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私の祖母は最強の聴覚障がい者でした

皆様お久しぶりです🌸

祖母の葬儀とお休み中に貯まりに貯まった仕事が
ひと段落したので🫠
Brightの活動も少しずつ再開していこうと思います♪

今回亡くなった私の祖母は聴覚障がい者でした。

祖父も聴覚障がい者だったので
障がい者同士の夫婦だった祖父母。

そんな祖父母に私は育てられました。
(両親は祖父母に育児を取られてしまったそうで😂)
祖父母とは手話で会話をしていました。

家族に障がい者がいた事、手話で育ってきたこと、
いつかは皆さんに紹介したかった最強パワフル祖母の話
そして、そんな祖母に育てられた自分の事について
今日は追悼の意を込めてお話ししようと思います♪


1. 祖母の人柄

祖母を一言でいうと《超最強ばあちゃん》です(笑)
家族からは『女王陛下』と呼ばれていました。

イメージこんな感じ笑

性格は、
明るい、超ポジティブ、血気盛ん、
気前がいい、とにかく食べさせる笑

【自分の言ったことは絶対】
【死んでも意見を曲げない】

そんなジャイアンのような人でした😂w

生まれつきの聴覚障がいで全く耳は聞こえず
会話もできませんでした。
学校にも行かせてもらえなかったらしく
公式の手話ではなく
家族内で伝わる手話を使用していました。

家族にはとても愛されたようで
兄弟や親戚とは仲が良く
若い頃の写真はどれもとても幸せそうに映っていました✨

お気に入りのバイクショット(免許なし)

祖父とはお見合い結婚だと勝手に思っていましたが、
かっこいいじいちゃんに一目ぼれして
結婚にこぎつけたようです(さすがの行動力)

祖父も超スーパー人間で、
仕事ができる手先が器用(犬小屋、屋外ブランコをサッと作る)、絵が上手など
とにかく何でもできる人でした。

そして祖母と反対で超々温厚なおじいちゃんでした。

そんな感じの最強聴覚障がい夫婦が私の祖父母です❤️


2. 祖母が障がい者だと気づいた日

手話を使って祖父母とは会話していましたが
生まれてからずっとそんな環境だったので

「うちのおばあちゃんは農家やってるよ~」
くらいのテンション感で
「うちのおばあちゃんは手話で会話するよ~」
といった感じで生活していました。

周りの友達も祖母が聞こえない事に関して
特に疑問を持たずにすんなり受け入れていました。

今思えば、私の住んでいた地域は
【障がい】というものに関して
比較的すんな~り溶け込むような
地域だったのかもしれません。

年下にいた脳性麻痺で歩行器で歩く子についても
《足を怪我した子》くらいの感じで接していたので。


そんな私が祖母の障がいに気付いたきっかけは
小学校で行われた祖父母参観でした。
(2年生?3年生?)

祖父母に向けて《言葉》で挨拶すると聞き、
『おばあちゃん聞こえないじゃん。手話するか。』
と必要な手話を練習し発表者の横で通訳を行いました。

その時初めて、
【おばあちゃんって、周りと違うんだな】
【あぁ、障がいがあるのか】

と気づきました。

でも気付いたからと言って何かが変わったわけではなく
周りも『えまのばあちゃん、耳聞こえないもんね~』
くらいの感じだったので
そこからも障がいという事に関しては
特に何も感じずに生活していました。


社会人になってからも改めて気づくことがありました。

病院勤務時代に手話で会話する子どもを担当して
【コミュニケーション取るの難しいな】
【祖父母も周りからはこう見えていたのかな】

と別角度から聴覚障がいについて考えさせられました。

ママの通訳が無いと会話できない事に関して
【もっとちゃんと公式の手話を学んでおけばよかったなぁ…】
と本当に強く思いました。



3. 障がい児の○○ちゃん、ではなく、○○ちゃんは障がいもある

もともとスポーツ分野から入り
子どもが好きという理由でなった小児理学療法士。
私自身、障がいのある人の支援という考えは
全くなくスタートした理学療法士人生でした。

