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いちご同盟破棄宣言|三田誠広『いちご同盟』を読み直して

この小説は青汁だ。
痛々しいまでに青く、じんわりと湿っていて、喉を通り過ぎてもまだ苦い。それが三田誠広著「いちご同盟」という作品である。

この小説を題材に感想文を書くのは二度目だ。中学生で書いた感想文の文中には「私はここで主人公らとともに、いちご同盟(十五同盟)を結ぶ」と綴った記憶がある。
不治の病を患った少女を軸に、主人公と少女の幼なじみのほろ苦い関係性を描いた作品だ、あの頃はそんな安直な感想を書き連ねた。

二回目の読了。口から溢れたのは、言葉ではなかった。わずか四ページほどしか登場しない主人公の父に対し、呻きにも似た溜息がもれた。

主人公が幼いころ、彼は勤めていた出版社を辞め失業していた。その後、編集プロダクションを立ち上げ忙しくなる一方、家族とは溝が深まった。そんな彼に対し、主人公はそれ以上の感情はなく、むしろ不信感を抱いている。

「大人になり、中年になるにつれて、夢が、一つ一つ、消えていく。人間はそのことにも耐えなければならないんだ。(中略)中年というのは醜いものだ」

旧友と酌み交わし、泥酔した主人公の父が発する言葉だ。物語の終盤、少女の運命を左右する手術を見守ったあと、病院帰りの主人公が道端で自身の父と遭遇する場面である。

生きることを諦めなければならない人。醜く這いつくばってでも、生きねばならない人。国境線のごとく淡々と線引きされた生死の境が、その両端に立たされた人物の姿を鮮明に描き出している。

責任を持って生きるというのは、何とも痛々しく、醜い。ふわりとした杞憂に囚われる主人公へ「お前なんかに、わかってたまるか」と彼は吐き出す。同時に自身の十五歳の姿が重なり、私は粘ついた唾を重々しく飲み込むことしかできなかった。

いちご同盟。それが十五歳にとっての生死観だとしたら、私は今ここで破棄する。いちご同盟のその先を、私は生きる。

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