三十路OLのメンタル復帰ルーティーン 〜プロジェクト炎上編〜
どうも、都内某所の比較的大企業に勤めるOL、仮名・山之内さをり(29)です。11月下旬、現在時刻19時45分、私はいま東京・上野の繁華街を亡霊のように歩いております。
なぜ平日の夜にひとり、このような行動をしているのか━━
それは仕事でのプロジェクトが絶賛炎上中だから。そして目も当てられないほど、落ち込んでいるからなのです。
<前回記事>
プロジェクト炎上の概要(板挟みでぺちゃんこになる心)
こちらプロジェクトが発火し、見事炎上するまでの概要です。どこにでもある炎上。ですが、炎は確かに熱を持ち、痛々しく身を焼くのです。
私はとある企業の広告案件での営業兼進行として参画。(別名:クライアントとクリエイターの板挟み)
クライアントの盛り盛り要望とクリエイター陣の現実的な提案をうまく擦り合わせできず、進行が大いに狂い始める。
多数のクリエイター陣が戦意喪失し離脱しかける。クライアントも動揺、そして怒り。炎上開始。
擁護や批判など多様な意見があると思いますが、それは一度置いておいて。
私の行動における至らぬ点は、スケジューリングの見立ての甘さとクライアントへきちんと強く意見しなかった点。だからこそクリエイター陣を守れなかった、そこに尽きると思います。
親身に相談に乗ってくださった上司は「そこまで気負うことはない。やれることはやっていたし、山之内が全て責任を感じるべきではない」と言葉をかけてくれました。
本日に至るまで、クライアントとクリエイターにそれぞれ謝罪をし、再度無理のないスケジュールを引き直しつつ、このまま空中分解を避けたい一心でどうにか修復できないか、画策してまいりました。
そして終戦。どうにか全方面に謝罪をして回り、どうにか最悪の事態を免れ仕切り直しとなったのです。
ちゃんちゃん。
……事態が収束したとしても、私の心の平穏はどこかへいってしまいました。戦後の焼け野原のように荒みきった気持ちが、体の内側を支配しています。
『業務後に業務のミスを考えても賃金は発生しない』
『どうにかなったのだから良いじゃないか』
『人を憎むな、ミスを憎め』
な〜〜〜〜んて言葉がありますが、今日の私には届きません。ごめんなさい無理です、つらいです。
某部署の豪気な部長は「ガハハ、下げる頭はいくらでもあるので」というのが口癖の親分のようなお方。私もその境地に早く至りたいのですが、私には下げる頭の残機が1機しかございません。
日常生活は私のような人間にとって、「死にゲー」なのでございます。
18:00 退社(と、その前に)
そこのあなた、18時退社などと舐めた時間に退社をするなと思ったのでしょう。大きなミスをしたのなら、まだできることはあるのではないか、と。
昨日までならその言葉は有効でしたが、もう今日はやれることがないのです。援軍なく孤立した項羽に想いを馳せながら全方面に謝罪をし、重い体を携えてデスクに舞い戻ったのが17時。いわゆる始末書を書き始め、上司に明日の面談を取り付けて終了です。
やれることはやったので、退社です。ええい、退勤。
と、その前に保温機能付きの水筒を持って給湯室へ向かいましょう。お湯を汲むのです。私はいつも350mlの水筒を愛用しており、この時期になると常に温かい飲み物を入れて持ち運んでいます。お昼に紅茶を淹れていたため、一度洗ってお湯を入れ直します。電気ケトルがしゅうしゅう唸り始めた頃、Sさんがどこからともなく現れました。Sさんという人物については、前回の記事をご一読くださいませ。
「山之内さん、お疲れさまです。退勤ですか」
心がクローズドしてしまっていたからか、「あっはい…はい」と、蚊の鳴くような声でしか返せません。
果たしてSさんはことの顛末をどこまで知っているのか。もしかすると今日の私のミスが知れ渡っており、「この時間に退勤するなどミスをしたくせに薄情なやつだ」と軽蔑している可能性もあります。その牽制だったらどうしよう。
私には拡大解釈・被害妄想という悪癖があることを自負しており、それがいま発動していることを承知しています。しかし……しかし、どうしても止められないのです。本当に自分が嫌だ。早くケトル沸け、この場を去りたい。
