見出し画像

あのひとは蜘蛛を潰せない【読書感想文】

主人公梨枝はドラックストアの店長。28歳になる今も実家暮らし。

梨枝は幼いころから母親に「ちゃんんとしなさい」「みっともないまねはするな」と言われ続け、自分以外のすべての人間はちゃんとしていて、自分だけが要領の悪いみっともない人間だと刷り込まれていた。梨枝は嫌いな人に「嫌い」と言えない。なぜなら『私がきらいって感じても本当はその人が正しいことを言っているのかもしれない。私になにか、分かってないことがあるのかもしれない。そう思うとこわい。』から。

しかし、今まで一番近くにいた母の元を離れることで、人との関わり方が変わってくる。
勤務先のアルバイト学生の三葉と付き合うようになり、幼馴染の雪ちゃんが兄嫁として実家で暮らすことになったため梨枝は一人暮らしを始めたのだ。梨枝は三葉や雪ちゃんと向き合う中で、今まで強くてちゃんとしていると思っていた人にも自分と同じように弱さがあり、そんな弱い人間でも自分を主張してもいいんだと気づき、今まで人から嫌われたり、失敗することを恐れて蓋をしてきた自分の感情を表現できるようになっていく。

知らないものと対峙することは怖いことだ。見えない敵が怖いのと同じように。梨枝は今まで母の支配下にあり、知らない敵と戦うことすら許されていなかった。梨枝の前に開かれた道はすべて母というフィルターを通した先にあった。しかし三葉と出会い、母の反対を押しきって家以外で夜勤明けの朝ごはんを食べ、一人暮らしをはじめた。一歩が踏み出せれば、案外その先道を開くのはたやすいのかもしれない。そして一歩踏み出すきっかけは自分の中から湧き上がる欲でしかないと思う。梨枝の場合は、自由に生きる(この時は生きているようにみえる)三葉の存在がお母さんから離れたいという欲を湧き上がらせた。

付き合い始めてしばらくたった頃、梨枝は就職活動をする三葉に「ちゃんとしなさい」と洋服や食べ物を買い与えるようになる。三葉の心が他の人にとられるのではないかという恐怖心から、あんなに恨み、かわいそうだと思っていた母と同じように無意識的に三葉を自分の支配下に置こうとしていた。自分の周りから人がいなくなってしまうことを恐れる弱さが支配を生む。そして弱さは連鎖する。しかし梨枝は三葉に自分の弱さを打ち明けることで自分の弱さと向き合い、ようやく母の支配下から抜け出し対等な気持ちで接することができるようになる梨枝の姿はたくましく思えた。

変わったのは周りではなく梨枝自身。本人が変われば周りの態度が変わったり、分かり合えたりする。相手が変わらなくても「自分」という存在を認められてさえいれば、対等な人間関係を築くことができるのかもしれない。

新しい環境や他者へ飛び込む勇気は他者と関わりあう中でしか生まれない。
「ちゃんとした人間」だと思っていた三葉や雪ちゃんにも弱さがあると知った時、梨枝と同じように「自分は低能で周りがすごい」と思っていた私は救われたような気分だった。完璧に成熟した大人なんていない。みんなどこか歪さを残したまま大人になっていく。この事実を知るだけでどれだけ生きやすくなるだろう。

他者と関わりあいながら、自由への原動力となる欲を集めてる。欲しくてたまらないものと他人を知ることで自分の輪郭が見えてくる。新しいコミュニティに入る前は私以外のすべての人間が優秀な人だと思えてくる。しかし実際に入ってみると私も案外悪くないじゃん、と思えたりするものだ。そのくらい気楽に構えていこう。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?