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「フェミニズムに定義なんてありません」について。言いたいことを言ってやったぜ!!!
「フェミニズムに定義なんてない?じゃあ私もフェミニスト!」
ちょっと見ていてあまりにいたたまれなくなったのでここに書き記す。
「フェミニズムに定義なんてありませんしね」
以前こういうツイートが投じられ、それからしばらく経った今も波紋を広げている。
このツイートを受け、「フェミニズムに定義がない?じゃあ私もフェミニストだ!」
という潮流が起こっていた。
フェミニズムに反旗を翻していた者たちの間で。
そもそも、彼ら彼女らは当のフェミニスト
に定義を聞いて初めて「あ、そうなの!?」
となるほど自分が知らない話を今まで批判していたのだろうか、という疑問がまず生じるが、それはここでは置いとく。
そもそも(2回目)私が問題視したいのはフェミニズムを傾聴する反対派の姿勢についてだ。
彼ら彼女らはフェミニズムにちゃんと耳を傾けた上で批判しているだろうか。
批判の上の必須姿勢をちゃんと守っているんだろうか。
答えは、大いに違う。
彼ら彼女らの姿勢はその全くの逆だ。
彼ら彼女らは聴いているつもりだとしても、その実全く聴いていない。
「フェミニズムに定義がない?じゃあ私もフェミニスト!」
こんなことを言ったのがいい証拠。
人の話を真剣に聴く気がそもそもないのだ。
元の「フェミニズムに定義なんてありませんしね」とはフェミニズムに対して各人がどう向き合って行くか、フェミニズムを通じてどんな自分になりたいかが千差万別ということであろう。もっと言えば、フェミニズムを通じて私らしくありたい、ということの強調表現と取れる。
各人についての「私らしく」であれば、それを全て包括する思想に一義的なものなどあるはずがない。各人についての私らしさはそれぞれ違うからだ。したがって定義はない。
それが、「フェミニズムに定義なんてありませんしね」の真意だ。
しかし、それは相手を理解しようという姿勢が無ければ読み取れないものだと思う。
仮に少し頭があり、上の真意を読み取れたとしても、発言主への好感や反感次第であえて曲解することも有り得る。
定義ないなら私もフェミニストと騒いでる層は、人の話を聴く気がないのは自明な上に、本当に理解しないほど頭が悪いわけではないと言い切れないのが恐ろしいところだ。
「フェミニズムに定義なんてありませんしね」という発言は、フェミニズムが女権拡張及び男女平等を目指す思想だということは百も承知の上でなされている。
そんなことは問い返すまでもないからだ。
「フェミニズムに定義なんてない?じゃあ私もフェミニストだ」と反応したような人々とはステージが違うのだ。
この「フェミニズムに定義なんてない」騒動は最初から発言主と反応主のステージの違いを露わにしただけだった。
何故このようなステージの違いが生じるのか、答えは明白。
フェミニズムに反旗を翻す人々が、批判のステージにも立っていないからだ。
批判したいならまず相手の話を聴く姿勢を取るのは基本中の基本であり鉄則。
いや、私は聞いてます?あなたが聞いていると思ってるのは人の言葉であって、話ではないのでは?あるいは心ではないのでは?
相手の姿が見えないネット上の会話だって、機能的識字という概念くらいはありますよ?
https://twitter.com/karakara_00/status/1304411225887879170?s=21
私は、この彼女は普段丁寧な様子で、女性らしい物腰と傾聴する姿勢を見せているとは思っている。
が、残念ながら彼女はアンチフェミという思想が如何に毒として作用しているかを体現しているだけの存在だ。
この彼女も、上で述べたように「フェミニズムに定義なんてありませんしね」発言を誤読した一人だ。
いや、本当に誤読ならそれはそれでいい(驚きはするが)。
問題なのは曲解している場合だ。
本人が無意識的にであれ、対立論者の論を何気なく歪めてしまっている節があるなら、そこから改善しないとちゃんとした対話のステージにも上がらない。
人の話を聴く方に聴く姿勢が無ければ、そもそもの批判など成立しない。
彼女は無意識的であれ対立論者の発言を歪めて解釈している可能性がある。
↑で引用した彼女の反応がまさにそれだ。
彼女には歪めているなどという気は全くないんだろうが、こちらから見たら嫌がらせにでも来たのかという返しだ。
「フェミニズムは一人一派なのではないですか...?」という突っ込みが如何に揚げ足取りかということは、既に述べた「フェミニズムに定義なんかない」の真意とほぼ同じ理由だ。
一人一派とは、思想がないことを意味しない。
相手の言葉を拾う作業は、実は会話ではない。
相手を理解しようという姿勢があって、初めて会話というものは成り立つ。
それは相手の言葉を理解しようということではない。
相手の真意を理解しようということだ。
それが出来ないとしても、相手を傾聴する姿勢を崩してはいけない。
少なくとも「フェミニズムに定義なんてない?じゃあ私もフェミニスト!」なんて反応は論外だ。
真意を本当に理解できなかったならまだいいが、問題は最初から傾聴の姿勢がないこと、及び自分の理解不能な発言をきっかけに傾聴の姿勢を崩すこと、そして、相手の発言を茶化すという形で消化していることだ。
その自覚が全くなかっただとしたら、まずはその感覚を治すのが何よりも先だ。
オタクはチキンレースをやめて議論への門戸を開けという論考が話題になったことがあったが、同じだ。
相手の話を聴かないで茶化す、チキンレース......こうした愚行を止めないと議論への門戸は開かれない。
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