「あの、」というSさんのセリフと同時に、ケトルのスイッチがカチッと音を立てて上がりました。「あっあっ失礼します、お疲れさまです」と叫びながら、私は水筒に熱湯を注ぎ、給湯室から一目散に立ち去るのです。
19:00 家とは別方向へ(至、安寧の地)
人間には2種類の人がいます。
ひとりは苦々しい気持ちを友人らとパアッと晴らしたい人、もうひとりは静かな場所でジッと気持ちを消化したい人。
note愛読者なんて所詮後者(私です)……ごほん、活字を好んで貪るような人間は後者に決まっておりますので、これ以上の説明は省きましょう。
穏やかな気持ちでひとりになれる場所。それはどこにでもあるようで、実はあまりないのです。
仮に居酒屋やバーへひとりふらり訪れたとします。いつもなら楽しくひとりでボトルを飲んでいるものの、今日の私は一味違う。周囲の雰囲気が明るければ明るいほど、気持ちの陰影の濃さが増していくのです。
ならば家にとっとと帰ればいいじゃないか。
それもわかる。だが、今日はだめだ。平日のOLの自室をごらんなさい。シンクに残った朝飯の皿、部屋の隅に詰まれた洗濯まちの衣類、そしてカーテンレールにかかった干しっぱなしの洗濯物。逃れようのない虚無が形を持ってして、襲いかかってくるようです。
本日いずれは帰還する我が部屋。だが、まだ時は早い。
となればと私は、いつもと違う路線に飛び乗り、上野駅で下車します。華々しい大通りを横目に、ぬらぬらと艶かしい女性たちのポスターが闇夜に浮かぶピンク劇場・オークラシアターの路地へ。抜ければほら、心の地こと不忍池に到着です。
20:00 お湯割りをかかげよ(だが、深酒は厳禁)
私はスキットルをいつ何時も肌身離さず持ち歩くほどの無類の酒好きですが(業務中はもちろんノンアルコールですよ)、このような日の飲み過ぎは厳禁。なぜならダウナー状態になってしまうから。
笑い上戸や泣き上戸という言葉があります。それに寄せると「泣き上戸」。私からすると泣けるだけ、外的な感情表現ができるから羨ましいのですけれど。
深酒をしダウナー状態になった場合、『拡大解釈・被害妄想』が加速し、自分自身を責める自分自身が暴走し始め、息の根を止めようと精神を追い詰めます。しかも厄介なのが、それをひとりの心の中でやっているため、外から見れば通常と変わらない。他者が介入できないため、気づけば救いようのない境地まで気持ちが追いやられているのです。
だからこそ、落ち込んでいる時の深酒は禁止です。
弁天堂のライトアップがよく見えるベンチに座り、先ほどの水筒を取り出します。息はまだ白くなりませんが、そこそこ冷える季節となりました。それにしても風がない夜で良かった。薄雲が街のネオンに照らされ、ぼんやりと明るい夜が包み込みます。
さて、始めましょう。
まずは先ほどの水筒を取り出します。そして懐よりスキットルを。水筒の蓋はカップになる仕様ですので、そこにウイスキーを小指の第一関節まで、そして熱湯を満杯に入れれば完成です。ほぼ湯、ウイスキーを添えての出来上がりでございます。
今日はこちらをちびちび啜りながら、池を一面に覆う枯れた蓮を静かに眺めます。
それにしてもこの池は懐深い良い場所です。
はす向かいにはカップ酒をあおるお父さん、向こうにはギターを弾く若者。他にもTikTokの動画を撮影する学生、犬の散歩にくる貴婦人、几帳面そうなランナー、ホテルイン秒読みのカップル……。有象無象がうじゃうじゃしているのです。うじゃうじゃうじゃうじゃ人生とやらをやっている生き物たちが、干渉せずに薄暗闇の中ただ己の世界に没頭している。
繁華街の煌びやかで生臭い「人生」とは異なり、それぞれが孤独にどうにかこうにか生きている。それを一身に感じながら、その一部になることができる。この池は学生の頃から、私はお世話になっております。
さあ、冷えてしまう前にウイスキーのお湯割をいただきましょう。ゆっくり飲み下せば、こわばった心の亀裂に温かい液体が入り込みます。劇的な変化ではありません、でも、少しだけ何かに許されたような気がしてきました。
21:00 芸人ラジオを聞く(すべてはこのために)