家族に障がい者がいる

自分自身もそうだったと気づいたのは
その子を担当した時、理学療法士5年目?です。

祖母を障がい者と思っていなかった事
子どもが好きという理由でなった小児理学療法士

そんな経験から、私自身のスタンスは
障がいがあるから支援する
では全くなく、

その子の事が人として好き
可愛いから好き
その子が苦手な事がある⇒できるようにサポートする

そんなスタンスです。

ダウン症の○○ちゃんではなく、

超かわいい○○ちゃん、そんでダウン症もあるよ
という感じで関わっていた事に気付きました。

障がいがあるから、障がい支援、ではなく
その子の人生を豊かにするため苦手な事があれば手伝う

それくらいの気持ちみたいです。

この考えが皆さんにとってどう感じられるかは
分かりませんが

祖父母参観の時、
【障がいがあるから手話で通訳する】
と思い行動したのではなく

【ばあちゃん聞こえないじゃん、手話がいいよね、普通に】
と思い行動した自分にはこの考えが合うみたいです。

simple

4. 自己肯定感と期待の両立

祖母はもともとの負けず嫌いな性格
 +良い意味で世間を知らない人だったので
とにかくいつでも自分が一番だと言っていました。
(現代にこそ必要な最強メンタル!!)

誰よりも足が速かった
裁縫も料理も誰よりもできる
学校に行っていれば自分が一番だっただろう

もう何も言えないくらい
自己肯定感が最高レベルの人間でした(笑)

そして、私たちにも
『一位を取れ!』『頑張れよ!』
といつも言っていました。

今の時代とかなり逆行しています。
期待が高すぎるとプレッシャーに負け、
そこから自己肯定感が下がったり
自信がなくなっていくなんて考えもありますよね。

でも祖母の良かったところは
一位を取れなかったとしても

『よく頑張った!お前が一番だ!最高だった!!』

と無条件に褒めちぎってくれるところでした。
むしろ順位関係ないじゃん😂と思うくらい(笑)

そんな何があっても褒めてくれる味方でいてくれる
超ポジティブな祖母に育てられた私は
比較的自己肯定感の高い人間に育つことができました。
良くも悪くも。(笑)

上を目指せ、でも結果に限らず褒めてあげよう
そんな祖父母、そして両親のおかげだなと思います。


5. 祖母の最強マインド

すでに強烈そうな祖母ですが、今思えば最強マインドだったなと思います。

① 自分をいつでも信じている
② 自分が最高だと思っている
③ 自信が常にみなぎっている
④ 常に明るい
⑤ 物事をはっきりという(超ケンカしましたよ
😂
⑥ 家族の悪口を絶対外では言わない
⑦ 気前が良い

『私は耳が聞こえない、だから年金がいっぱいもらえるんだドヤ』

良くも悪くもの最強マインドばあちゃんでした(笑)


6. ハンドサインをする理学療法士

今日からベビーサイン講習に出ています。
来月にはマカトンサイン講習にも出る予定です。

手話の経験から…なんて考えは1mmも無くて

今子どもに必要だと思うから
私にできる事をする

という考えから始まった
ハンドサイン(コミュニケーション)ですが、
元をたどれば祖父母との手話の経験も
こんなに一生懸命になるきっかけだったのかも
なんて最近は思います。

自分の想いを伝えられない側もつらいけど、
その想いをくみ取れない側もつらい。

子どもと家族、そして子どもと自分を見てそう思います。

ベビーサインも、マカトンサインも
子ども、家族、そして自分の人生を
豊かにするものになれば良いなと思い受講しています。


7. 最後に

長くなりました。相変わらず🫠

こんなに長い文章を読んでくださる方は
いるのでしょうか(笑)

でも今日は皆さんのためにというよりは
自分のために祖母との思い出を残したかった、
祖母にありがとうと伝えたかったので書いてみました。

お葬式では親族が引くほど泣いてしまいました(笑)
でも祖母は私の人生にとってかけがえのない人で
私の人格形成に大きな影響を与えてくれた人です。

沢山愛してくれてありがとう!
天国でイケメンじいちゃんと再会してね♡


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