川柳と出会う
ふとフォローしている方の「作品」が心に響いてしまい自分でもと思い「川柳」の勉強を始めました。
前川さんに紹介された「時実新子」さんの本を読み楽しませていただきました。
好きになりました「川柳」。
「時実新子のハッピー川柳塾」
たまたま図書館で借りることのできた一冊です。その中から抜粋した記事にして残しておきます。
1,川柳と俳句はどう違うのか。一言でいえば、川柳は心象を表現する「人間詠」、俳句は風景を詠み込む「自然詠」といわれています。俳句に必要な季語も川柳でいりません。
2,現代川柳はすべてのことを、自分の目と心でとらえて表現します。笑うなら自分を笑う、けなすなら自分をけなそう、真に言いたいことを言おう、と。心の中をさらけ出すような、といえば理解できるでしょう。
3,決してうまく作ろうと思わないことです。大向こうをうならせてやろうなんてたくらみますと、言葉ばかりがキラキラして、中身は何もない句になってしまいます。何より大切なのは心です。真心から生まれた句は、読者の心に真っすぐ届くはずです。
4,俳句と川柳では表現のバランスが異なります。川柳では十のものを十二で表現し、俳句では十のものを七くらいに表現をします。
5,川柳ではあらかじめ題を決めて作句することを「題詠」といい、題を決めずに自由に句を作ることを「雑詠」といいます。
6,最初に浮かんだ発想は捨ててしまいましょう。
7,川柳は心象を具象に託すことがもっとも大事です。「平明で深く」が川柳の本質。誰でもわかるような言葉を使い、それでいて心の奥深さを表すわけです。
8,川柳では、他人の悪口、中傷、嘲笑などはタブーです。固有名詞もだめです。どうせ悪口を言うのなら、自分の悪口を言いましょう。どうせ笑うなら自分のことを笑ってみましょう。自分という他人なら、誰にも文句を言われる筋合いもありません。「ひらきなおり」「笑いのめし」、それこそが川柳の得意とするところです。
9,川柳を詠む人は人間の負の部分を知っている必要があると思います。適当に不幸で、適当に幸福な人が文芸に向いているのです。
10,川柳で「見る」ということは、物や事を目で「認める」ことです。自然に「見える」こととは違います。見たままでは写生しかできません。そこから一歩も二歩も動いて、正面から、後ろから、横から、上から、下からと、物や事を多角的にとらえ、深く見ようとしなければ表現する内容が平凡なものになってしまいます。
11,川柳の目は、見て感じて、そこに自分を重ねてもう一度見ることです。「泣いておもしろ、怒っておもしろ」という人の心を揺さぶったり、共感を抱いてもらえたりする句はできないのでです。
12,川柳を愛する心、それは文字や言葉にできるだけ敏感になること。発想が良くても表現力が伴わなければ句は光らない。表現が良くても中身が伴わなけらば言葉だけがキラキラしてしまう。句を作り出すのは、まるで我が子を産むかのような痛みと楽しさに満ちた作業です。
13,自己中心的といってもよいものの見方こそが川柳の目です。
【まとめ】
・心象を具象に
心の中のイメージ(心象)をそのままに句にしたのでは読み手に伝わりにくいので分かり易いもの(具象)にたとえます。
・技巧よりも発想
決してうまく作ろうなんて思はないこと。技巧の前に何よりも大切なのはこころです。多様なものの見方ができる目です。
・リズムを大切に
読んで目になめらか、聞いて耳になめらか、口ずさんでは舌になめらか。「なめらかさ」こそがリズムです。
・遊びの心
「穿ち」「軽み」「笑い」の三要素はもとより、ひらきなおり、わらいのめし、ユーモアが欲しいです。
・平明な言葉で
ということです。
「時実新子のハッピー川柳塾」より抜粋しました。
あらためて俳句も川柳もなぜか好きになりました。年齢のせいでしょうか?
理由はないのかもしれませんね。ただ「好き」というわいた感情に素直に従ってみるのも楽しい人生かもです。
川柳で物の見方や考え方は、これからの創作活動に良い刺激になります。
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