神聖かまってちゃんというバンドに「美ちなる方へ」という曲があります。この曲は私の心理状況をジャックして作られたのでないかと勘違いするほど的確に、山之内を体現しております。
さまざまな意見はございますが、自らをみちなる方へ、明るい方へ誘うというのは、精神を整える上でも大切だと考えています。たとえ道化のように感じ、内なる自分がしらけてしまっても。私が道化を演じずに、誰が私を救えようか。(ぜひ「美ちなる方へ」が気になった方は聴いてみてください)
お湯割と池の端の穏やかさに心が幾分かなだめられたところで、ヘッドホンを取り出します。さあ、芸人ラジオを聞くのです。
現世生まれ、インターネット育ち、ニコニコ最盛期で厨二病を迎えた私ですが、ここ近年で「芸人」というコンテンツにハマり始めてしまいました。そして夜な夜な芸人ラジオをリアルタイム、もしくはタイムフリーで視聴し、ひとりヘラヘラ笑うのです。
しかし今日の場合は出しどころ、いわゆる視聴を開始するタイミングが重要でした。
心の霧が晴れない中で聴き始めると、前述した通り白けてしまい侘しさが増していきます。かといって、家で聞けば全身を日常で囲まれすぎているせいで、なんともダウナーな自分を引き上げることができません。
つまり、熱湯を汲む、逆方向の電車に乗る、不忍池でお湯割を飲む、これらの行為はすべて芸人ラジオを最高の状態で聴くための布石でしかなかったのです!!
さて、どのラジオを聴こうか。
ここで山之内おすすめの芸人ラジオをご紹介します。
TBSラジオ「空気階段の踊り場」
人生のためになる教養バラエティと銘打ったラジオだが、教養になったためしがない。もぐらさんがかたまりさんを攻撃しがちで、かたまりさんが早口で弁解しがち。コーナーが阿呆の極みで良い。選曲が異様に粋。
オールナイトニッポンポッドキャスト「蛙亭のトノサマラジオ」
男女コンビならではのラジオ。距離感が絶妙で、時折イワクラちゃん(女性)が中野くん(男性)を本気で叱ったりするのも一興。2人ともジャンル違いだがサブカルに精通している。「イワクラ」や「リル」など、イワクラちゃんの名コーナーが山之内の心を捉えた。
GERA「錦鯉の人生五十年」
2021 M-1王者に輝いた中年コンビ錦鯉の冠ラジオ。とにかくまさのりさんが明るくて阿呆で元気が出る。まさのりさんへ的確に突っ込みながらも、時折見せる相方・渡辺さんの優しさにグッとくる。銀歯泥棒のコーナーは知能指数が低くてとても良い。
この3つはradikoやSpotify、podcastなどで配信されているため、いつでも聴くことができます。本当にありがたい時代になりました。
お湯割の3杯目を作ろうとして、途中でお湯がなくなってしまいました。これを飲んで今晩はお開きといたしましょう。さて何を聴こうか、ああ、今週の蛙亭が更新されているじゃないか。
ヘッドホンをつけ、注ぎたてのお湯割を一口飲み下し、そして再生ボタンを押す。すると聴き慣れた2人のいつもの声が聞こえてくる。
あーあ、なんだか泣きたくなっちゃいました。
私がどんなに私を暗く冷たい場所へ追いやっても、こうして日々はいつも通り回っている。毎週聴いているラジオは今週も放送しているし、パーソナリティーもいつも通りしゃべっている。
誰も大丈夫だ、なんて言ってはくれないけれど、このルーティーンが私の手を引き、明るい方へ持ち上げてくれている気がするのです。
だから、泣きたくなっちゃいました。
前半のフリートークを聴きながら、お湯割を飲み干し後片付けです。夜は更けていきますが、私の手はほんのり暖かさを取り戻しました。まったく元気とは言えない状況ですが、それでも「家に帰る」のコマンドを選択できる程度には落ち着いてきたようです。
家に帰って、化粧を落として、風呂に入り、寝ます。そして明日も出社し、今日の尻拭いをするのです。泣きたいことばかりですが、それでもどうにかなるのでしょう。
しかしながら今は平気でも、帰宅後にはすぐに胃の痛みがぶり返し、今日もきっとよく眠れないのだろうな。
今日もスキットルを懐に仕舞い込み、重い体をひとつ携えて、ゆっくり帰路に就くのです。
早く元気になりたいものです。