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ばあちゃん、あの世ではラーメン食べ過ぎんなよ

弱小フリーランサーながら、私はいっちょ前に仕事部屋を持っている。先日から花粉らしき何かに鼻孔をくすぐられ続けて、しきりにクシャミが飛び出した。いかんいかん、鼻をかまなければ。ちーんと盛大に鼻をかんだところで、ふと手元に視線を落とすとティッシュケースが目に入った。

ばあちゃん手作りのティッシュケース

毎日、ごく当たり前に見続けていたがすっかり忘れていた。このティッシュケースを作ってくれたばあちゃんは、もういないんだな。

婆は「カップラーメンが食えない人生なら意味がない」と言い放った

父方のばあちゃんは偏屈で理不尽な婆であった。椅子と一体化した巨体は人間離れをして新種の生き物のようであったし、顎で人を使うし、人の彼氏について知りたがるし、あれこれ人生に口を出したがる。

ばあちゃんは沖縄に住んでおり、お盆に時々現れるレアキャラ孫という立場にあった私は、気を利かせて”良い孫”を演じたかったのに、しまいには「うるさいばあちゃん、黙ってくれ」と声を張り上げる始末となる。するとばあちゃんは、ニチャアと口の端を歪めながら「喧嘩のしがいがあっていいねぇ」と沼の底から這い出た妖怪のような表情を浮かべるのだ。

ばあちゃんは特にカップラーメンが好きで、元気な頃は大量のカップラーメンを手の届く範囲に備蓄していた。「ばあちゃん、カップラーメンばっかり食うの体に悪いよ」という体を気遣うごくまっとうな孫の慈愛溢れるアドバイスには、「あたしゃカップラーメン食べられないくらいなら死ぬ」と豪語し、婆らしからぬジャンキー剛速球を投げ返してくるのだ。

この婆、冥土にはまだまだ行かねえつもりだな。大学生の私は、みなぎらん生命力を妖婆から感じながら、「元気じゃん」と、ちょっと嬉しかった。

孫は婆を落としそうになった。重すぎて

2020年からやはり感染症の影響で、ばあちゃんに会いに行くことはできなかった。不老不死の妖怪のような存在にも感じていた婆の背後にも、人生の〆切が忍び寄っていた。入退院の連絡が叔母から入るようになり、「覚悟をした方がいい」と両親から直接LINEをもらったのが2021年11月末。

脳裏にいるばあちゃんは、マシンガントークで自分勝手なことを話し続け、ラーメンを食い、水が飲みたいと顎で人間を使うハツラツとした姿だったから、全く想像ができなかった。「とかいって、またばあちゃん元気になっちゃうんでしょ?」と正直なところ思っていた。

が、人にはやはり寿命というものがあるのだ。従姉妹から息を引き取ったという連絡があり、父と従兄と相談し、沖縄までの航空券をすぐに手配し、クライアント各所に忌引きの連絡を入れ、喪服を準備し、トランクに荷物を詰め込み、納品が迫った原稿を徹夜で書ききり、飛行機に飛び込み……。もう忘れた。

ひたすら原稿を書き続けるフライト

気付いたら、葬儀場に立っていた。12月だというのに、私は薄手のブラウス1枚で温い風に吹かれていて、こんな悲しい気持ちで沖縄に帰ってきたのは初めてだと、他人事のように感じた。

ばあちゃんの顔を見たら涙が出てしまうかと思ったが、それ以上に叔母や従姉妹と会えてほっとしたし、ばあちゃんもお化粧してもらっている最中でちょっとシュールだったし、最低限の原稿を納品しどうにかこの場に辿り着けたこと自体に安堵してしまった。ばあちゃん、帰ってきたよ。

謎の白装束の儀式を行い、いよいよばあちゃんを棺に入れることになった。しかし男手がほぼない。女たちでばあちゃんを持ち上げる必要があり、私はばあちゃんの頭を持つ係に任命されたのだ。

動かなくなってしまったばあちゃんを眺めていると、なんだか悲しみがふつふつと込み上げてきて、涙がじわじわと染みだしてきた。いかんいかん、泣いている場合じゃないな。ばあちゃんをちゃんと棺に入れなきゃ。

「せ〜の」かけ声でばあちゃんの頭をグッと持ち上げる。が、

……あぁああああああ"ぁ"あ"あ"!?!?!?!

鈍いダミ声の悲鳴を上げた主は、私だった。この婆、重すぎる。孫の腰がクリーンヒットしちまうだろ。なんでこんな重いんだ婆よ!?

「お前ッ!! ばあちゃん落とすなよッッ!!!!」

父が笑いを殺しながら、注意を促してきた。いや私だってばあちゃんを落としたくないよ。でも重すぎるんだもの。だから煎餅とかラーメンとか食い過ぎるなってあれだけ言ったんじゃん。

すぐそこまで来ていた涙はどこかへ言ってしまった。代わりに笑いが込み上げてくる。不謹慎なのは重々承知だが。闘病の後だったので、全盛期と比べてさすがに体重は落ちていたようだが、それでも孫の腰は爆発するレベルで重い。もう!この妖婆め、この期に及んで喧嘩をふっかけてきて!

