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4章 なぜ、現代人に瞑想が必要なのか?

最近は脳科学の発達によって、その瞑想テクニックを実践することで、瞑想テクニック自体にさまざまな効果があることが実証され、解明されるようになってきています。

それが最近アメリカのグーグルなどのIT企業でも研修として採用されるようになったマインドフルネスという瞑想技法です。そのマインドフルネスで紹介され、実践されているのは、瞑想の宗教的な要素を除き、脳科学によって効果が証明されているテクニックとしての瞑想法です。

今回ご紹介する、「1日5分で実践できる心の平安と能力開発に役立つ瞑想法」というのは、そのようなマインドフルネスの要素を取り入れながら、さらに古来からの瞑想法のエッセンスを取り入れたテクニックです。

仏陀が生きていた時代とは異なり、現代人は非常に忙しい日々を過ごしています。それぞれに仕事があり、忙しすぎて瞑想する時間などありません。その忙しい現代人が実践できる瞑想法というのは、1日5分である必要があります。

しかし、忙しいからこそ必要なのが瞑想です。なぜなら、現代人はその忙しさの中に心を見失ってしまっているからです。「忙」しいという漢字は「心を亡くす」と書きます。その心を取り戻すために必要なのが瞑想なのです。

瞑想は本来の自分を取り戻すためになくてはならないものです。充実した自分の人生を生きるためには、まずは本来の自分を取り戻す必要があります。

自分を偽って生きていたり、周りの期待だけで生きていても、それは自分の人生を生きていることにはならないのではないでしょうか?

そこで必要なのは、本当の自分に出会うことです。

「自分は誰か?」それは人生を生きる上での根本的な問いです。自分は何のために生まれてきて、どこに行くのだろうか?人生の意味とは何なのか?

誰もがどこかでぶち当たる問いでもあります。

その本来の自分を知ることなくしては、人生は無意味なものになってしまいます。そういう意味で、今回お伝えする瞑想法は、本来の自分を取り戻すための瞑想法でもあります。

そんな瞑想法が1日5分でできるのか? というふうに思われるかもしれません。しかし1日5分だからこそいいのです。なぜなら、最初にも書いたように、どんなに忙しいとは言っても、1日5分の時間を取れない人はいないでしょうから。

しかも今回ご紹介する瞑想法は、坐っている必要さえもありません。歩きながら、シャワーを浴びならが、お風呂に入りながら、食べながら、通勤電車の中でも、恋人と喧嘩をしている時にも、上司に叱られた時にも、仕事でストレスがいっぱいになったときにでも、どんな時にでも使えるテクニックです。そんなときにこそ使えるテクニックでもあります。

だからこそいつでもどこでも実践できて、人生とビジネスに役に立つことができるものです。そして、だからこそ1日24時間いつでも瞑想することもできるのです。

私の瞑想の師は語っています。「あなたが瞑想で学んだことを何であれ、昼となく夜となく保ち続ける必要がある。瞑想が、あたかもあなたの心臓の鼓動のようにならなければならない」と。

1日5分の瞑想が、実は1日24時間の瞑想にもなりうるのはそこにポイントがあります。1日5分、誰もがいつでもできる瞑想法だからこそ、24時間いつでもどこでもできる瞑想法になるのです。逆説的でありながら、それが今回の瞑想マニュアルで目指すところです。

瞑想とは実践です。どんなに瞑想について話を聞いたり、本を読んでも、瞑想を実践しなければなんの意味もありません。でも1日5分なら、いつでもどこでも、あなたにもできますね。今回ご紹介するのは、そんな瞑想法です。

しかも、もっと素晴らしいことは、あなたの手に入るのは、実は24時間ではないのです。「永遠」なのです。時間というのは過去と未来があって存在するものです。瞑想は「今ここ」にいることです。

「今ここ」。この瞬間には時間はありません。時間を忘れてしまうことってありますよね? 自分の好きな趣味に打ち込んでいたり、面白い小説に我を忘れて無我夢中になってしまっているとき。あるいは仕事をしているときでも、その仕事に没頭して時間を忘れ、物事がなんの努力もなく進んでしまうような経験はあなたにもありませんか?

ミハイ・チクセントミハイはそのような状態のことを「フロー」と名付けています。あるいは、スポーツでは「ゾーン」という言い方をしたりしています。

ジョギングをしているときなどでも、20分ほど走っているうちに、これまでの苦しみがなくなり、ハイになってどこまでも走っていられるような気分になったりしたことありませんか? そんなとき、エンドルフィンという脳内物質が出ていると言われています。

それも瞑想状態です。「無我」夢中とか「没頭」するという漢字もその瞑想状態のことをよく現しています。そう、瞑想とは「無我」になることであり、「没頭」つまりマインドや思考などの「頭」をなくしてしまう状態なのです。

そのとき過去も未来もなく、「今ここ」にいることが起こります。それが瞑想が「起こっている」状態です。ですから瞑想は何かをすることではなく、誰にでも「起こる」状態でもあるのです。

なぜなら、瞑想は外から何かを獲得するものではなく、内側に入り、本来の自分自身に出会うことだからです。それは誰もが生まれながらに持っている能力であり、人間誰しもがもっている本性なのです。そのことを仏教では仏性といっています

それがわからなくなってしまっているのは、人間はあまりにも「頭」を使いすぎて「心」を無くしてしまっているからです。「我」(エゴ)でいっぱいになっていて、本来の自分が見えなくなっているからなのです。

人間は直立歩行を覚え、頭脳が発達し、文明や文化を発達させました。科学を発達させて、月や火星にも行くことができる能力を手に入れました。その結果現代人は、あまりにも遠くに行きすぎて、我を忘れてしまったようです。

今こそ我に帰り、本来の自分自身を思い出す必要があるのではないでしょうか? それが「瞑想」ということです。

そして、瞑想法を実践することによってある日突然起こるかもしれないこと。それはあなたがそのすべての目撃者になること、観照者になることです。あなたが瞑想法を試しているときに、ある日突然その瞑想をしている自分が消えて、その背後で、静かに坐り、見守り、観照しているものがあることに気づく。その気づきが瞑想なのです。

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