鉄皮猫

花と読書と映画

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  • 初草日記

    草は下書きの意味をこめている。日記。

  • 花枕

    智も情も意地も今ひとつ選び取れない私が、生活に花を咲かせるための言葉たち。

  • 作品の感想(タイトル未定)

    小説、映画、ドラマ、アニメ、漫画ーー文化に関わるものを雑食し、雑多に感想を残していく

最近の記事

20240916

 世の中には読んでもらう文章と読ませる文章の2種類があると思っている。前者は、平易な語彙とやさしい文体で書かれている。行間がなく、誤読しないようこぼさず説明されている。喩えるなら丁寧に舗装された快適な道路である。後者はその逆だ。書き手が使いたい語彙と文体で、行間を設け、解釈の余地を持たせている。語彙を持たない人には読めないし、誤読が生じる可能性がある。いわば険しい獣道である。  ネット上で読むことのできる膨大な文章は、ほぼ全てが前者である。後者の文章はまず見ない。あるにはあ

    • 20240905

       有名な話だが、『古今集』仮名序は冒頭で和歌の本質を述べている。  この宣言は、そのまま「ことば」の本質として言い換えても良いと思う。なすべき「こと」、いとなむ「わざ」が多い人間は、その中で触れたあらゆるものに心を動かし、それを「種」として「ことば」を生じさせる。  生活に何も起こらなければ、言葉は生まれてこない。何も言いたいことはない。世界と「私」との間に摩擦があるからこそ、言葉が生じる。平和とは、言葉が不要な世界である。いわば、究極の幸福である。ただしそれは究極の退屈で

      • 20240829

         何かものを書こうと思うと、『徒然草』の序を思い出す。  いかにも京風の自虐を含む序で、素直に読めないからか、なんとも贅沢で羨ましいと感じる。虚しい現代を生きる私には「日くらし」硯に向かう程のゆとりがーー時間においても心においてもーーないからだ。  また、でたらめな記憶力を持ち合わせている私は、随筆という括りで『方丈記』の序も同時に思い出す。  そしてあろうことか、両者をぐちゃぐちゃに混ぜたような理解を生み出してしまう。というのも、同じ有名な随筆であるという共通点に加え

        • 20240821

           國分功一郎『目的への抵抗』は刺さった。『暇と退屈の倫理学』よりも心にストンと落ちてくる読了感があった。なるほど、目的には抵抗せねばならない。結果的に過程と見做されるその実を満たされたものにしたいと思う。そのためには時間、締め切りが最大の阻みになる。しかし、逆説的ではあるが、目的と締め切りを忘れるがゆえに、目的と締め切りにそぐうような実りある成果が生まれるはずだ。私に課せられた一大プロジェクトの締め切り、残り1週間も、その期日を忘れてプロセスを楽しみたい。  終電、隣にどっ

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        記事

          祖父、パトカーに乗る・上

           母に連れられ、妻と一緒に備北にある祖父母の家に帰省した。そこでちょっと変な事件を聞いたから記しておく。というのも、題の通り祖父が警察の世話になった。  私の祖父母は、祖父が86歳、祖母が83歳の高齢夫婦である。しかしそれで農業をまだ続けているシン・高齢者夫婦である。祖父は田植えから稲刈りまで、祖母は畑でキュウリからメロンまで育ててたまに宅急便で送ってくれる。それが美味いのなんの、同じ茄子や玉ねぎ、白菜でもスーパーに並ぶものとは比べものにならないくらい新鮮で美味である。美味

          祖父、パトカーに乗る・上

          批判の幻聴

           『ネットはなぜいつも揉めているのか』という題の本を読んだ。ちくまプリマー新書から出版された本である。  書き始めから筆者には大変失礼なことになってしまうのだが、タイトルの魅力に比して、大して新しい発見の示された内容ではなかったと言わねばならない。至極大まかに言えば、Twitterを見ていればわかるように、発信したメッセージが受け手の立場次第で歪めて解釈される可能性があるだとか、そうした歪んだ解釈から生じた対立が、先のアメリカ大統領選をめぐる事件が例となるように、被害者意識

          批判の幻聴

          キツネから国家へ

           最近2冊ほど本を読んだ。偶々どちらも倫理とか哲学とかの話題を扱うものだった。『悪いことはなぜ楽しいのか』、『従順さのどこがいけないのか』という題からして魅力的な本で中身も十分に良い。後者はまだ読み切っていないので続きが楽しみだ。  両者はそれぞれ異なるテーマを扱っているが、どちらもハンナ・アーレントを引用しながら話を進める箇所がある。良いとか悪いとか、ルールとか決まりとかいう話題なので、自然そうなるのだろうと思って読んでいると、こんな一節と出会った。  更に、同書は、「反

          キツネから国家へ

          SNSよさようなら

           私はSNSを使っていない。X(旧Twitter)、Instagram、Facebook、TikTok、BeRealのどれにも登録していない。学生のときまでは触っていただが、就職を機に全て消した。ただしLINEは使っている。SNSは言葉の定義からすればLINEも入るから私は早速嘘をついてしまったことになるが、要するに投稿した内容が一対多の関係で不特定に行き渡るようなサービスはやっていないという意味に断っておく。この意味でYoutubeが微妙なところだが、これは使っている。とい

          SNSよさようなら

          ゆとり世代とインターネット

           自己紹介をしようとしたのに思い出話で終わったので、もう少し踏ん張って何か書いてみる。  私は平成の初期に生まれた。いわゆる「ゆとり世代」で、「円周率は3なんだろう」と年上の連中から小馬鹿にされてきた世代の一人である。ちなみに円周率は3.14である。ただし、小学生のときに通っていた塾の模試か何かで一度だけ円周率を3とする問題が出たのを微かに記憶している。それは異常に難解な問題で、全く解に至らなかったし、解説を見ても理解できなかった。今となってはゆとりたる自分の算数力が足りな

          ゆとり世代とインターネット

          自己紹介|はじめてのnote

           これまでの人生で何回の自己紹介をしたか、もう覚えていない。が、三十余年の間、人並みの自己紹介ができたと思えたことなど一度も無かったことは判然と自覚している。私は、自己紹介が苦手である。  高校生の頃、入学した直後、クラスでやはり自己紹介の時間があった。一人一言ずつ、名簿順に簡単な挨拶をして、周りは拍手をする。一般にクラスでの自己紹介なんて言うのは、大体名簿の後半になってくるとだらけてくる。そもそも、一度の時間で三十、四十人もの名前と顔とを覚えられるはずがない。世の中には私

          自己紹介|はじめてのnote