ポケモン 攻略法」とか「裏技」と検索する程度のもので、ネットで誰かとコミュニケーションを取るようになったのは、中学二年生の頃に不登校となってからである。
 中学では所謂「いじめ」にあった。当時「いじめ」とか「不登校」とかは、令和の今日のように社会に浸透した言葉ではなかった。私の住んでいた地域ではまだまだ「変な」事情として扱われ、学校生活からの落伍者と見做す意味合いをもっていた。少なくとも私はそう感じていた。それが嫌で、毎日学校を休んでいるにもかかわらず、自分はサボりであって、不登校ではないと頑なに思っていたのを覚えている。今になって思えば可愛らしいが、「俺はサボりだ」と言い張る息子にどう言葉をかけても効果がないため、母は相当な心労を抱えていた。母は、公立中学校の教師たちが私の不登校となった背景に母子家庭という要素を見出す様子に、この上ない悔しみを感じていた。学校は、あくまでも「いじめ」に蓋をしようとする。その屈辱が、母子の仲を更に不和にするべく働いた。私は社会や学校が持つこの手の性質を未だに許すことができない。学校に行く勇気を出せなかった自分が全て悪いことは承知の上である。しかし大人になった今、社会が家庭を追い詰めるような循環を無自覚に作り出してしまうことへの憤りが、澱のように心の底へ横たわっている。他者とは信用ならぬ存在であり、人よりも上回った存在でいようとする暴力性を潜めていると警戒する卑屈な性分は、おそらくこの頃の経験に根ざしている。

 家の中で過ごした思春期における最もの親友は、飼っていた犬であった。これは不倫していた父が別の女と住んでいる家から引き揚げて、我が家に捨てた犬である。雌のシーズーだった。
 太陽がすっかり昇り切った後、それでも尚二階の自室ですやすやしていると、犬が一階から吠え立ててくる。その鳴き声に起こされて不登校児の一日は始まる。犬は偉大なる弟が学校へ行き、母親が漸く仕事に出た後、毎日必ずワンワンやる。それも多少無視したくらいでは諦めず、十分でも二十分でも私が自室から出て階段を下りるまでずっと鳴き続けるのである。なぜ決まって二人、というか一人と一匹になってからなのかわからないが、おそらく他に誰もいなくなって退屈だから出てこいというくらいの考えだろう。未明頃まで起きていた私には堪らない迷惑である。不登校で特に用事もないのだからせめて昼下がりまで眠らせて欲しい。しかし犬は私の惰眠を決して許さず、直ちに伺候するよう要請する。仕方なく居間に入ると、吠え続けていた犬が大変な仕事やり遂げた様子で尻尾を振って近づいてくるので、とりあえず撫でてやる。

 不登校というとなんだか陰惨な雰囲気がつきまとうようだが、別に四六時中悲しい顔で生きているわけではない。家にいる昼間は至って気楽である。特大号以外の「笑っていいとも!」をリアルタイムで観た中学生がどれほどいるだろうか。「ごきげんよう」が終わった後の番組は至極退屈になるが、当時の私は正真正銘の「テレビっ子」であった。
 と同時に、ネットユーザーでもあった。ハンゲーム、ネットマーブルのアバターチャットで出会う紳士淑女たちと温めた社交は数知れない。「こんちゃ」「誰かいますか?」「いますよ」「何歳」「16」「俺も16だよ」「彼女いますか?」「いるよ」。もちろん大嘘である。おそらく、相手の言も嘘であっただろう。インターネットにおける処世術のいろは、すなわち平気な顔で嘘をつくことを教わったのはこの頃であった。当時は「厨房」と言って、年齢を理由に不当な差別が許される、中学生にとっての暗黒時代であった。私は時には十八、特には二十の成人と偽って、初期アバターの白いランニングシャツと黒パンツを身に纏い、フレンド諸兄姉のいる部屋を颯爽とクリックで駆け回っていた。
 私は高校生や成人を騙る不登校中学生だったが、中には中学生や高校生を騙る成人も当然いた。むしろその方が数としては多かったのではないかと感じる。これは不思議なもので、平気な顔で嘘をつくことのに慣れると、言葉を交わしているうち、相手の言葉の嘘であることが自然とわかるようになってくる。特に年齢の詐称はすぐにそれとわかる。顔が見えずとも、声が聞けずとも、言葉が違うのである。それとなく使う名詞から「てにをは」まで、本物の中学生はそんな言葉を使わない、という感覚は非常に鋭く作動した。