「あんたは喧嘩できるから楽しいねえ」

記憶の彼方から、ばあちゃんの声が聞こえてきた。

「これ誰?」棺の横に飾られた『謎の美女写真』

沖縄の葬儀というものが初めてで、何が何だかわからなかったが、要は「ゆんたく」に主眼が置かれているようだった。ゆんたくとは「おしゃべり」という意味だが、とにかく私の親戚はおしゃべりだ。祖母、叔母、父、特にこの3人がマシンガントークヒューマンで、やってきた参列者たちと喋って喋って、喋りまくっている。

異様なまでの人懐っこさゆえ、人間界にはびこるおせっかいおしゃべり妖婆の異名を持つばあちゃんだったから、葬儀の雰囲気もカラッとしていて、葬式とは思えないほど笑い声があちらこちらで上がっていた。合同葬儀所だったから、お隣さんに気を遣い、時々「はい、静かに!」と注意が入るほどだった。

私の父方の実家は、十数年前に大火事で全焼してしまったので、昔の写真はあまり残っていない。火事を逃れ残っていたという、かつて町娘だったうら若きばあちゃんの白黒写真を棺の横に飾ったのだが……あれ?

「この美人さん、誰ですか?」

何度聞かれただろう。私も「こいつ誰?」と写真の美人に向かって何度か問いかけた。時の流れは残酷というか、やはり何も信じられない、というか、その美しい女性は、ばあちゃんの若かりし日の姿だったのだ。

参列者の中には「えっ」と言葉を失い、写真の少女と棺で眠るばあちゃんを高速で見比べる人もいた。いや、孫の前でそりゃあ失礼だろと思いつつも、全力で「わかる」。私も何度も反芻したが、理性では理解できても本能が真実を拒絶していた。こんなに美人だったのに……時間のヤツってば残酷すぎんよ…。

四十九日後、ユタめく従兄

葬儀が無事終わり、親戚一同、それぞれ生活を営む場所へ帰っていった。笑って泣いて笑っての葬儀だったから、「ばあちゃんらしい式だったね」と皆が口を揃えて言う。父や叔母たち、いとこたち、それぞれの心の中に別々のばあちゃんとの時間があって、それは決して共有しきれないものではあるけれど、近しい感情を集合知として触れることができた。

やっぱり強烈なばあちゃんだったなぁ、とカップラーメンを啜るたびに思い出す。列伝ばかり残す婆だが、手芸という少女趣味があったため、ばあちゃんが作ってくれたポーチやちゃんちゃんこ、ティッシュケースは、いまも私の生活に溶け込んでいる。ばあちゃんにもう一生会えなくても、私の人生とやらはまだ続くようだ。年が明けて、淡々と仕事をこなして、それなりに生活を回していた。

とある日、離れて暮らす父と話す機会があり、ばあちゃんの四十九日も無事終わったと聞いた。「そりゃあなにより。あれは極楽浄土にいけたかね?」と返答すると、父は爆笑しながら教えてくれた。

「それがよー、K(わたしの従兄)がユタふーじーしてるってよ。夢でばあちゃんが豪華客船に乗って三途の川を渡っていったて。ばいばーいって手振ってさ。笑かすよな〜」

ユタというのは沖縄独自の女性の霊能力者のことを指すので、ここでのユタふーじーとは、「霊能力者っぽい」という意味で捉えてほしい。死してなお、笑い話を残して去って行く婆なのであった。

孫が思うに、婆は極楽浄土ど真ん中に行けるような人間ではない。だがしかし、閻魔様を得意のマシンガントークでうまいこと突破して、地獄の鬼や人間たちとラーメンでも啜ってるんじゃないかなぁと思っている。

ばあちゃん、またね〜。

また沖縄帰るからね〜


亡くなる数日前、仕事中にばあちゃんから電話が来た。おしゃべり好きで、営業時間だろうが孫や嫁を捕まえては何時間でも長電話をする人間だったから、私もその日は留守電にしていた。

「元気ね〜? また電話するねえ」

録音されていたのは、何てことのない音声だったが、これが婆が私に向けて残した最期の言葉となった。あれだけ明るい葬式をして、「変なばあちゃんだったな」笑いながら話したりするが、その婆の留守番音声を聞くたび、どうしても涙がこぼれ落ちる。そりゃあやっぱり寂しいのさ。

そんなこんなで、物書きとして飯を食っている孫は、やっと「ばあちゃん、またね〜レター」を書き終えられたから、どっかで読んで頂戴。それでもって、また喧嘩しような。ラーメン食い過ぎんなよ。

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