 この嗅覚は年をとった後も役に立った。数年前、Discordという音声通話サービスで知り合った友人らと関西のある飲食店で食事をしたことがある。一人は31歳の男、一人は26歳の女性で、その女性が滅多にお目にかかれないほどの美人だったのだが、ビールやらワインやらを飲みながら会話をしているうち、何か違和感が湧いてきた。その違和感は、不登校時代にアバチャで感じたそれと同じであった。その美人は、運ばれてくる華やかな料理に「すごーい写メとっていいー?」とスマホを構える。はて、写メ?そんな言葉遣いを26歳が使うか?怪訝な心持ちをビールで飲み込んで調子を合わせていると次に仕事が辛いという話になる。転職を考えているらしい。我々男で慰めたり、神妙にウンウンと頷いて見せたりする。容姿の良さは得である。「いつでも相談してくれたらいいよ」「愚痴くらいいくらでも聞かせてよ」「ありがとうー、もうちょっと辛抱してみよっかなあー」。はて、辛抱?ここで違和感は確信に変わる。一体辛抱なんていう言葉を知っている立派な若者がこの令和の世にどれだけいるか。辛いことがあれば逃げろ逃げろと甘い言葉を投げかけるのが正しいと思っている時代である。頑張れが禁句になった世の中で辛抱なんて口に出す26歳の人がーーまして美人がーーどこにいるわけもない。とすればこの人は26歳ではないか、立派な人間ということになるが、立派な人間はDiscordで知り合った男と食事になど出かけない。
 店を出て解散した後、駅までの道程で二人きりになったところで我慢できず、酒のせいにしてやんわり追及してみると、あっさり観念した。その人は34になる歳であった。それ以来かえって親交が深まったのは不思議である。

 さて、言葉から嘘とわかる嗅覚の鋭さは、当然相手も同じように持っていた。成人を騙る私とネットで会話をしてくれた紳士淑女らは、実は私が中学生だということに勘付いていたのだと思う。少なくとも、成人ではないことぐらい判っていただろう。互いに嘘をついていることを了解し合いながら、それでも嘘の上に乗っかって交友を演じるようなことが、何度もあった。その人たちにも私と同じように色々な事情があったのだろう。嘘だと伝わるのはネットにおける嘘が所詮ほつれの多い乱雑なものであることの表れなのだが、そんな包帯のような嘘を暴かずに居場所を与え合うのが、当時のインターネットの良さだったような気もする。
 本物の中学生は、夕刻から夜に現れることが多かった。当然である。彼ら彼女らは日中学校で勉学しているのだから。私は実を言うと夜の方がネットをしていて楽しかった。私は居間で犬と一緒に、退屈なテレビの番をしながら彼らの帰りを待っていた。

 アバターチャットはそう長く続かぬうちに飽きてしまった。他でもないMMORPGの黒船が襲来したからである。これ以上の話は長くなるので別の機会に譲らねばならないが、低スペックで動作する2DのMMORPGは、私のインターネット史における盛唐時代と言って過言ではない。老はどうかわからないが、若男女あらゆる他者とつながった。その後、したらばで人間の妬み嫉みを知り、2ちゃんねるでアイロニーを、mixiで現実世界の振る舞い方を教わった。

 そんな私がSNSのコミュニケーションに居心地の良さを感じないのは至極当然の帰結であった。Twitterの他、Instagramも、Facebookも今の私には縁遠い。学生のときまで使って、就職するタイミングで全て消してしまった。コロナがやってきて移動の自由を奪われた折に先言ったDiscordを少し触ってみたが、妙な寂しみが生じてきて、半年も経たずにやめた。
 今日のSNSは、ほつれの多い嘘を許さない。もし不登校中学生だった当時の私がTwitterに登録したら、すぐに「炎上」し、断罪されるだろう。アイロニーなど以ての外である。要は世間にゆとりがない。

 母との関係は、私が大学生になる頃には和やかなものになった。現実に立ち直りゆく私を見て、安心したと見える。
 毎日健気に私を起こしてくれた犬は、私が一人暮らしを始める二ヶ月前に肝臓をやられて死んでしまった。その一月後、東日本大震災があって、世の中がひっくり返った。学生時代は多くの友に恵まれた。
 最初に勤めた会社は三年で転職した。今度の勤め先は、退職までいる積もりでいる。
 結婚もした。子どもは欲しいが、難しいらしい。家を構えたので犬でも欲しいが、妻は猫派である。

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